1 正しい相手
トーヤに投げつけられ、さらにルギに押しのけられたアランはさすがに一度床に膝をついたものの、すぐに体勢を立て直して二人の後を追う。
その三人の後を、今度はベルとシャンタルも互いに言葉を掛け合うこともなく、ごく自然に追って部屋から消えてしまった。
神官長室に残されたのは、今も意識不明の二人の国王と、そのそばに座っている侍医、そして五名の侍女たちだ。
「ミーヤ、アーダ、すぐに後を追ってください」
「はい!」
「はい!」
若い二人の侍女は侍女頭の言葉にすぐに同じように走って神官長室から去ってしまった。
「フウ、セルマ、お二人がこの部屋で治療なされるように整えてください。神官長室と、予備室にお一人ずつです」
「はい」
「はい」
中堅の二人の侍女は、神官長の私室の寝台を整えに行った。
「他の侍医たちはどうしています」
「二人共そのまま待機をしていると思いますが」
駆けつけた侍医はラーラ様のことを知らずにいるので、待機室には二名が残っていると思っている。
「では、すぐにその者たちもこちらに。それから衛士も何名か呼んできてください」
「はい!」
すぐに侍医は部屋から飛んで出て、神官長室の応接に残ったのはキリエと二人の国王だけになった。
「どうしてこんなことに……」
キリエはポツリとつぶやくと、意識なく寝かされている国王親子を見下ろした。
誰が二人を手にかけたのだろう。さきほど逃げていったヌオリには、まさかそんなことはできないだろう。また、する理由もない。
キリエは神官長が前国王に刃をつぶした剣を持たせたことを知らない。それでも神官長がこうなるように何かを仕掛けたと推測することはできる。そしてそれが間違いなくマユリア、当代の心の奥から表に出てきている女神マユリアの望みを叶えるためだということも。
キリエはトーヤに指摘され、通常ならばとても信じることができないことではあるが、今のマユリアがご誕生の時から見守ってきた当代マユリア御本人ではないことを受け入れた。
自分が仕える主は歴代シャンタルでありマユリア、だがそれは憑坐である歴代の主の中に本来の女神マユリアがいらっしゃるから。故に侍女が真に仕えるのはその中におられる女神その方だとの結論を出し、キリエは女神と共にあることを選んだ。
キリエは主が誤った時には自分も共に滅びる覚悟でこの道を選んでいる。いや、きっと誤った道であろうと思いながらも選んだと言ってもいい。そうできたのは、正しい道を選んでくれる若い者たちがいると信じていたからだ。そのための捨て石にならば、喜んでなるつもりであった。
それでも、どこかで我が主が踏みとどまり、正しい道に戻っていただけるのではないか、若い者たちの気持ちが届く時が来るのではないかと期待はしていた。それがまさか、国王まで手に掛けようとするとは思いもしなかった。
マユリアは神でありながら、直接人も統べる女王になるのだと言っていた。それはこの先にはもうシャンタルの魂が宿る次代様が生まれることがなくなる、シャンタルがいなくなるためだ。
シャンタルを失うことになるこの国を守るため、人の幸せのために女神マユリアが国王と婚姻関係を結び王家の人ともなる。それが今回の婚儀の意味だと聞き、そうであると信じていた。
だが、その婚儀の相手であろう国王を、それも二人共亡き者にするのならば、果たしてマユリアの婚儀の相手は誰なのだ。誰との婚姻を結ぶことで、人の高みから人を統べる立場になるというのだろう。
一瞬脳裏に浮かんだ衛士の影を、それはないとキリエはすぐに打ち消した。当代にとって彼は確かに特別な存在だ。常に付き従う影であり、守る剣そのものなのだから。
本人に確認をしたわけではないし、人に戻った後でどのような感情を持つことになるかは分からないが、少なくとも今は違うと断言できる。マユリアとルギの間にはそのような感情は存在しないとキリエは確信していた。むしろ、そのような男女の愛情だと思うことすらあの二人には無礼なこと、それほどに崇高な関係であると。
神官長が言っていたように、ルギは今度の婚儀を見届ける存在、守護の剣だ。そこは間違いないだろうとキリエは考える。もっと俗で単純に考えるならば、警護隊隊長と女神の婚儀なぞ、誰も認めるはずがないし意味もない。その二人が婚姻関係を結んだとて、女神が王家の一員になるはずなどないからだ。
ならばこれは思わぬ事故で、本当はお二方のどちらかが婚儀の相手であったと考えるのが自然だ。思いもかけぬ出来事で、お二人が揃って失われそうになっていただけと思う方が。だとしたら、先代「黒のシャンタル」がお二人を救ってくれたことで、まだ道を修正する可能性ができたということなのだろうか。命を取り留めたどちらかとマユリアが婚儀と執り行い縁を結ぶ道が。
考えれば考えるほどキリエには分からなくなる。共に滅びる覚悟まで決めた主のやろうとしていることが見えなくなる。
今はただ、ここで次のことが動くのをじっと待つしかないのだと、キリエはあらためて二人の国王を見つめながら考えていた。




