24 キリエとフウの動揺
重い沈黙の中、怒りを伝える小さな震えがゆっくりと大きな動きになり、マユリアは流れるように美しい顔を上げると、同じほどに美しいシャンタルに、正面からまだ怒りを残す黒い瞳をぶつけた。
「わたくしはラーラとは違います」
すでに震えを失いしっかりと発せられたその言葉から、マユリアがラーラ様と同じだと言われたことにあれほどの怒りを見せたのだということがよく分かった。
「わたくしはマユリア、慈悲の女神です。そしてこれからはこの国を女王として守っていく唯一の存在なのです」
マユリアは主である女神シャンタルの存在などなかったかのように、自分だけが慈悲の女神であるかのようにすらりとそう言う。
「ラーラはただの人、これといって特徴もなく、ただ一時期女神の憑坐であったというだけの人でしかない存在です。そのような者とわたくしを並べるなど、たとえあなた様でもあまりに無礼というものです」
決して荒げぬ静かな口調、だがそれだけにそこに含まれる真の怒りを感じ、キリエは困惑をしていた。
いつも本当の親子か姉妹のように仲がよかったマユリアとラーラ様。一番心が通じ合っていられるように見えていたのに、なぜマユリアがそこまでラーラ様を貶め拒むのかが分からない。
(いつもいつもご一緒で、いつもいつも共にシャンタルや国のこと、世界のことをお考えであったのに、なぜそこまで……)
キリエは困惑の視線をフウに向ける。常とは違う道を追う視線を持っているフウならば、もしかして何か思うところがあるのではないかと思ったからだ。
だが、フウはキリエの視線を受けても、瞳を閉じて首を左右に振るばかりだ。こんなフウをキリエは見たことがない。いつものフウならば分からぬことがあっても、いや、逆に分からぬことだからこそ正面からその問題を見極めようとするのに、今は戸惑う視線を見せたくないために目を閉じたのだとキリエには分かった。フウにも今のマユリアの言動は、それほど理解できないものであったようだ。
これが女神マユリアと当代マユリアの違いなのだろうか。神の視点から見たラーラ様は、ことほどさように愚かな取るに足らない存在なのか。家族同然であったとしても、それほど下に見るものなのか。人という存在自体を神はそのように見ていらっしゃるのだろうか。比較のために並べることすらされたくないほどに。
キリエは自分が信じてきたもの、人生を捧げたものに対して一瞬ではあるが反感に近い感情を持ってしまったことに気がつき、恐ろしいことだと思った。
神を信じたからこそ、トーヤたちの敵になっても神の進む未来にお供しようと決めたのだ。それがもしも間違えた道であったとしたら、その時は共に滅ぶ覚悟で。それなのにもしも神が人をそのように愚かで小さく、並び称されることすら嫌悪なさるというのなら、自分は何のためにその道を選んだのか。
叫びだしたくなるような感情を、だがキリエは抑えた。そうさせたのはミーヤとアーダだ。
二人の若い侍女は落ち着いた瞳でマユリアとシャンタルのやり取りを見守っていた。
(この子たちは何かを知っているのだ)
その事実がキリエを少し落ち着かせた。
ミーヤはもちろんトーヤたちととても近く、キリエが知らない何かを知っている可能性は高い。何かを知るからこそ、自分たちとは違う表情で二人の女神を見つめているのだろう。そう思うと少し心が落ち着いた。それだけの理由があり、ミーヤたちはそれを知っているのだと思うと、得体のしれない恐怖がやや薄らいだ。
もちろんトーヤたちも知っているはずだ。なぜそこまでマユリアがラーラ様を否定するのかを。ならば任せるしかない。黙って見守るしかない。
キリエはやや落ち着いた心でそっとフウの腕に手をかけた。フウもそれで落ち着いたらしく、しっかりと目を開きいつものフウに戻ってくれた。フウのその自分に対する信頼の強さにもキリエはまた安心をする。フウもまたしっかりとキリエと視線を合わせ、共に見守ろうという気持ちを受け取ってくれていた。
「どうしてそんなにラーラ様を嫌うの?」
キリエに短いが深い困惑の時が終わったと告げるように、シャンタルがマユリアにそう問いかけた。
シャンタルの問いにマユリアは答えない。
「ねえ、どうしてそんなにラーラ様と一緒だと言われるのが嫌なの?」
シャンタルは容赦なく重ねて問いかける。
トーヤたちは知っている。今、当代の中にいるマユリアの神としての肉体、それが人として生まれた方がラーラ様だと、あの光の場で女神シャンタルから一連の流れを聞いている。マユリアがなぜ今の道を選んだのか、なぜそうなったのかも。
「あなたが人を愛してくれたこと、その愛情の深さから今の道を選んだこと、私たちにもよく分かっているんだよ。それはラーラ様が私たちに向けてくれた愛情と同じだと言ってるんだけど、どうしてそれがそんなに嫌なのか私にはよく分からないんだ。どうしてなのか教えてくれる?」
シャンタルは本当にマユリアの気持ちを理解していないのか、それとも分かっていて言っているのかは分からないが淡々と続け、マユリアはシャンタルの言葉にただ黙ってじっと視線をぶつけるばかり。




