9 同化
神官長がどうなっているのか、今はまだ分からない。トーヤが見た色々なこと、それがしっかりとどの順序、どの時間軸で起きているかが分からないからだ。
ヌオリたちが自発的にバルコニーに行ったことで、神官長はもうそちらに向かう必要はなくなったはずだ。ではどこにいる。必要がなくなってもバルコニーに行ったのか、それともどこか違う場所に向かったか。いや、ヌオリたちとは関係なくバルコニーでやるべきことがある可能性もある。
どちらにしても、そろそろその時間が来るはずだとトーヤは思っていた。
トーヤは八年前、嵐の海から助け出され、シャンタル宮で目を覚ました日のことを思い出す。あの時の神官長のおどおどとした様子。大臣やキリエの顔色を伺いながら、トーヤに色々と聞いてきた。トーヤが接触したのはその時だけだが、とても今の神官長を想像することなどできない人間であった。
トーヤはどういう経緯で神官長がそうなってしまったかまでは分からない。だが、当代から表に出た女神マユリアが声をかけ、利用をしたのだということは分かる。限りある命、限りある時間をその持ち主である神官長から奪い、自分の野望のために差し出させた。たとえ神だとてやっていいことではない。
「それは違うよ」
いきなりシャンタルがそう言った。今のシャンタルはトーヤの心の内をそのままに読むようだ。
「彼は知ってるよ、そのことを。その上で自分の意思で今の道を選んだ。たとえトーヤには理解できなくても、それが真実」
一体なぜシャンタルはこんなことが分かるんだと考え、トーヤはあることを思い出した。
「おまえ、アレはどうした」
「ここかな」
シャンタルは何も持っていない手をゆっくりと自分の胸に当てる。
トーヤが聞いた「アレ」とは御祭神の分身だ。シャンタルの命を救うために抱えさせ、途中からベルに任せた。
トーヤが視線をベルに向けると、ベルにもどうやら意味が分かったようだ。
「なくなっちゃったんだよ、いきなり」
今、同じ部屋の中には事情を知らない者、知られたくない者がいることをベルも理解している。そういう言い方でトーヤに事実を伝えた。
二人の言っていることを総合するとこういうことだ。
――御祭神の分身である石はシャンタルの中にある――
シャンタルに命を与えるうちに同化してしまったということなのだろうか。
なんとも不思議なことではあるが、これまでのことを考えると、特に不思議だとも言えなくなる。何しろトーヤ自身が神の視点に立って物を見るということすらやってきたのだから。
それが一体どういうことなのかは分からない。最初からその予定で光はトーヤに自分の分身を渡してきたのか、それともシャンタルを助けるためにその力を使い果たしたからなのか。分からないが、なってしまったことはそういうことであると受け入れるしかない。
「そうか」
トーヤもその一言で終わらせた。
まだ終わりは始まったばかり、やらなければならないことはたくさんあるはずだ。そのことにこれ以上時間をかけるわけにはいかない。さて、次には何をやるべきなのか。
マユリアは女王となるために婚儀という儀式を行おうとしている。通常ならば伴侶となる者と並び、運命を共にすると婚姻の誓いを行うのが婚儀であるはずだ。だが、その相手であるはずの国王二人を亡き者にしようとしている。幸いにも二人とも命を取り留めたが、婚姻の儀式に相手は不要であったのか。それとも他に相手がいるのか。
「相手は他にいるよ。そのためにあの人たちが邪魔だったんだ。というか、そのために利用したと言うのかな」
「おまえ、一体何が見えてるんだ」
トーヤの言葉にシャンタルが少し悲しそうに笑顔を浮かべた。
「見えたくなかったよね、知りたくなかった。多分トーヤとあまり変わらないぐらいしか見えてないと思う。それは私が見てはいけないことだからね。私は今、人だから」
シャンタルとマユリアは慈悲の女神シャンタルその人の、神の肉体を分け合って生まれてきた。さらにその命も、本来は神として生まれるはずであった命を持って生まれている。
人の世にあってどこまでも神でありながら、人として生まれたからには人である。それがシャンタルとマユリアなのだ。
「だけど他の人よりは見えること、知ることがある。おそらくトーヤもそれを見てきたんだと思うけど」
「そうなのかも知れないな」
この八年の間相棒であった二人にだけ通じる話であった。
「それでね、その人だけど、私にも見えない」
「おまえにもか」
「うん、おそらく守られているんだろうね。今の私みたいに」
「そうか」
「一体何の話をしている……」
じっと会話を聞いていたライネンがたまりかねて聞く。
「頼むからもう少し分かる話をしてくれないか。こちらはもう、何をどう考えればいいのか分からないのだ……」
ライネンの言うことももっともだとトーヤは思ったが、だからといって今から全部の話をする時間もなければするつもりもない。またその必要があるとも思えない。
だけどそのことを話せないということは、納得させなければならないだろう。そうトーヤが考えた時、外で悲鳴のような声が上がった。何かが起きたようだ。




