3 具体的な殺意
トーヤは少し下を向いて一言を絞り出したルギを、あえて下から突き上げるようにして見上げた。頭ひとつ身長が低いことを存分に利用して。
「そんで、マユリアの三つ目の夢、隊長は聞きたいの? 聞きたくないの?」
ルギは何も答えず立ったままでいるが、瞳の奥から今にも怒りが火を吹きそうだ。
「まあいいや、あんたの気持ちはどうでも。俺は教えたいから教えとく。マユリアの三つ目の夢、それはそのままこの宮にいることだ」
トーヤはルギに答える隙を与えず三つ目の夢を伝えた。
「このままずっと、宮で今までのように暮らしたいだとよ。俺としちゃこれが一番本音じゃねえかと思う」
ルギはやはり何も反応をしない。
「だってそうだよな、生まれてからこれまでずっと神様神様って崇め奉られてきてよ、交代が終わったらもうおまえもそのへんの奴らと一緒だって言われたって、どうしていいか分からねえってもんだろうが。そうだな、俺があの日、嵐の海から助けられて目を覚ましたらいきなり助け手様ってのに祭り上げられたのとちょうど逆だ」
トーヤは姿勢を直すと今度は首を上げるようにして、やれやれという風に左右に振った。
「あんたもあの時に聞いただろうよ、俺がどういう生まれ育ちで、どうやって生きてきたか」
ルギも聞いている。トーヤをあの秘密の洞窟で捕獲して謁見の間に連れ帰った時、トーヤは自分のことを洗いざらい話し、その上でマユリアにこう言ったのだ。
『俺は傭兵だ、だから、何かをやらせたいならその方法は唯一つ、金だ。金を払えばなんだってやってやる』
そしてマユリアは傭兵トーヤの腕を買うことになった。
まるで夢の中の出来事のようだったとルギは思う。
「そうそう、あんたの顎にその傷を作った時だよ」
トーヤに言われるまでもなくルギも思い出していた。
「やり損ねちまったんだよなあ」
トーヤの言葉にあの時の熱さが顎によみがえる。
「かなり薄くなってるよな、こうして見てもほとんど分からねえ」
あの時の思いもよみがえる。
取るに足らない相手だと思っていた。ダルとの訓練の様子を見ていて腕のほどは分かっていると思っていた。そこそこはやるようだが、しょせんは自分には敵わないほどの腕前と判断した。模擬刀で斬りかかられ、適当にあしらってほどほどのところまで遊ばせたら力の差を思い知らせて、観念したところを宮へ連れ帰ろうと思っていたのだ。だが、それが読み間違いだとあの瞬間に知ることになった。
『しくじった……』
そう言うトーヤの手に光るナイフを目にした時、とてつもない恐怖がルギを襲った。
トーヤが本気でルギを殺そうと思っていたことを知った。もしもあの時本能的にほんの少し身を引いていなかったら、トーヤのナイフは遠慮なくルギの喉元を切り裂き、間違いなく命を落としていた。
これが戦場を生きる傭兵というものか。冷や汗が思わず流れた。
いくら国一番の腕前、剣の達人と言われていたとしても、ルギはトーヤのような剣は知らない。生き残るため、なりふり構わぬ剣は。
だがもうそれも見せてもらった。次に剣を交える時には油断はしない。必ず自分が勝つ。その自信はある。そして自分ももう知っている、殺意というものを。
千年前の託宣を知ったトーヤは怒り狂い、二つの残酷な条件を突きつけた。その最初の条件が金だった。自分は傭兵、金で動く存在だとマユリアから「仕事」を請け負ったトーヤが金額という条件にさらに付け足したこと、それがルギにも金で動けというものであった。
『ついでに言っとくな、これは嫌がらせだ』
本人が言ったように、それ以外の目的はなかったと思う。
だが、その効果は絶大だった。ルギはあの出会いの時からただひたすら、当時のシャンタルであり現在のマユリアのためにだけ生きてきた。マユリアを支えるためならどんなことも苦にはならなかった。厳しい武芸や体術の訓練も苦しいとすら思わず励んで身に付けることができた。必要な学問があれば寝る間も惜しんで学び、必要であれば、礼儀作法だけではなく音楽やダンス、貴族ではないが貴族としての振る舞いまで何もかもを全力で自分の物とした。
全ては聖なる森を通り抜けたあの日、自分が見つけた運命を受け入れてくれたマユリアの期待に応えるため、決して恥をかかせぬためであった。
そこには損得の感情は一切ない。ただただマユリアの為、マユリアの物である自分であるための物だ。
そこにトーヤは金という世間で一番俗な関係を持ち込んだ。マユリアから報酬を受け取れ、受け取れぬのならば自分も仕事を受けないと脅しをかけ、無理やりにルギの手に高額の報酬を押し付けた。
屈辱だった。高潔な神への想いを踏みにじられ、穢されたと感じ、ルギは初めて人を殺してやりたいと思ったのだ。
家族を全員失った時にすら感じたことがない具体的な殺意。トーヤにしかできないことがある、それを盾に取って人の心を弄ぶかのようなその行為に体中の血が逆流した。
その殺意を抑えることができたのは、ただ一つ、マユリアからの命がなかった、それだけのことだ。
もしも主の命があるならば、聖なる剣ですぐにもこの邪な存在を抹消してやりたい。ルギの中でその想いが膨れ上がる。




