20 満ちる三日月
「え……」
ベルはマユリアの言葉の意味をなんとか飲み込もうとする、色々な思いが交錯し考えをまとめ切れない。
ベルの家族、父と母は突然の襲撃から子どもたちを守って命を落とし、アランの上の兄のスレイは傭兵となって戦場で儚く散った。それだけではない、アランももう少しでスレイと同じようになるところをトーヤとシャンタルに出会って救ってもらったから、今も元気でそばにいてくれている。
だが、もう少しだけ何かが違っていたらアランも今はおらず、ベルはこの世界で一人きりになっていたことだろう。それも運良く生き延びられていたとしたらの話、実際はすぐにアランの後を追うことになり、この場にベルも存在しなかった。
一瞬でその考えが脳裏を駆け巡りベルは沈黙する。
ベルの境遇はここにいる全員が知っている。ベルの沈黙の理由を聞かずとも理解できた。
「神の加護のない世界、ベルもそれを望みますか?」
マユリアがどこか冷酷な響きを帯びた声でそう聞いた。
望むはずがない。誰がそんな世界を望むだろう。だが望まぬと言うことは、この女神の望む答えを口にするということだ。ベルはそう思って口を開くことができない。
「つまり、神の加護がなくなったらシャンタリオにも戦が起きるって言ってんだな。そしたらこっちにも俺らの仕事が増えるってわけだ、結構なことじゃねえか」
トーヤが笑いながらそんなことを口にした。
「神の加護がなくなったら戦のある国になるってことは、アルディナは神の加護がないってことか。もうずっとあっちこっちでちゃんちゃんちゃらちゃら戦争やってるもんな、それこそ千年も二千年も。おかげで俺みたいなもんもなんとか食ってけるってもんだ、戦争様々だぜ」
冗談口で言ってはいるが、その目の奥には暗い炎が燃えているのが分かった。
「なあ、女神様よ、そのへんのことはどう説明するつもりだ。わざわざベルの気持ちをひっかくような真似したんだ、アルディナで戦がなくならない理由を教えてもらえるんだよな。アルディナの神域と言われてる俺らがいた世界は光の女神アルディナに守られた世界で、アルディナってのはシャンタルより上の神様のはずだ、そのぐらい不勉強な俺でも知ってる。その一番えらい神様が守ってるのに戦争まみれってのはどういうこった、え?」
トーヤの言葉には冷え冷えとした怒りがこもっていた。
トーヤが怒りをぶつけてくれたおかげで、アランはベルをしっかりと抱きしめてやることができた。もしもトーヤがそうしてくれなければ、ルギにどうされるかを考えることもなく、マユリアに斬りかかっていったかも知れない。
アランとベルは戦で何もかもを失った。その傷は永遠に癒えることはない。癒えることはなくても生きている限り、生き残った限りは生き続けないといけないのだ。
貧しくとも家族が揃って食卓を囲む。そのテーブルの上にいかに粗末なものしか乗っていなくとも、同じ時間をともに過ごせることのどれほど幸せであることか、それをアランもベルも痛いほどよく知っている。
父と母と兄とアランとベル。五人で欠けることのない満月のようだった幸せは三日月のように欠けてしまった。決して満月に戻ることのない三日月に。だが、三日月だけのはずの人生にも、また新たに満月のような幸せな時はやってくるのだと、アランもベルも知っている。
戦場でなんとか這いずるように生きていた二人がトーヤとシャンタルに救ってもらい、共にすごしたこの三年、何度も満月のような幸せな時を持つことができた。
四人が生きているのは戦場、過酷な世界だ。特にトーヤとアランは剣を振るって人の命を奪い、自分たちもいつそうなるか分からない。できるだけシャンタルとベルは守るようにしているし、シャンタルの魔法もある。その分は他の傭兵集団よりは恵まれている意識はあるが、それでもいつ何がどうなるか分からないのは同じだ。
それなのにいつからだろう、戦闘が終わった後の夜、他の傭兵たちも一緒にほんのひとときその日の無事を祝い合う時、戦場から離れて安心な場所でゆっくりと眠る時などに、まるで自分が何も失ってはいないように感じてしまうようになったのは。特に四人で同じ食卓を囲んでいる時、トーヤとベルがいつものようにじゃれあって、それをシャンタルと共に呆れながら笑いながら見ていると、まるでこれが欠ける時のない満月のように感じてしまうのだ。
自分の人生から決定的に大切な存在が失われているというのに、どうして自分はこんなに幸せを感じているのだろうと、なくした家族に申し訳なく思ったこともある。彼らがいないのに幸せを感じている自分のことが不思議でたまらないことも。ベルも同じだ。トーヤとシャンタルと離れたくない、単純で素直だけにその思いはアランより一層強いように感じる。
そのベルの心の傷をこじあけ、満月の欠けた部分を突き刺したようなマユリアの言葉に、アランは彗星の尾をつかんで突き刺してやりたいと思った。燃える頭を持ち長く尾を引く彗星を、このとてつもなく美しい高貴の紫に包まれた女神に突き刺して、磔にしてやりたいと。




