30 真の願い
シャンタルははっきりと当代マユリアが女神マユリアに乗っ取られたと断言したが、それと同時に女神のその想いが真に人を思うがためであり、当代が自分も持つ同じ心ゆえに自ら女神を受入れたと認めた形となった。
「マユリアの真の願い、一番の夢を知ったと思いました。マユリアが本当に望んでいらっしゃったこと、それは家族の元に戻ることでも海の向こうを見ることでもない、宮の中で人を見守ること、今の生活を続けること。そうではないですか」
確かにマユリアはそう言っていた。トーヤがマユリアから聞いた三つの夢の中の一つだ。
『海の向こうを見てみたい、海を渡ってみたい、そう思っていました』
これは八年前、一番最初にマユリアが口にした夢だった。
素直な気持ちであったのだろう。人に戻ったらなどと考えたこともなかったマユリアが、夢はないのかと問われて困ったようにしながら、それでも素直にそう言った。初めて自分の気持ちを口に出したマユリアが女海賊の真似をして、楽しそうに笑っていたことをトーヤもミーヤも思い出す。
『マユリアの本当の気持ちを聞いてください』
あの光の場で光がトーヤに頼んだこの言葉、それを聞くためにトーヤはわざわざ、逃げ出したシャンタル宮のマユリアの私室にまで忍び込んだのだ。
その時、マユリアは海の向こうを見てみたいと思ったことは事実だと言いながら、二つ目の夢を口にした。
『ですが、私も年を重ね、ダルやリルが家族を持って幸せそうにしているのを見て、その話を聞いて、自分の家族に、両親にお会いしたい、共に生活をしたいと考えるようにもなりました』
その後さらに三つ目の夢を、言いづらそうにしながら、それでもこう告げた。
『このまま、このままずっと、ここで、宮で、今までのように暮らしていきたい、そういう気持ちもあるのです』
今にして思えばだが、光はこの言葉を危惧していたのだろう。
それは当代マユリアの心の奥底で女神マユリアが望んでいたこと。このままこの地で人を見守り続けたい、永遠に。
当代の心の中に、宮の奥で静かに暮らす今の生活をこのまま続けたいと思う気持ちがあったとしても、それは全く不思議ではない。人というのは現状に満足していれば変化を望まぬものだ。
交代の日が近づく中で、さらに深く思うようになっていったとしても、それもまた当然のことだと思われる。これまで経験をしたことがない、人としての生活を想像することもできない。未知の世界に足を踏み入れる恐怖は大きなものであっただろう。
さらに二人の国王からの執拗な求愛も原因であったのかも知れない。神の身である今なら断ることができたとしても、人に戻れば人の中で最上位の者からの命令を聞かぬわけにはいかない。どちらかの後宮に入り、側室としての人生を歩む可能性は極めて高い。
身近にラーラ様という前例があったことも大きかったかも知れない。元は自分と同じくシャンタルとして生まれ、マユリアを経て人に戻った方。今はシャンタル付きの侍女、神の母として人生を宮の奥で静かに暮す道を選んだ方。自分も同じくここで侍女となってでも生涯を過ごしたい、そうできぬものだろうかと思うのも極めて自然のことであっただろう。
対して女神マユリアの望みもこのままの生活を続けたい、代々のマユリアの中で静かに人を見守りたいたいという気持ちである。
いや、見守ることが当然だと思っていた。主シャンタルが人の世を去ると決めるまでは、そのはずであった。
人を愛するがゆえに何度も人を見捨ててくれるなと懇願したがその願いは叶わず、交代を終えたら主は神域を開放し神の世界に戻ると言う。二千年の間見守り続ける人をこの地に残し。
それが女神マユリアの心を壊した。人に対する想いの深さ、自分の方が主より人を深く想っている、自分こそが人を守る存在である。その想いに懲罰房に巣食う悪意が取り憑いたのだ。
想いは同じ、人を愛するがゆえ、今の生活を続けたいと思うゆえ。その想いが同じだと知った当代マユリアと女神マユリアが共鳴したことで当代は取り込まれてしまった。
「主の真の望みを知った今、俺の心にはもう迷いはない」
ルギの中である言葉がこだまする。
『美しい夢はいいでしょう?』
これは神官長がルギに言った言葉だ。今なら分かる、あの時は神官長が見ている夢だと思っていたが違う。これは当代マユリアが、そして女神マユリアが見ていた夢なのだと。
当時はまだ完全に表に出ていなかった女神マユリアは、神官長にルギを説得するようにと頼んだ。
『この者がわたくしと一緒になるにはまだ時間がかかります。今もまだ、わたくしを受け入れずその存在すら知らぬまま。このままではわたくしは永遠の剣を失ってしまいます。どうか剣の説得を』
その時が来た。ルギは当代マユリアと女神マユリアが同じであることを受け入れた。神官長が蒔いた美しい夢という種が芽を出した。今こそルギはマユリアの永遠の剣となる。
「主のご覧になった夢、その夢をお守りするための存在が俺だ」
ルギはそう言うと主から授けられた剣をキラリと光らせた。
「剣は己の心を持たない、主の意のままに望まれるものを切り裂くだけ」




