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19 選ばれし相手

 先ほど(あるじ)は「人の命の重さは同じではない」とおっしゃった。それは一人の人の人生の始まりから終わりのことだとばかり思っていたが、それだけではなかったと神官長は考える。


 これだけ尽くし、これだけ捧げても、主に永遠(とわ)の相手と認めてはもらえぬ己の存在の軽さ。神殿の御祭神に聖なる湖で見たことの意味を問い、(こた)えがなかった時と同じぐらい惨めな気持ちになった。


「ちがうのです」

 

 マユリアは悲しげな表情のまま続ける。


「あなたを必要ではない、認めぬと言っているのではありません。それは分かってもらいたい」


 そう言われても神官長の心の中の氷は溶けてはくれない。分かれと言われても分かるはずもない。


「どう言えば伝わるのでしょう」


 マユリアはこれまで見た人の中で一番悲しげに神官長には見えた。その悲しみは嘘ではない、そう理解はできた。だからと言って凍った心にぬくもりが戻るはずもない。


「メレ」


 またマユリアが名を呼んでくれたが、前のように染み入るようには聞けない。


「聞いて下さい」


 お聞きしましょう。そうは思うのだが、本当にその言葉が耳から心に届くことがあるのだろうか。


「知恵と剣にはそれぞれに役割があるのです」

 

 その言葉でマユリアが、主が共に歩もうとしている者の姿が神官長の脳裏に浮かんだ。


 ああ、そうなのか。あの者を選ぶのは当然だ。そんな気持ちがうっすらと浮かぶ。選ばれたのはまさにふさわしい者だった。


「違うのです」

 

 何が違うと言うのだろう。


「あなたの知恵と努力によって理想の国、女神の国の(いしずえ)は築かれつつあります。そのことをわたくしがどれほど感謝しているのか、この心が分かってもらえるでしょうか」


 そのお言葉はありがたい。神官長はまだ冷えた心に少しだけ温かみを感じた。


「そして築かれた国を守るために必要になる存在があるのです。これまでのこの国には不要でありながら、この先には必要になる存在が。それが何か分かるのではないですか」


 神官長は分かると思った。主のためにできることは全てやった、これからも時間の許す限りは全てやると決めてもいるが、ただ一つだけやれないことがある。おそらくそのことであろう。


「そう、剣です」


 ああ、やはり。ならば仕方がない、おっしゃることももっともだ。神官長はやっと冷静な心が戻ってきているのを感じていた。


「そうなのです」

「はい」


 やっと神官長は返事をすることができた。そのことでマユリアの表情にも少し柔らかさが戻る。


「この国は変わろうとしています。これまでは女神シャンタルの慈悲という名の結界に守られていたこの国から、シャンタルは去ろうとしてます。残された人を守るためにわたくしが、引き続きこの国を守るために、人の(いただき)に立ち、女王としてこの国を守るしかなくなるのです」

「はい」


 その通りだ。そしてそのことは神官長が夢見ていた女神が直接この国を、人を()べてくださることと同じだ。神官長はやっとその言葉を受け止める心が戻ってきたことを感じていた。


「慈悲の心で包むだけではなく、人もまとめていかねばなりません。この国が出来た時、女神シャンタルが信頼して人の頂きにと選んだ当時の国王、それに続く子孫たちは本当に立派な人たちでした。ですが、長い年月がそれを変えてしまった、今の王家にはすでにその力がないのです」

「はい」


 神官長の答えを聞き、マユリアの顔がさらに穏やかさを取り戻してきた。


「これからこの国を守るためには剣が必要となるのです。もしもあなたにその剣を振るうことができたのなら、わたくしは迷わずあなたをそばに置くことを選んだことでしょう。ですが、知恵と剣は違うのです。分かってくれますか」

「はい」

 

 答えざるを得ない。知恵である神官長には、心ではなく頭で受け入れなければならないことが分かってしまう。


「ただ一つ問題があるのです。助けてくれますか、メレ」

「え……」


 主が、女神が自分に助けを求めるなど。それも神官長としてではなくメレという個人としての自分に。


「永遠に共に並び立つには心が寄り添うことが必要なのです。ですが、未だあの者はわたくしの物ではありません」

「え?」


 マユリアが言っている「あの者」が誰であるかは言うまでもない。誰もがあの者はマユリアの物であると知っている。あの者の忠誠はマユリアにだけ捧げられている、疑いようのない事実だ。それがなぜ。


「わたくしの物ではないのです」


 もう一度マユリアはそう言うと悲しげに首を振った。


 神官長にはマユリアの言っている意味がよく分からなかった。


「あの者の忠誠はわたくしに捧げられたものではないのです。あの者の心はこの者にこそ」


 マユリアはそう言うと弱々しく首を振り、そっと右手を自分の胸に当てた。その仕草を見てやっと神官長にはその意味が分かった。


 あの者、ルギが忠誠を誓い心を捧げたのは女神マユリアではなく当代だ。出会った当時のシャンタルであった当代マユリアなのだ。


「この者がわたくしと一緒になるにはまだ時間がかかります。今もまだ、わたくしを受け入れずその存在すら知らぬまま。このままではわたくしは永遠の剣を失ってしまいます。どうか剣の説得を」


 女神マユリアが神官長に頼んだのは難題であった。

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