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21 運命の刻

 運命の日が来た。神官長の夢が叶う日であり、その人生の終わりのとなる日が。


 神官長の心は穏やかだった。今日で自分は一生を閉じる、普通の人ならば来るのが恐ろしいそんな日を、幸福に包まれて静かに受け止めている。人生の全ての望みが叶うその時を想うだけで、全身が泡となって空気に溶け込んでいきそうだ。


「だがその前にやらなければならないことがまだある」


 それは気の重い作業であったが、誰かに任せることのできる作業ではない。


 何よりも時間を合わせるのが難しい。早すぎても遅すぎてもだめだ。神官長はもう一度その時のことをじっくりと組み立て、繰り返し間違いがないように何度も何度も頭の中で繰り返した。


 婚儀の予定は午後からだったが、マユリアが当日の朝、予定より少し早く神殿に行くと侍女頭に伝えることになった。これは、神官長の命の火が消える時間がほぼ分かったからだ。


「明日の午後、そう遅くはない時間にその(とき)が来ます。」


 昨夜、最後の打ち合わせにと呼ばれた時に告げられた。


「近くになり、かなり正確なことが見えました。ですから婚儀の時間を早めましょう。予定の通りでも間には合うでしょうが、その時をゆっくりと過ごしてもらいたいのです」

「私のために」

 

 神官長は感動で胸が張り裂けそうになったが、マユリアは悲しげに目を伏せてゆっくりと首を左右に振るばかり。


「わたくしにはあなたのためにやってあげられることが、もうそれしかないのです。これまでどれほど尽くしてもらったことか。許してください」

「何をおっしゃいます!」


 神官長はマユリアの瞳に涙が浮かんでいるのを見て、思わず自分の目も潤んでくるのを感じた。


「以前も申し上げたことががございます。もしも、我が美しき主との出会いがなければ、私の人生はどれほど味気なく、色のないものとなったことか。いえ、それだけではなく、私は今はすでに生きる屍としてどこかの部屋でただひたすら朽ち果てるのを待つばかりの命であった。それを主にこのように思っていただけて、あろうことか涙までいただけるとは……」


 神官長は言葉の最後を涙と共に飲み込む。


「私の残りの人生で残る不安や心配は、うまくこの命の最後を主にお捧げすることができるかどうかだけなのです。どうぞ、その時を見逃さぬよう、どのような状況でその時がやってくるのかをお教えください」


 神官長は深く深く頭を下げ、主に告げられる運命の(とき)を待つ。


「メレ……」


 神官長の頭上から、美しい声が憂いを帯びてそう呼びかけた。


「三度目です」


 神官長は付したままその言葉を受け止める。


「まず最初に起きた時、それはごく小さなものです。あなたの心臓が一つ小さく震え一瞬止まります。心臓から送り出される血液が滞ることにより、頭の中の世界を小さく遠く感じることでしょう。その時にはまだ何も起きることはありません。すぐに動き出した心臓が、また元のように血液を全身に巡らせてくれるからです」

「はい」


 最初は何も起こらずと神官長は心に刻む。


「二度目もほとんど同じです。また同じことが起きた、そう思うだけのこと」

「はい」


 二度目も同じくと神官長は繰り返す。


「三度目です」


 先ほどと同じ言葉を神官長は重ねて聞いた。


「三度目も同じく心臓が一つ震え、やはり世界が小さく遠くなっていくのを感じます。ですがその後、そのまま世界は小さくなり続け、やがて闇に飲み込まれます。なぜなら心臓は再び鼓動を打つことがないからです。その時が」


 マユリアは一度そこで言葉を切った。


「あなたの命がその身から去る時です」

「はい」


 神官長は自分の最期の時を淡々と受け止める。


 自分でも不思議だが、明日、人生が終わると教えられても何も恐ろしくなかった。むしろ、今の古い肉体を脱ぎ捨て、主の命の一部となるのだと考えるだけで、震えるような歓びを感じる。形は違うものとなっても永遠の命となるのだ、そのことに感謝を覚える。


 神官長はその刻を知り、その刻に向けて色々なことを修正してマユリアと話し合った。


 明朝、マユリアが婚儀を早めたいと侍女たちに告げ、その知らせに合わせて様々なことを調整していく。シャンタル宮や王宮、神殿だけではない。外にいるタンドラのような者たちへの連絡、ヌオリたちへの連絡。やることは山ほどあり、考えてみればなんとも面倒な作業が増えたことだが、それは何もかもマユリアの神官長への思いやりであり気遣いである。その事実が神官長の心を(はや)らせる。


 運命の日の朝になり、予定通りすべてのことを前倒ししていく。周囲が慌てているため、神官長は役目ながらなだめる姿勢を見せながらやはり慌てている(てい)で指示していく。


「神のご指示です。大変なのは分かっていますが、ご意思に沿うように動いてください」


 少し困ったように、以前の神官長に戻ったかのように弱気に神官たちに頭を下げると、言われた者たちもそれ以上は何も返せず、素直に指示に従ってくれた。


「それから、婚儀の間は皆、遠くに離れていてください。神殿にはマユリアとその付き添いの宮の者、それから国王陛下と私だけと定められています」


 うまくうまく、神殿から不要な人間を遠ざけることもでき、後は運命の刻を迎えるだけとなった。

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