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21 人生のやり直し

 トーヤは見えない光の姿をじっと見つめる。本来ならばマユリアと同じ姿をしているはずの女神の姿を。


「よう、あんた、俺が降りたいところならどこでもいいって言ったよな?」


 トーヤは気楽に、だが油断のない口調で光に尋ねる。


 アルディナにいた頃、いつもやっていたことだ。どんなことで物事は交渉から始まる。この一歩でどう動くかがすっかり変わってしまうこともある。命に関わることも。


『構いません』


「それってのは、一体いつからいつまでのことだ」


『あなたがこの世に生まれ落ちてから、今この場にいるまでの間ならばいつでも』


 この言葉にトーヤの目に危険な光が宿った。


「へえ、そりゃまた豪気(ごうき)なこった。大盤振る舞いだな」


 表情だけは晴れやかに、だがその目の光はあくまで冷たい。


「けどな、それ、おかしくねえか? 八年前にここに来た時、そりゃもういろんなことにイライラした。マユリアもキリエさんもラーラ様も、聞いても運命に関わることは何も話せない、できないと言って自分たちで抱え込んでたもんだぜ。俺も(いら)ついたがあっちもかなり(こた)えてたんじゃねえの?」


 トーヤは形だけは笑顔に近かった表情を目の光に合わせるように死神に戻すと、相手が神であろうとも即座に職務を遂行する姿勢で続ける。


「そんだけ皆ピリピリしてやってきてんだよ。それをな、いくらあんたが神様だって、そんな簡単になかったことにしてやる、やり直させてやるって、そりゃあんまり過ぎるよな?」


 光は黙ってトーヤの言葉を聞いている。


「そもそもそんなに簡単できることだったらなあ、最初からあんたが自分でやっときゃ誰も苦しまなかったんだろうが。さんざっぱら人のこと振り回しといて、だったらやらなくていいですだ? 人のことなめるのもいい加減にしろよな」


 あくまで静かに冷静に、言葉自体は荒っぽいが怒りを感じさせることもなくトーヤはそう言った。だが、その奥には表に出すことなく怒りの炎が燃え盛っている。もしも表に出たならば、その時は激しく相手を焼き尽くす炎が。


「あんたはここまでどうしようもなくなっちまって、自分の思った通りにならなさそうだと分かった途端、なかったことにしましょう、そう言い出したわけだ。そうだよな? はっ!」


 トーヤは見えない床をどん、と一つ踏み鳴らした。聞こえないはずの音が光の空間に響き渡った気がした。


「だったら俺らがこれまで悩んだり苦しんだり、傷ついたりしたこと、どうしてくれるつもりなんだよ。白紙に戻しました、なかったことにしたからもういいでしょうって終わらせて、そんでいいと思ってんのかよ」


『そうではないのです』


『わたくしにできることが、もう、それしかないと言うことなのです』


 光が悲しげにまたたいた。


 トーヤは見えない女神を見るように、弱々しくゆれる光をじっと見つめると、その言葉に嘘はないようだと判断した。


「分かったよ、あんたに悪意はなかった。なかったことにして自分が楽になろうって考えじゃねえってのもな。まあ、さすがに慈悲の女神様だ」


 光は答えず、同じように揺れるばかりだ。


「確認しとくが、俺が他の道を選んだら色んなことがなかったことになる。これは間違いないよな」


『間違いありません』


「けどよ、白紙の状態からって言うけど、俺が俺である限り、何も知らねえで同じ道を進むと思うんだよな。そしたら結果として今と同じことになるんじゃねえの?」


『白紙とは、本当に白紙のままでしょうか』


「あんたが白紙に戻って新しく進めって言ったんだよな。つまり白紙は何もなかったことってことじゃねえの?」


『一度折り目が入った白紙をきれいに伸ばし、ひのして折り目が見えなくなったとして、それは本当に元の白紙に戻ったということになるのでしょうか」


 ひのすとは、炭を入れた金属の「火熨斗(ひのし)」という道具を使い、布などのシワを伸ばすことだ。トーヤもミーヤがやっていたのを見たことがある。


「シワを伸ばしてもなんかは残るってことか」


『可能性です』


 光はまた同じ単語を繰り返す。


『実際にどのぐらい影響が残るのかは分かりません』


『ですが、その結果、同じ道を辿らない可能性もあるということです』


 トーヤは光の言葉をじっと噛みしめる。


 光の言葉をそのまま受け入れるとしたら、もしも生まれたその時に降りたなら、それは人生をやり直せるということでもある。


 これまでの人生をトーヤは思い返す。


 思えば物心ついた頃にはすでに親はなく、浮浪児と混じって故郷の町で生きるためになんでもやってきた。いくらちびでも町の者に手を出せばただではいられないとは理解しているので、主に外から来る人間を狙ってスリやかっぱらい、置き引きなんかをやっていた。それが悪いことだと思いもしないで。


 それはそれしか生き残る術がなかったからだ。その日食べる物、寝る場所のために皆が普通にやっていたため、トーヤもそれが普通のことだと思っていた。


 トーヤは浮浪児たちよりはまだましだった。ミーヤがいる。ミーヤ以外にも母を慕っていた妹分たちもいた。そんな女たちに可愛がられ、少なくとももう少しましに動けるような年まで、無事に成長することができたのだから。

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