4 尊ぶべきもの
前国王が息子である現国王とマユリアの婚儀を阻止せんとして息子を刺した上に用意されていた婚姻誓約書を破って握りつぶした。おそらく自分が取って代わろうとしての行動、そう考えられないことはない。
「ですが、ならばどうして前国王陛下もこのようなことになっておられるのです」
そこが理解できない。
「前国王陛下が御子息の現国王陛下に剣を向けられ、そして婚儀の邪魔をしようとなさったのなら、なぜご自分もこんな命に関わるようなケガをなさっておられるのです」
「さあ、なぜでしょうな」
神官長はため息をついて首を左右に振りながら、
「それではやはり前国王陛下を手にかけられたのはヌオリ様なのかも知れませんな」
と付け足した。
「だとしたら、それは何故なのです」
「さあ、どうしてでしょうなあ。私ももしかしたらと思うだけで、理由までは」
神官長が苦笑しながら言うその様子に、さすがにキリエも怒りを感じるが、いつも以上に顔には出すまいと平常を保つ。
「とにかく今はそのことより、一刻も早くお二人に治療を受けてもらわなければなりません。医師が来る様子はありませんか」
「まだ誰も来る気配は」
「そうですか」
目の前で前国王の顔色がみるみる土気色になっていく。このままでは医師が来てもすでに手遅れかも知れない。キリエは移動してうつ伏せになっている現国王の様子を見に行くが、こちらも似たような状態だ。
「医師はまだですか」
さすがにキリエの声にも焦りがにじむ。ルギは二人の間を行き来して様子を見てはいるが、さすがにこれ以上手の施しようがない。
「侍医がこられてもこれ以上できることはないのでは。いや、あの申し訳ない」
神官長の無神経な言葉にさすがにキリエが眉をそばだてたが、確かにその言葉が正解ではないかと思われる状態なのは認めるしかない。
1秒1秒が重くのしかかる中、神官長があっと声を上げ、
「マユリアに報告してまいります。準備室でお待ちになっておられるはず、ここはお二人にお任せいたしますので、よろしくお願いいたします」
言うや否やキリエとルギの答えを聞かずに部屋から飛び出していったが、二人の国王の容態を見守っているキリエとルギには止めることができなかった。
「何か持っていたようですが」
「ええ」
確かに神官長は何かを胸の前に抱えていたようだが、声に振り向いた時にはすでに背中を見せる姿勢だったので何を持っていたかまで確認はできなかった。
「嫌な予感がします」
「はい」
「ここは私に任せて追ってください」
「しかし」
キリエの言葉にルギも答えるが、だからといってこの部屋に瀕死の国王二人とキリエ一人を置いて追うのをためらう。
部屋から出た神官長は早足でマユリアのいる準備室へと向かった。胸には何か革製の書類入れのようなものを抱えている。特に妨げる者もなくあっさりと準備室にたどりつき、扉を叩いて中にいる主に訪いを告げると入るようにと美しい声がした。
「失礼いたします」
神官長はしずしずとまるで儀式の一環のように丁寧に礼をしてから準備室に入り、やはりその動きも儀式の流れのように丁寧に扉を閉めた。
「どうなりましたか」
「はい、こちらを」
神官長は大切に抱えてきた重厚な革表紙のある書類入れを開いて中の書類をマユリアに差し出した。
「前国王陛下の署名でございます」
それは神官長が前国王を挑発して書かせた2通目の婚姻誓約書であった。前国王個人ではなく「シャンタリオ国王」と署名がある。
「そうですか」
マユリアは受け取って署名をあらためる。
「シャンタリオ国王の婚姻誓約書、ここにマユリアのご署名をいただければ婚儀は成ります、マユリアは晴れてシャンタリオ王家のご一員となられます。おめでとうございます」
「ありがとう」
マユリアはそれが当然であるかのように晴れやかに神官長に礼を言った。
「では正殿で儀式をと思っていたのですが、あの、御祭神がなくなっておりまして、いかがいたしたものかと」
「それは気にしなくて構いません」
「分かりました」
神官長はマユリアの言葉を聞き、あらためてやはりあれは主のなさったことだったかと納得した。ならば特になくても問題はないのだろうと思う。思うが、ではならば婚儀をどのように執り行えばいいのだろうと考え込む。
「大丈夫です」
神官長の気持ちを読み取ったようにマユリアが柔らかく微笑む。
「申し訳ございません。ですが正直なところ戸惑っております。長年従っておりました約束事がなくなり、果たしてどうしたものかと」
マユリアは神官長の素直な言葉を愛しむように小さく声を上げて笑った。
「案ずることはありません、おまえには分かっておるはずですよ、よく考えてごらんなさい」
「ですが」
「おまえが敬い、尊ぶ神は一体誰であるのかそれを考えればよいことです」
「私が敬い尊ぶ神、それは言うまでもなくマユリア、あなた様ただお一人」
神官長はそこまで口にしてはっと気がついたように幸福そうに笑みを浮かべた。
「分かりました、マユリアがご自分でお誓いになればよろしいのです。この国を守る神にして人を統べる女王であると。そうなのですね」
神官長の言葉にマユリアはそうだというように優しく微笑み返した。




