29 深い愛情ゆえに
シャンタルとマユリアが間にトーヤとルギという互いの剣を挟んで向かい合っている。その剣は今にもぶつかり合い火花を散らすと思われた。
「シャンタル」
それまでシャンタルの声に震え、問いかけをやめさせようとしていたマユリアがいつもの声でシャンタルに声をかけた。
「何?」
シャンタルもいつものように答える。
「このままでよいのですか?」
「このままって?」
「このままではルギとトーヤが剣を交わすことになるでしょう」
「そうかも知れないね」
「それでよいのですか?」
「仕方ないかも知れないね」
命をやり取りする惨劇の幕が開くかも知れない状況に、シャンタルはこれもまたいつものように軽く答える。
「仕方がないのですか」
「それしかないのなら、それも仕方がないんじゃないの?」
あまりにあっさりと答えるもので、ベルですらその先がどうなるか分かってないんじゃないかとシャンタルの態度に困惑する。
「仕方がないのですね。では、その結果トーヤが命を落とすことになっても構わない、そう思っていると理解してもいいですか」
マユリアは美しい眉をやや寄せて、少なからぬ非難の色を乗せた視線をシャンタルに送る。
「どうしてトーヤが命を落とすと思うの? 私はトーヤは負けないと信じてるよ」
シャンタルはマユリアの心配の方こそ的外れと、きょとんとした顔でそう答える。
マユリアは本当に一瞬だけ表情を止めた後、今度は悲しげな顔になった。
「ではトーヤが勝つ、ルギが命を落とすと思っているのですか」
「いや、どちらもそんなことにはならないよ。トーヤはそのあたりちゃんとやってくれるはずだから」
「おいおい」
さすがにトーヤ本人が口をはさんだ。
「えらく信用してくれてるのはうれしいけどな、この旦那はそう簡単な相手じゃねえんだよ。生かさず殺さずいくのは結構むずかしいだろうな」
「そうなの? でも私はトーヤを信じているから。それにもしも残念なことにそうなったとしても、それはそれで運命だよ」
ここまで言われてしまうとさすがにトーヤと、そしてルギも苦笑を浮かべる。
「ってことで、やっぱりどうしてもやらなくちゃなんねえみたいだな」
「そのようだな」
トーヤとルギがもう一度正面から目を合わせ、どちらの目の中にも相手の姿しか映らなくなる。
「念の為にもう一度だけ言っておく。シャンタルにおやめいただいたらいらぬ血や涙を流す必要はなくなる」
「俺ももう一度言っておくが、シャンタルはやめねえし俺もやめるつもりもない。というかあんた、今でもまだマユリアの犬なのか」
ルギはトーヤの瞳を見つめ続けていたがその言葉に覚悟を決めたように、視線をマユリアに移すと剣を下げて跪いた。
「お許しください、ほんのわずかばかりではありますが、気持ちが揺らいだことがございました」
ルギの告白にマユリアが驚いた顔になる。
「キリエ様よりこのような言葉をいただいたことがございます。互いにただ一人と定めた互いの主に仕え続けてきたと」
「キリエ?」
「はい、申しました」
キリエはマユリアに素直に答える。
「私は侍女として女神シャンタルと女神マユリアに生涯を捧げた者です。侍女は外の方がどの方に代わろうとも中に御座す神にお仕えをいたします。ですがルギは違います。ルギは当時の当代シャンタルであり、現在の当代マユリアに仕える者。ですからその主が人にお戻りになった後、どのような道を選ぶのか考えよとそう申しました。ルギにはその必要があると思ったのです」
キリエは暗に今のマユリアがルギの主ではないと含ませる。
「私がそう申した時ルギは迷っているようでした。すぐには答えが出せぬようでしたので、そこで話を終えて後はルギに任せることにしたのです」
「はい、キリエ様のおっしゃる通りその時から私の心には小さな迷いを生じました。ですがついさっき、その迷いは消えました。シャンタル、あなたのお言葉で」
「私の?」
「はい」
ルギは今度はシャンタルに視線を移す。
「あなたはこうおっしゃった。マユリアの心の奥底から深い愛情を感じる、人を、人の世を守りたいとの愛情をと」
「うん、そうだね」
「その心、それこそ私の主マユリアがお持ちの心、本当の願いだと私には理解できました」
キリエが尋ねた時にルギは迷っていた。それはルギの主が迷っていたからだ。
「ですから今はもう迷いはありません。マユリアの本当の願い、それは永遠にここで人を慈しみ見守りたいということ、そうではありませんか」
ルギはマユリアの瞳を見つめ、その奥で眠っているのであろう当代に向けて語りかけている。
「あなた様が私の主当代マユリアではなく女神マユリアだとしても、その中には間違いなく私の主がいらっしゃる。あなたと同じ願いを持つからこそ、主はあなたを受け入れられた。そう理解できたのです」
シャンタルはルギの言葉を聞いて小さくため息をつく。
「そうだね、ルギの言う通り。マユリアが心の底から嫌だと思えば、おそらく今のようにはなっていなかったと思う。あなたの深い深い愛情を感じたから、同じ想いがあるから受け入れてしまったんだろうね。そしてすっかり乗っ取られてしまった。あなたの一部になってしまった」




