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 8 神官長の運命

 今回は神官長の姿はなく、ヌオリたちは自主的にバルコニーに上がっていた。これまでは神官長に誘導されて上がって事を起こし、民たちの動きを見送ってから神官長室に戻ってキリエと争うことになっていた。


 神官長は一体どこに行った。


 気にはなったがトーヤは追うことはしなかった。それはこの後の神官長の運命を知っているからだ。どうやっても止めることのできない運命を。


 多くの場合、神官長はヌオリたちを見送ると、そのままバルコニーに残り、民たちの流れを満足そうに見送っていた。


「これでいい、これで女王マユリアの時代が来る」


 満面の笑みを浮かべてそうつぶやいた神官長だが、その後突然抱えていた経典を取り落とし、その場に倒れる。落ちた時に開いた経典から一枚の羽が風に乗り、空に舞い上がり、そのままどこかへと流されていく。それを神官長の光を失いつつある瞳がじっと見つめていた。


 そう、この後神官長は死ぬのだ。何度繰り返してもその運命は変えられなかった。おそらく寿命、天に定められた神官長の命の終わりの時が来るのだろう。


 フェイの時もそうであった。人が持っている自分の時間、それぞれが持っている自分の命の長さ、それだけは誰にもどうにもできない。この騒ぎの渦中に神官長の命の火は燃え尽きる。


 トーヤはあの光の場でそれを知った。そしてなんともいえない不愉快さを抱いた。

 

 おそらくマユリア、当代の表に出てきている女神マユリアはこのことを知っているはずだ。ほんの少し人より高く上がった自分にすら分かるのだ、女神であるマユリアに分からないはずはない。いつ神官長の持つ時が終わりを迎えるかを。

 

 つまり、それを知っていてマユリアは神官長を利用した。人の世界を俯瞰(ふかん)したことで、トーヤはそのことがよく分かった。


 トーヤは知らない。八年前、黒のシャンタルが流したたった一滴の血、それを恐れて手を離し、そのことを深く後悔したマユリアが、どうやって取り戻そうか、使える何かがないか必死に探したことを。


 まだ(けが)れをほとんど受けてはいなかった当時のマユリア、一滴の血を受けたために体に力が入らず、黒のシャンタルを追うために使える者はないかと人の世を見下ろしたマユリアが見つけた者、それが神官長であった。


 マユリアには神官長のその後の人生が全て見えた。この後、この者は聖なる湖で見たことの意味を考え続け、心を病み、廃人に等しくなってしまう。その結果、その生命の終わりの時までを、ほぼ神殿の暗い部屋の中で寝たきりとなる。命の火は少しずつ少しずつ細り、最後には静かに消えてしまう。ただそれだけの残りの人生を送ることが。


 なんと悲しい人生なのか。その道から救うには生きがいを与えてやればよい。それもまた慈悲。本来は優秀でありながら、その気の弱さから神経をすり減らし、生きる(しかばね)となるのならば、喜びを与えてやればよいのだ。


 マユリアは彼を選んだ。その生命の最後の時までをも充実させてやることができる、そう考えて。


 (あるじ)である慈悲の女神シャンタルは神官長の望みを拒んだ。なぜあのような場面を見せたのか、これからの自分に何をさせたいのか教えていただきたい。正殿の御祭神に血を吐くように訴えた神官長の言葉を主は聞かなかった。いや、聞こえているだろうに黙殺(もくさつ)したのだ。


 ならば自分が聞いてやればよい。共に手を取り歩かせてやればよい。


 マユリアはそう考えて神官長に手を差し伸べた。神官長はその慈悲を受け入れ、神の忠実なる下僕(しもべ)となった。これまでとはまた違う形の下僕に。


 その後の八年、神官長は主の望みを叶えるためだけに日々を生きた。初めの頃はまだあまり表に出てくることができなかったマユリアは、時を選んでは神官長に声をかけ、言葉を送り、自分が描く夢を伝えた。力をつけるに従って、次第に主従の時間は増えていく。神官長はその夢を叶えるために生きてきた。ただ黙々とたまたまのように与えられた神官長職をこなしてきた年月(としつき)と比べ、その日々のなんと素晴らしかったことか。


 自分の持てる力を全部使い、そのためならどんな努力も惜しまなかった。そのためならどんな犠牲を出すことも(いと)わなかった。ただひたすら美しき女神が()べる美しき理想の国、その夢の国を作るために生きた。


 バルコニーから見上げた雲一つない澄み渡る空、風に乗って舞い上がる羽。キラキラと輝きながら空に溶け込んでいくただ一つの宝物を見上げながら、神官長は至福のうちにその人生を閉じた。


「ああ、なんと美しく充実した人生であったことか……」


 声にならない声で神官長はそうつぶやくと、心の底から満足し、静かにその時を終えていった。


 トーヤにはそんな詳しい事情は分からない。ただ、神官長が流れていく光る羽を見上げながら、満足そうな笑みを浮かべて死んでいくこと、それだけは分かった。そしてきっとマユリアもそのことを知っているだろう、知っていてその人生を与えたのであろうことが。


 だがそれがたとえ慈悲だとしても、マユリアは神官長を利用した。そのことをトーヤは許せないと思った。自分が神官長のために(いきどお)っていることを知った。

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