23 思わぬ怒り
立っている紫の影が柔らかく出迎えるように手を差し伸べ、座っている銀色の影がその手を見つめる。マユリアがシャンタルに語りかけていたその立場は、今はすっかり逆になってしまっていた。
「もう一度言うよ、あなたはシャンタルにはなれない」
いつの間にか体の前に引き寄せられていたマユリアの手が、微かに震えている。おぼろにかすみがかかったように、マユリアの姿が紫の影に溶け込むようだ。
「あなたが人を愛してくれたこと、この人の世を守りたいと思っていてくれること、それは全部本当のことだと私にも分かる。それは言葉や頭じゃなくてここで感じることができる」
シャンタルはそっと自分の胸を右手で押さえた。
「そう、感じるんだ、深い深い愛情を。心の奥底、マユリアの心のさらに奥底から人を、表の人のマユリアを見守っていたあなたの気持ち。深い、本当に深い。私はその気持ちを本当によく知ってる。そう、ラーラ様の心、いつもいつも私の心まで包みこんで母の愛情をくれたラーラ様の気持ちと一緒だ」
シャンタルの瞳に暖かい愛情がこもる。
トーヤも初めてラーラ様に会った時に感じたあの気持ち、この方こそが母だというあの気持ちを、シャンタルはもっと近い場所、同じ心の中で感じながら成長していた。ラーラ様と当代マユリアの心の中に受け入れてもらい、肉体という心を隔てる物質を通さず、直接包まれ続けていたのだ。
シャンタルがマユリアの姿を通し、その奥の奥にいるもう一人のマユリア、女神マユリアを見つめた。
「さっき、あなたのことを知らないと言ったけど、あれは訂正します。私は知らないと思っていたけど、あなたはずっと私のマユリアと、そしてラーラ様と一緒に私のことを見守ってくれていた、そのことが分かりました。ありがとう」
心のこもった言葉であった。普段、あまり何を考えているのか分からないシャンタルだが、その言葉は本心から実の姉でもある当代マユリア、母とも慕うラーラ様と同じだけの感謝を、心の奥にいた女神マユリアに向けているのだということが伝わってくる。
シャンタルの言葉は部屋にいた者の心を打った。キリエはこの方がまるで人形であった状態から少しずつ自分を取り戻していった流れを思い出し、そのためにご自分たちを隔離したマユリアとラーラ様を思い胸が熱くなった。共に同じ時を過ごしたミーヤも同じだ。八年前のあの時に戻されたかのように、あの時の感情を思い出す。
八年前のあの時のことを知らぬフウとアーダは、ごくごく素直に今のシャンタルの感情を受け止める。もしも目の前の麗人が全く見知らぬ人であったとしても、これだけの想いに言葉に心を揺り動かされぬはずがない。
アランとベルは、共に過ごした三年間には聞いたことがなかったシャンタルの言葉、そしてそこから感じる想いの深さに軽い動揺すら感じた。いつも、何をしても、人より浅くしか受け止めていないように見えていたシャンタルが、これほどの深い感情を持っているとは、とても思いもしなかったからだ。
そしてトーヤはその中で、感情を一切外には表さず、ただルギに視線を送り、ルギもまた感情を表さずトーヤを見つめていた。互いに心の奥底を見せず、視線だけを冷たくぶつけている。
各々がそれぞれの感情に心を震わせた中、ただ一人マユリアだけは静かに頭を垂れ表情が見えなくなった。
その肩が静かに震えている。おそらくマユリアもシャンタルの言葉に、心に、感情を揺さぶられたのだろうと他の者たちが思っていた時、思わぬ言葉がその美しい唇から美しい声でこぼれてきた。
「ラーラ……、わたくしが、ラーラだと、ラーラと同じだと、言うのですか……」
その言葉には紛うことなき怒気が含まれていることに、聞いた者たちは驚く。
一体今のシャンタルの言葉のどこにマユリアは怒りを感じたのか。キリエは思わず意識のないセルマのことを忘れ、主の元に駆け寄ろうとしたが誰かに止められた。背後を振り向くと、キリエの肩に手を置いたフウが静かに左右に首を振って見せた。行くなと止めてくれている、今はキリエが行っても何もできることがない、そう伝えてくれていることは理解できた。
ミーヤとアーダはマユリアのこれほどの怒りに一瞬息を止め、今の状況が理解できないまま、ただただ主である人を見つめることしかできない。そしてやはりキリエと同じく、今の言葉の何がマユリアに怒りを感じさせたのかとの疑問で頭の中がいっぱいになる。
アランとベルは、これまでの生活の中で身につけた危険を知らせる警鐘に思わず身構える。人は感情の振れ幅の後に何か行動を起こすことが多い。世間ではそれを見逃して命を落とす者も多いのだ。特に戦場ではその一瞬が勝敗を決する。
トーヤとルギだけが凍りついたように互いから目を離さない。アランとベルが感じた何かのその次、マユリアの動き一つでどう動くかを互いに牽制しながら。
シャンタルはいつもと変わらない。自分の言葉にマユリアがどんな反応をしようとも、それは自分とはまるで関係ない遠くの出来事のように、震えている高貴の紫を静かな瞳で見つめ続けているだけだった。
※諸事情でしばらくの間「黒のシャンタル」を休載させていただきます。
事情は以下のリンクからよろしくお願いいたします。
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決して病気や不幸な事情ではなく、なんと言いますか自分勝手な、それでも楽しい事情故ですので、「どうしようもないなこいつ」と笑ってお許しいただけるとうれしいです(笑)




