6 嫉妬
自分には話してくれなかった本当の心をマユリアはトーヤには話した、そしてそのことでトーヤがマユリアの心の奥底を知った。ルギは衝撃を受けると同時に、燃えるような激しい感情をトーヤに抱いた。
こんな感情を自覚したのは初めてだった。あの日、当時のシャンタル、当代マユリアに出会ってからはルギの人生は全てマユリアのためにだけ存在していた。他の誰に対しても何かを思うことなどなかった。ルギの世界にはマユリアしか存在していないに等しかったからだ。
それはマユリアを後宮にと望んだ前国王にも、もう一人の妻にと申し出た現国王にすら、抱いたことのない感情だった。
もしもマユリアが本当に後宮に入っていたとしても、それがマユリアの望みであり、かつルギにそばにいて欲しいと望んでいたとすれば、ルギはそのまま後宮衛士としてマユリアに仕え続けたことだろう。
それはルギのマユリアに対する感情が神へのものであり、決して男女の愛情などではなかったからだ。マユリアがどのような道を選ばれてもルギはその選択に粛々と従う。それがマユリアの道であればルギの歩む道でもあったからだ。
もちろんルギにも大切に思う人はいた。ルギを一人前の衛士に育ててくれた当時の衛士長ヴァクト、衛士の先輩たち、部下たち。今はいない家族たち。八年前の出来事で関わり深くなった者たちももちろんそうだ。その中でも唯一の友人と言っていいダルとは自分でも驚くほどの深いつながりができた。
だが、そのような「人」たちとて、マユリアという「神」と並べることなど考えることもできない。いや、マユリアという「神」がいるからこそ、「人」に対しても情を感じることができるのだ。もしもマユリアのためにその情を感じる「人」たちを切り捨てろと言われたら、ルギは何の迷いもなく捨てるだろう。
そのマユリアが迷っていた。主が迷えば剣であるルギも迷う。迷うルギの心はずっと揺れ続けていた。そしてその主が迷った理由がこの男ではなかったのかと思った時、ルギの心には火が点いた。
――嫉妬の火が――
「なあ、どう思うか聞いてんだよ」
トーヤはそんなルギの心を知ってか知らずか、さらに追い立てるようにそう聞いた。
「マユリアのお心のことなど俺には関係がない」
ルギは振り絞るようにしてそう言い、その口調が今までになかったものであることにトーヤも気がつく。
「マユリアが何をどうお考えになられようが、俺は下された命のままに動くのみだ」
これまで通りマユリアの為にだけ生き、マユリアの為にだけ動き、そしてマユリアの為に死ぬ。その道だけを見つめるしかこの心の奥の火を封じる方法はない。ルギはそのためにも剣であることに徹するしかなかった。
「もしもマユリアがご両親の元へ戻り家族として暮らしたいとお望みなら、その望みを叶えるためにできることをする。もしも宮に残り今までの生活を送りたいとお望みなら、その望みを叶えるためにできることをする。そしてもしも海の向こうへ行ってみたいとお望みなら、俺が海の向こうへお連れする」
ルギにはそれしか道がなかった。
「俺はマユリアの剣だ、マユリアがお望みの道を切り開く剣。その邪魔をする者は何者であっても許さない」
ルギが腰の剣に手をかけた。
「それがたとえ誰であっても許さぬ」
トーヤはじっとルギを見つめる。きっとそうなるだろうと思っていた方向に道は進んでいるようだ。
ルギは何があろうとマユリアを疑うことはあるまい。だとするなら心のない剣になるしかない。トーヤには分かっていた気がする。
「じゃあマユリアに教えてもらおうぜ、隊長」
トーヤはふざけたような口調でそう言いながら、真剣な視線をルギにぶつける。
「なあ、そうしようぜ。あんたが自分で聞けないってのなら、教えてもらうしかないだろうが」
ルギの主である当代マユリアが今どうしているのかトーヤには分からない。だが、ここまで来てもルギが今のマユリアに従うというのなら、もしかしたらすでに表に出てきた女神マユリアに飲み込まれてしまって身動きが取れない状態にある可能性がある。もしくはもっと絶望的な状態、すっかり同化させられているということも。
それでもトーヤが気づいた当代マユリアの奥の奥にある気持ち、煎じ詰めれば女神マユリアの想いと一緒であると知ったその想いに訴えれば、もしかして当代を取り戻すことができるのではないかと淡い希望を抱いてもいる。
そのためにも確かめたい、今のマユリアの状態を。
「マユリアが進みたい道をあんたが自分で確かめるんだ。それが俺らの望んでるのとは違う道だとしたらその時は、分かってるよな」
トーヤはルギの持つ剣にははるかに及ばぬが、これまでトーヤが持ったことがない装飾が付いた貴族らしい造りの剣をキラリと光らせた。これは神官長室でヌオリから取り上げた剣だ。セルマを傷つけた時の血曇りがある。
「自分の剣でなくていいのか」
ルギもすでにその道に進むと決めているらしく、一言そうとだけ答える。
「自分の剣か、そんなもんはねえな。その時手に入った剣が俺の剣だ」
トーヤがもう一度キラリとヌオリの剣を光らせた。




