15 内なる女神
「それでは、今後はこの手順で宮の業務を神官にも受け持ってもらうこと、そのように決めることにします」
天からの声が神官長をハッと覚醒させた。
「はい、ありがとうございます」
「ご苦労さまでした」
マユリアの表情にいつもとは違う称賛を神官長は見てとった。
「これだけの物を極めて短時間でまとめあげてくれたとキリエからも聞いております。本当にご苦労様でした。また別に何か労いの品を考えたいと思います」
「い、いえ、そんなめっそうもない!」
思わぬ言葉に先ほどの反感もどこかに去りそうになったその時、
「それほどのことをそのように固辞してどうします、あなたにはこれからもっと活躍してもらわなければならないのですから」
明らかに違う方の言葉だと神官長は感じた。
「この者があなたに良い感情を抱いてくれたことで気持ちが近くなりました。やっと会えましたね」
「お、おお……」
間違いない、この間のお方だ。マユリアとは違うマユリア。自分を理解してくださるマユリア。思わず神官長は崩れ落ちる。
「わたくしはマユリアです」
神官長が待ち焦がれた方が名乗った。
「そう、マユリアの中にいる女神のマユリアです。わたくしこそがマユリアなのです」
やはりそうだった。神官長は喜びに震えた。
「聖なる湖の出来事」
時間がないからだろうか、女神は唐突に話を始めた。
「あれを見たあなたの力を借りたいのです。あなたが夢見ている女神が統べる国、美しい国を現実のものとするために」
ああ、やはりそうであった。このお方は自分の心の奥深くに秘めていた秘密、真の女神が統べるシャンタリオを夢ではなくするためにお出になられたのだ。
「此度はわたくしとこの者の気持ちが近しくなり、こうして長く時間を取ることができました。ですが、まだまだわたくしの力は弱い。少しずつ表に出てくる時間を伸ばせるように諸々を整えていかねばなりません。そのためにあなたにも力を尽くしてもらいたいのです」
「はい、それはもちろん!」
神官長はまるで少年のように朗らかに答えを返した。まるで半世紀も前に戻ったかのような気持ちだ。
「わたくしの夢とあなたの夢は一つ、そのためにお願いいたしましたよ」
「はい、もちろん!」
神官長の答えを聞くと、女神マユリアは満足したような笑みを浮かべ、美しいまぶたをそっと閉じた。
神官長は閉じられたまぶたが再び開かれる時を見計らうように、今の時間がなかったかのように言葉を続ける。
「あれほどの仕事、神官長としては当然のことでございます。労いの品など、なんとももったいなくも申し訳ないことです」
マユリアから褒美をやろうと言われ、もったいないと断った言葉のその続きを、違和感がないように続けられたはずだ。
マユリアは一瞬、ほんの少しだけ不思議そうな顔をしたようだったが、そのまま自分も言葉を続けた。
「いえ、これだけの仕事をさせたのですから、何かの形で報わねばなりません。これにはそれだけの価値があります」
おそらく、短時間とはいえ体を乗っ取られて会話をされていたことに気づいてもいないと思われた。
「何か希望があれば申してください。本当にご苦労さまでした」
「なんとももったないお言葉を、ありがとうございます」
深々と礼をして神官長はマユリアの客室から辞した。来た時の期待に応えていただいた、その喜びを胸に抱えて。
その時の仕事から神殿は宮での発言力を増し、神官長は以前よりマユリアとの面会の回数を増やしていく。そして女神が表に出る時間も少しずつ増えてきた。
つまらない仕事、やりがいのない仕事と思っていた宮への助力も、夢のためと思えば苦ではなくなる。むしろ生きがいにすらなってきた。
宮での力をさらにつけるため、神官長は一人の侍女に目をつけた。
セルマ。
その正義感をうまく取り込み、侍女頭と並ぶ第二の勢力に育て上げる。
「私はいついつまでも永遠に、主のお作りになる美しき女神の国を守る役目をお引き受けいたします。この命ある限りどこまでも」
計画がうまく進み、ある時神官長が我が主にそう申し上げたところ、主は少し悲しそうな顔をして、
「今日はここまでのようです。また話しましょう」
そう言葉を残して去ってしまった。
神官長の心に不安が残る。ある考えが浮かぶ。
「いや、まさかそんなことはあるまい」
必死に打ち消そうとしたがどうやっても消せない暗い影。
細くゆらめくろうそくの炎が、ちらちらと舌なめずりをしながら命を吸い取るように見えて仕方がない。
一刻も早く主にお会いしてあの言葉の続きを聞きたい、真実を知りたいと思うのだが、なかなか出てきてはくださらない。
お会いできた時にはよりご満足いただけるように。そう思って必死に自分のできることをやり続けた。
セルマは思い通りに動くようになった。キリエがいかに不誠実な人間かを知り、見えぬ未来を少しでも良きようにと、侍女頭になる日のために精進している。すでに立派なシャンタル宮の権力者だ。
あの侍女頭が大人しく権力を手放したように見えるのは予想外ではあったが、決して悪いことではない。
「後は主にお目にかかれさえすれば」
そう思い続けたある日、とうとう神官長の望みが叶う日が来た。




