2 選ぶ時、選ぶ場所
もしも違う道を選ぶとするならば、シャンタリオに行く船に乗らない道だ。
トーヤはしばし、その想いに自分を預ける。
光が言うようにうっすらと見たのは可能性の道だ。実際は次の戦場で命を落とし、人生が終わる可能性もある。トーヤ本人がその道を進んでいないのだから、本当のことは分からない。だが一番大きな可能性は、適当な年まで生き延びて戦場から足を洗い、ミーヤが残したディレンと共に小さな船を持って船乗りを続ける道のようだった。そしてその時、トーヤのそばには一人の女性がいた。
よく知っている女だ。故郷の町で二年ほどの間相方にしていた娼婦で、特に美人というわけではないが、一緒にいて楽な相手だった。あの時も、ディレンが自分を心配する目、子どもを見る目で見たことから、強がりでも当てつけでもあるように、その女のところにいると決めた。
あの女となら穏やかな人生を送れたのかも知れない。トーヤはそうも考えた。あくまで相方としてしか考えたことがない女だが、そうなるのならば一番可能性が高い相手であったかも知れないと。
もしも、トーヤがその時に戻してくれ、その道を選ばせてくれと言ったなら、こちらで出会った人とのことは全部なかったことになり、ディレンを親のようにして、船乗りとして一生を終えていたのだろうか。
考えてみても嫌な道ではないと思った。それこそが自分にふさわしい道であるとも思えた。
「助け手」
マユリアにそう呼ばれた時からトーヤの今の道が始まったと思っていた。実際には二千年前の神々と人との約定が引き継がれ、千年前に当時のシャンタルによって託宣とされた出来事ではあったが、トーヤにとってはそうだった。
――もしもそっちの道を選んだなら――
かなり魅惑的な誘惑だった。気持ちの半分がそちらを選びたいと囁くようだった。
八年前からあったことは、正直かなりつらい出来事の連続だ。意味も分からずたった一人で見知らぬ国に流れ着き、理由の分からない状況の中で必死に逃げる道を探し、その中で自分の役割を知りたいと、この国に残ることを決めた。
だが、その道の先にあったこともつらいことの連続だった。
「フェイ」
思わず口から出るその名前。
あの小さな娘の命が失われていく時の感覚は、何度思い出しても苦しくてたまらない。それまでの人生で母も、ミーヤも、そして他の色々な関わりのあった人も見送った経験がある。もちろん誰の時もつらく、苦しく、悲しくてならなかった。たとえ顔に出さなくとも、涙を流さなくとも、相手が親しければ親しいほど、魂の一部に傷がつくのを実感していた。だからこそ、海を渡る決心をしたのだとも思っていた。
それなのにどうしてだろう、あの小さな娘の時にはそれだけでは終わらなかった。トーヤは別れがつらすぎて逆上し、泣き叫んだ。止めようと思っても涙が止まらなかった。感情の爆発を止められなかった。オレンジの侍女の優しい、だが強い力でなんとか自分を取り戻し、泣くだけ泣いて、やっと見送ることができたのだ。
それを思い出すだけでつらい。今でも身を切られるようだ。もしも、あの苦しさを味わわなくてもいいのならば、それだけでもそちらの道を選びたい。そう思うほどつらい別れだった。
だが、それと同時にどれほどつらい思いをするとしても、やはりどうしても会いたい人がいる。
トーヤの心の中に昇った朝陽の色。魂に焼き付いたあのオレンジ色。
もしも、海を渡らぬ道を選んだとしても、他の誰かと歩く道を選んだとしても、あの色を消してしまうことは決して出来ない。どれほどの手を尽くしても、完全にシワを消して白紙に戻すことはできないだろう。永遠に失った空虚感を抱えたまま生きていくことになる、その確信があった。
だが、それだけでトーヤは道を選んだのではない。
「俺が決めて、俺が自分で歩いてきた道だ」
物心がついてから今日までの人生、トーヤはずっとそうやって生きてきた、歩いてきた、進んできたのだ。
「誰に言われてこの道を選んだわけでもない」
その結果、逆説的に永遠にあのオレンジ色を失おうとも、それがトーヤの歩く道だ。
「だから、やり直したいなんて思わねえ」
トーヤは自分の心が本当に求めている道を確認した。
どんな痛みも苦しみも、そして温かい想いも、自分で掴んだもの全てが自分のもののはずだ。
「何も失う必要はない、失いたくない」
トーヤは未来に向かって進む道を選んだ。
ただ、問題はその先のことだ。時は選んだが、場所はまだ選べてはいない。
「どこもどうしようもねえ可能性に満ちてるよな」
トーヤが救いたいと思っている人たち、全員を助けることはとても無理に思えた。
トーヤは選ばなければならない、今度は降りる場所を。
それについては悩む必要はないことがすでに分かっている。トーヤはもうずっと前に選んでいたからだ、何を最優先するかということを。
あの光の場にいた皆に宣言してある。何を一番に選ぶかということを。
その結果、自分を含めた残りの全員の命を危険に晒すことになったとしても、やはり選ばなければならないことはもう決まっていた。




