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 7 人質

 ヌオリは一人神官長室の前に立つと、優雅に扉を三度叩いた。だが返事はない。


 どうしたものかと思ったが、考えてみれば姿を隠している者が返事をするはずもない。そう思い直して返事はないが中に入ってみることにした。


 神官長の部屋の扉には思った通り鍵がかかっておらず、軽く押しただけで開いた。よく手入れをしているらしく、蝶番がきしむようなこともなかった。


 ヌオリはそっと扉を押し開き、完全に開いた途端にその場に立ち尽くすことになる。


「な!」


 神官長室の中には惨劇が広がっていた。


 入口からほど近い壁に前国王がもたれるような形で座りうめき声を上げており、そのさらに奥、暖炉の前には見ただけで見事な(てん)の毛皮のついたマントが広がって頭と手と足が見えており、マントの一部には血が(にじ)んでいた。マントの下にいると(おぼ)しき人物の体から流れたらしい血が床の上にも広がっている。


 ヌオリは思わず叫び声を上げて後も見ずに一目散に部屋から飛び出し、神殿からの出口に向かって右に曲がろうとした時に正殿方向から薄い色の髪の男が自分の方向に向かって走ってくる姿を目にした。


「うわあ!」


 もう一度叫び声を上げると考えていた方向、前の宮の方向に向かってひたすら足を動かし続けたが、何をどうしようと思って動いたわけではない。早くあの場から逃げなければ自分が犯人にされてしまう、ただその思いだけで前の宮に駆け込んだのだが、なぜだかあの若い傭兵が自分を追ってきているので止まるわけにもいかない。


 冷静さを失っているヌオリはアランをなんとかせねばとの気持ちから、とんでもないことを思いついた。


(エリス様だ! あの中の国の女を人質に取ればあの男ももう手出しできまい!)


 実際にはエリス様は自分たちより先に神殿に入り正殿へと案内されている。落ち着いて考えれば滞在している部屋にいるはずはないのだが、混乱しているヌオリには今の状況から切り抜けられそうな手がそれしか思い浮かばなかった。自分たちに与えられている部屋を通り過ぎ、エリス様たちが滞在している部屋へと向かう。


 ヌオリが荒い息を吐きながらエリス様の部屋の扉に手をかけて押すと、鍵がかかっていなかった。そのまま思い切りドアを内側に開け放すと、


「何事です!」


 女の声がした。エリス様だろうと混乱した頭でヌオリは判断する。中の国の貴婦人は家族以外の者に声すら聞かせることはない、そんなことすら今は思い出す余裕がないらしい。


「頼みがある!」


 ヌオリは声の主に背を向けて扉を閉じて内側から鍵をかけると、振り向いて目の前にいる人物にぎょっとした。そこにいたのは頭からすっぽりとベールを被ったエリス様ではなく、シャンタル付きの紫の衣装を着た侍女だった。


「寄らないで!」


 年の頃三十代といったところだろう、決して美人とはいえない凡庸(ぼんよう)な外見のその女はだが、なぜだか不思議な気品を(かも)し出しながら、毅然(きぜん)とした態度でヌオリから見えぬように背中に誰かをかばっている。


「いや違うんだ! 話を聞いてくれ、聞いてくれれば分かる!」

「来ないで!」


 ヌオリは女の様子を伺いながら少しずつ距離を詰めるが、女はなお一層(かたく)なな表情でそう叫び、ヌオリを睨みつけるばかりだ。


 ヌオリはその表情に今の状況も忘れてかっとした。自分は名家バンハ家の次期当主なのだ、いくらシャンタル付きとはいえ、侍女風情(じじょふぜい)にそんな目で見られてよい人間ではない。

 この女、侍女頭に命じられてエリス様を(かば)っているに違いない。興奮しているヌオリにはもう何もかもが一緒くたになり、なぜシャンタルの侍女がエリス様を庇わねばならないのかの理由などどうでもいいことになっていた。


「なんとも無礼な!」


 ヌオリは開き直るとつかつかと女に近寄り、


「どけ! その後ろに隠している者を出せ! 高家(こうけ)の者に大して失礼だろうが!」


 とその肩に手をかけて引き倒した。エリス様が男に手を触れられることを禁忌としており、下手をすれば自らの命を絶つかも知れないなどということすらもう頭にはなく、ただただ人質に取ることしか思いつかないようだ。


「ああっ!」


 紫の侍女は声を上げながらも背中の誰かを守るのをやめなかったため、自分の身を守ることもできずに床の上に倒れて頭を打ち、意識を失った。


「ラーラ様!」


 ヌオリはこの段階になってやっと、初めて少しばかり正気を取り戻した。


 目の前には黒い素直な髪を持つ少女がいて、倒れた紫の侍女に飛びつくようにしてその侍女のものらしき名前を叫んでいる。エリス様でもその侍女でもない、明らかに高貴な身なりの少女だった。


 倒れた侍女に庇われていたその子を見ても、その瞬間にはヌオリにはまだその子が誰かが分からなかった。この部屋にいるのはエリス様とその侍女だけだと思い込んでいたため、そこに付けられた侍女見習いではないかと頭の半分で思い込もうとしてはいたが、やや冷静になった残りの半分で、やっとその子が本来ならばこの場にいるはずがないお方だと気がつき、ごくりとつばを飲み込む。


「シャンタル……」


 この宮の主、いや、この国の唯一の尊い神であり主であるシャンタルその人だとヌオリも認めざるを得ない。

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