16 ほんの少し高く
マユリアと国王の婚儀が行われるはずの日の朝、トーヤはまだ親御様の部屋に隠れており、親御様のところに届いた朝食を一緒に食べ、親御様の「子どもたち」についての話をしたりしていた。
親御様の興味はやはり自分の子どもたちのことが主であったが、他にはアルディナやリル島のことにも興味を示していた。トーヤは自分が話せるだけの話をし、親御様は興味深そうに外の世界の話を聞いていた。
「そういえば今日はマユリアの婚儀の日ですが、なんか聞いてますか?」
「いえ、何も」
「そうですか」
いくらマユリアの実の親とはいえ、あのキリエが何かを話すはずもないとは思いながら、もしやと一応と聞いてみたが、やはり何も話してはいなかった。
食事を終え、侍女たちが後片付けをしている間、トーヤはまた親御様の寝台の下に潜り込む。昨夜の食事を持ってきてもらう時、その片付けをしてもらう間、今朝のキリエの挨拶と朝食を持ってきてもらう時、そして今、これで五度目のことだ。まるで旦那が戻ってきた時の間男の気分だと、トーヤは侍女たちに気づかれないように小さく笑った。
「はい、もういいですよ」
親御様のその言葉でちょっと笑いながら出ていくと、
「どうしたんですか?」
と聞かれたが、まさかそんなことを正直に言うわけにもいくまいと、
「いえ、何度も隠れてる自分がおかしくなって」
と、少しだけぼかして言うと、
「確かにそうですね」
と、親御様も柔らかく笑ってくれた。
そんな笑顔はやっぱり当代に一番似ている。だが仲間のシャンタルもそういう笑い方をしていた気がする、そしてマユリアも。
「やっぱり親子ですね、笑い顔は全員に似てます」
「そうですか」
親御様の笑顔が少し変わった。それは満足そうにもさびしそうにもトーヤには見えた。
「そろそろ婚儀の始まる時間でしょうか」
笑顔の余韻を残したまま、親御様が世間話のようにそう言う。
「ちらっと聞いたところによると昼からみたいでしたけど、どうでしょうか」
「でも今日であることは間違いはないんですよね」
「それはそうですね」
トーヤは認め、
「そして明日は交代の日です」
と、一言だけ付け加えた。
本来なら明日、当代から生まれたばかりの次代様に内なるシャンタルをお移しし、さらに翌日、マユリアが当代に内なるマユリアをお移しして交代は成る。その後、マユリアは「真名」を受け取り、そのまま「人」に戻るはずだ。
だが当代マユリアは「黒のシャンタル」を逃がすために二期目の任期に入り、その間に内なる女神に体を乗っ取られた。どう考えても、今のマユリアが人に戻り、娘としてこの方の元に戻ることはなかろうとトーヤは思う。
トーヤはマユリアに本当の気持ちを聞いた。人に戻った後、一体どうしたいのかと。あの光にそうしてくれと言われたのだ。
『マユリアの本当の気持ちを聞いてください』
マユリアは正直に答えてくれたと思う。あの時はまだ女神には乗っ取られていない時期だったはず、トーヤのよく知るあのマユリアだったはずだ。だからその言葉を素直に受け入れられた。
「海の向こうを見てみたい」という気持ち、家族の元に戻りたいという気持ち、そして宮にそのまま残りたいという気持ち。この三つともが本心であると言っていて、それをトーヤも不自然とは思わなかった。人の気持ちというものは、そう簡単に割り切ってしまえるものではないからだ。一つだけを選ぶのが困難な時もある。
その三つをできるだけ叶えるためにも、一度は宮から逃がしてその上で進む道を探そうと思っていた矢先、当代の魂はその体の奥深く封印されてしまった。
マユリアの望みを、そして目の前の女性の望みを叶えるためにも、トーヤたちは当代マユリアを取り戻さなければならない。全てはそれからだ。
今日はそのためにも大切な日だというのに、トーヤはここで動けずにいる。そのことをもどかしく思った時、
「あつっ!」
胸元が熱くなり、
『助け手トーヤ』
どこかでいつか聞いたことがある声が聞こえた。
「あの、今誰かトーヤさんを呼びましたよね」
「え?」
「助け手トーヤと」
どうやら親御様にもあの声が聞こえたようだ。
「それにその光は一体」
トーヤはすっくと立ち上がると、
「あなたの子どもさんたちを取り戻すために呼ばれてるみたいです。もしかしたら、あなたにも力を借りるかも知れません。俺の仲間たちが助けを求めたら手伝ってやってください」
そう言って、親御様の前からすうっと姿を消した。
次の瞬間、トーヤはこれまで何度も呼ばれたあの空間に立っていた。
「よう、久しぶりだな。今回は俺一人か」
『ええ、そうです』
「そんで、今日は一体何をやらせようってんだ? ことはいよいよ山場に差し掛かったってこったよな?」
光は一瞬言葉を途切らせたが、
『ええ、そうです』
と認めた。
「おっと、まどろっこしいのはなしだぜ、もういい加減時が満ちるってのには飽き飽きなんでな。俺は何すりゃいいんだ?」
トーヤの声に光は、
『見てもらいたいものがあるのです。そのためにほんの少しだけ高く上がってもらう必要があります』
と言い、トーヤの体がすうっと光の中を浮き上がった。




