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17 その時を

 神官長は澄み切った眼をまっすぐに我が(あるじ)に向け、そのまま動かずに続ける。


「この命、もしも今すぐに渡せと仰せなら、今すぐ召し上げてくださって構いません。ですが私のような粗末な人間でも、まだまだ主のためになせることがあるはず、できうる限りお役に立ってからこの命を捧げたい、その想いもございます。されど、主がもうおまえはいらぬ、この先はご不用と(おぼ)()しならば、ただ一言だけ、今までよう役に立ってくれた、そうお言葉をいただけぬでしょうか。その一言をありがたくいただき、もうそれほどの価値もございませんでしょうが、この命を捧げさせていただきます」


 神官長の言葉は熱を帯びるでもなく冷めるでもなく、ただ心をそのまま言葉に変えたものであった。マユリアは美しい顔に困惑を浮かべ、黙って神官長を見ることしかできずにいる。


「このメレめに主の御心(おこころ)をお伝え下さい。まだ尊き主のお役に立てることがあるのかどうか、どれほどの時間が残されているのか、そして主はこの人としては古い者に何をお求めなのかを」


 マユリアは神官長の言葉に困り切るばかり、どう答えようかと考え込んでいるようだった。


「我が美しき主よ、こうしてあなたと対面できる時間はまだまだ短いと存じております。逡巡(しゅんじゅん)は無用のこと、ただ一言お命じくださればいいのです。生きよとも、命を捨てよとも」


 神官長があくまで真摯(しんし)で真剣であることはマユリアにも伝わった。


「メレ」

「はい」


 神官長はやっと言葉をいただけたこと、それも名を呼ばれた喜びから声に熱を帯びさせる。


「そうではないのです。あなたの働き、あなたの心、どれ一つとしてわたくしに不用なものなどありません」

「おお……」

「そのあなたの働きの上にある夢の国、その姿を見せられぬことがつらいのです。それで思わずあのようなことを」

「いえ、伺ってよかったと思っております!」


 神官長は身を乗り出して続ける。


「もしも何も知らぬうちにその時になったとしたら、私はどれほど深い後悔のうちにこのつまらぬ人生の終わりを迎えたことでしょう。期限がある、その日を知ることができる、その時まで精一杯生きられるということです。どうぞその日を私にお告げください。そしてできうるならば、その時まで命の限り仕えよとご命令を!」


 言い切ると神官長はそれまで座っていた椅子から降り、床に這いつくばるようにして頭を下げた。


 マユリアは痛ましい思いを顔に浮かべたが、やがて決心したように神官長に声をかけた。


「分かりました。あなたのそれほどの気持ちに応えましょう」

「ありがとうございます!」

 

 神官長は一度頭を上げて礼を言うと、もう一度同じように床に額を擦り付ける。


「まずは座り直してください。このままでは話を続けることができません」

「はい」

 

 神官長は言われた通り、もう一度与えられていた椅子に座り直した。


「交代の直前です」


 その時のことであろう。


「可能性です」


 マユリアはあの光がトーヤたちに言ったのと同じ言葉を口にする。


「人の辿る道はどれも可能性の積み重ねなのです。ですから、あれはおそらくあなたが懸命に尽くしてくれたその先にあることではないかと思っています」


 マユリアのこの言葉に神官長の表情がぱあっと明るくなった。


「では、私がこれまでやってきたこと、これからやること、どれも主のお為になること、無駄なことではないということなのですね」

「ええ、そうです」

「なんとありがたい」


 神官長が涙ぐんだ。


「そう、あなたの働きあってのことです。わたくしは知っての通り、思う通りに動けぬ状態にあります。その手足となり、いえ、手足以上の働きをしてくれていることよく存じています」

「ありがたきお言葉……」

「それゆえにつらいのです。あなたに終わりの時を告げることが。あなたを失うその日が来るのが」

「ああ……」


 神官長はあまりの感激に言葉を失い、ただただ黙って涙を流した。


「この三年、この先の宮のためにセルマを見つけ、代替わりの準備も順調に進めてくれました。秘密を知ったセルマは新しきこの国の為政者、女王マユリアをよく支えてくれるでしょう」

「はい」

「それだけの土台作りをしてくれたあなたがその結果を見ることなく命を失う、それはわたくしにとってもつらいことなのです。分かってください」

「ありがたきお言葉です」

「命の限り尽くしたい、その言葉は感謝と共に受け取りましょう。それでもその残りの生命を捧げたい、その望みを受け入れるわけにはいかない、そう思っていました」


 マユリアはそこで一度言葉を切り、思い切ったように言葉を続ける。


「ですがさきほどのあなたの言葉、見ることのできない理想の国とありたい、その命を捧げ、わたくしと共に永遠(とわ)にいたい、わがままを言いたい、その言葉に気持ちが変わりました」


 主の言葉に神官長の目がキラキラと輝いた。まるで新しい発見をした少年のように、輝く未来をその瞳に映したかのように。


「では、私のわがままを受け入れていただける、この命を捧げることをお許しいただける、そう受け止めてよろしいでしょうか」

「ええ、許します」

 

 マユリアは美しい笑みと共にそう伝えた。

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