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16 メレ

 その日、神官長は期待を込めてマユリアの客室へと向かった。そして久しぶりの対面は叶った。


「久しぶりですね」


 入れ替わりに表に出てきた女神マユリアは、そう言いながらもどことなく浮かない顔をしていた。


「時間もないことですし、話を始めましょう。あなたの聞きたいことも分かっています」

「はい」


 神官長は深々と頭を下げる。やはり主は分かってくださっている。そして真実を話してくださる。


「メレ」


 思いもかけない言葉に神官長の時が止まった。


 それは神官長の名。生まれた時に両親からもらった唯一の大切なもの。神官長の席に就いて以来、(なが)年月(としつき)に渡り久しく呼ばれることのなかったその名。神官長本人ですらすっかり忘れ去っていた懐かしい響き。


「メレ」


 美しい主はもう一度その名を口にする。


「は、はい」


 一体いつぶりだろう、この名で呼ばれ、その呼びかけに答えるのは。神官長になる前の役職の時は複数名がいたため、名前の下に役職名を付けて呼ばれていた。だから二十数年ぶりだ。神官として当代マユリアの母を迎えに行った時は、まだ神官長になる前だった。


「長い付き合いになりますね」


 神官長の心を読んだようにマユリアが続ける。


「知りたいのですね」

「はい」


 神官長の即答にマユリアはまた顔を曇らせた。


「本当は人が知ってはよいことではないのです。いえ、知ってはならないこと。それでも知りたいですか」

「はい」


 神官長には予感があった。それはほぼ確信に近い予感だ。決して感情的に判断したのではなく、主の様子からそれしかあるまいと結論を出したことだ。


「メレ」


 マユリアはもう一度名を呼ぶ。


「あなたの命の火が、美しい理想の国の完成のその前に消えるからです」


 ああ、やはりそうだった。はっきりと聞いて神官長はかえってホッとした。


 神官長としてではなく、メレという名の一人の人間としての運命を主は伝えてくださった。


 長い間、自分は一人の人ではなく神官長という名の自分とは違う人間の人生を生きてきた気がする。その偽りの人生の最後にこのように素晴らしい出会いがあった。


「感謝いたします」


 神官長は満面の笑みを浮かべた。


「命にはいつか終わりが来るもの。何もせずにその時を迎えるのではなく、いくばくかでも理想の国の(いしずえ)になれたことを。主のお力になれたことを」


 たった今、その時が来てももう悔いはないと神官長は本心から思っていた。


「これも本来はお聞きしてはならないことなのでしょう。ですが、お教え願えればありがたい。その時はもうすぐ近くなのでしょうか。私が主のために力を尽くせる時は、どのぐらい残されておるのでしょう。その時まで、できる限りのことをさせていただきたいのです」


 神官長の心からの願いであった。


「ありがとう」


 神官長の言葉にマユリアは影を帯びた笑みを浮かべた。


「ですが、人の世の時にすればまだもう少しあるのです。今日、明日という話ではありません」

「ああ、なんとありがたいこと」


 ではまだ自分にはやれることがある。


「それがいつの時かをお聞かせいただけるでしょうか」


 神官長の言葉にマユリアは困った顔になる。


「本来なら人が知ってはならぬこと、知らずにいた方が良いことなのです」

「ですが、その時を知らねば私は安心して残りの時を生きることはできません」


 神官長は真っ直ぐな瞳を主に向ける。


「どうぞお教えください。最後のその時まで主のために私の時を使いたいのです」


 そこまで言って、神官長はふと気がついた。


「いえ、そうではない。私の残りの命を(あるじ)に捧げるということは可能なのでしょうか」


 この言葉にさすがの女神も表情を硬くする。


「私の残りの時をできうる限り理想の国、美しい国、真の女神の国とその永遠の主のために捧げさせていただくのはもちろんです。ですが、自分の終わりがどのような形で訪れるのかを推し量ることはできません。もしも動きたくとも動けぬようになった時は、それ以上ご助力することは叶いません。もしもそうなるようなことがあるならば、残りの時を、主に捧げさせていただきたいのです」


 とんでもない申し出であった。さすがの女神もそこまでのことは予想をしていなかったらしく、困った顔になる。


「だめでしょうか。私ごときのつまらぬ者の命、お受け取りくださいなどと申すこと、身の程を知らぬことでしょうか」

「そうでもはないのです」


 マユリアは悲しそうに目を閉じて首を振る。


「確かに神の中には人の命を受け取る神もあります。ですが、慈悲の女神シャンタルは、(にえ)を求めたことも受け取ったこともないのです。人に与えることはあれど、奪うことはないのです」

「奪う、ですか」


 神官長は少し傷ついた表情になると、


「決してそのように思ってはおりません。もしもそのようにお受け取りになられたとしたら、私の言葉の使い方のせいです。申し訳ありません」

 

 そう言って深く頭を下げてから、あらためて顔を上げた。


「私の望みは真の女神が統べる国、美しい国、理想の国を作ること。ですが、私の命はそこまで(たも)つことはできぬと知りました。ならば、せめてこの命を主に受け取っていただき、永遠(とわ)に共にありたい。そのような私のわがままなのです」


 神官長の顔は誇らしげに輝いていた。

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