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 2 神官長室の出来事

 アランは走りながらキリエのことをちらりと見たようだったがそれ以上は何も言わず、何もせず走り去ってしまった。


 アランを見送りながらキリエは胸の中が苦しくなった。だがそれを表情に出すこともしないし後悔もしない。それが自分の選んだ道、侍女頭としてはこれが正しい道なのだ。

 あの声にだけ気を配らなければとは思うのだが、キリエの心の半分は一度は心を近く寄せ合った彼らのことに持っていかれてしまう。そのことをキリエは自分で嘲笑(ちょうしょう)するしかない。こんなことでおまえは侍女頭と言えるのかと。


 キリエが廊下の半分あたりに差し掛かった時、キリエよりかなり先に進んだアランのさらに向こうに若い男がどこかの部屋から飛び出してきた。男はアランを見るとさらに何か叫びながら神殿の外に走って行き、アランもその後を追う。


「あれは、ヌオリ様?」


 キリエはそう口にして()(ゆる)めると、立ち止まり胸を押さえた。さすがにここまで早足で来ただけで息が切れ、一度立ち止まらずにはおられない。


 飛び出してきた男は確かにヌオリだった。走ってきたアランを認め、一瞬だけ後ろを振り向いた時に顔が見えたので間違いはない。今は前の宮の一室に数名で滞在している。バンハ公爵家からも滞在したいとの連絡があり、当主の名代(みょうだい)として長男ヌオリと、驚いたことに他家からケガをした二名も同じく名代として名を連ねてあった。   

 平気な顔でやってきたヌオリたちにどのような神経をしているのかとは思ったものの、あのことは宮の中のことだけに留めて特にそれぞれの家に報告はしていない、事情を知らぬ各家が交代の儀に後継者たちを名代として立てるのは不思議ではない。自分たちがしでかしたことを親に言えるはずもなく、バツの悪さを抱えながらやってくるしかなかったのだろうと理解した。


 そのヌオリがなぜ今この場にいて、そしてあのような声を上げて逃げ去ったのか。関係者以外は神殿には近寄れぬようにしてあったはずだ。


 キリエが息を整えてまた歩き出そうとした時、後ろから来た誰かがさっと抜き去っていった。ルギだった。おそらくマユリアに命じられて様子を見に来たのだろう。


 ルギはさっきヌオリが姿を現したあたりまで進むと、右の宮側にある細い廊下に入っていった。あの先は確か神官長の部屋のはずだ。ではヌオリが飛び出してきたのは神官長の部屋からなのだろうか。でもなぜそんなところから。


 キリエはルギに遅れることしばし、同じように神官長の部屋へと向かった。そしてそこでとんでもない光景を目にすることになった。


「これは一体……」


 神官長の部屋の入ってすぐは来客用の応接室だ。その奥に私的な生活の場があり侍女頭の部屋と同じような造りになっている。


 応接は血の海だった。部屋の入口から右、暖炉やキャビネットがある北側に婚儀のための豪華な衣装を身に着けた現国王がつっぷして倒れており、(てん)の毛皮がついたマントの一部が血の色に染まっていた。


 反対の南側、応接室に入ってすぐの壁に、もたれてそのままずり落ちたようになった父親の前国王ががっくりと首を落として座っていたが、やはり腹部を血に染めている。


 そしてその二人を間で立って見つめている神官長の後ろ姿が。


「何があったのです」


 ルギは今は倒れている現国王の様子を見ていて、


「まだ息がある。キリエ様、すぐに医師を」


 そう言って腰に巻いていたサッシュベルトをはずすと現国王の胴に巻いて止血を施す。


「分かりました」


 キリエは取って返して扉から外に向かって、


「誰か! 医師を! 早く!」


 と叫んだが誰も反応しない。


 そうだ今ここには誰もいない。婚儀のために神官を全員外に出していると神官長が言っていた。


 キリエが自分で走って人を呼びに行こうと部屋から出ると、そこにミーヤとアーダが駆けつけた。やはり声を聞きつけてのことだろう。


「キリエ様、一体何が」

「ちょうどよかった、侍医を呼んでください。一刻も早く!」

「はい!」


 二人は何も事情を聞かず、急いで前の宮の方向に向かって走っていった。侍女とはそういうものだ。侍女頭の(めい)があれば理由の如何(いかん)を問わずそれに従う。


 キリエは二人の後ろ姿を見送りながら正殿の(かた)はどうなったのだろうと考えていたが、とにかく今は目の前の二人の国王だと気持ちを切り替える。自分は正殿の中におられる方にはもう関わることはできないのだから。


「一体何があったのです」


 ルギが神官長に尋ねた。


「それが、私にもさっぱり。悲鳴を聞いて駆けつけたらこのようなことになっていて」

「それはヌオリ様の声ですか」

「いえ、多分国王陛下、息子の現国王陛下のお声かと」

「詳しく話してください」


 キリエも後ろから声をかける。ルギは今度は前国王を横たわらせて傷をあらためている様子だった。


「はい。先ほど国王陛下を先に神殿にお連れしたものの、高貴な方を花婿用の準備室にお連れするわけにもいかず、とりあえず私の部屋にお入りいただきました。その後でエリス様ご一行を正殿にご案内し、陛下に差し上げるお茶の準備をしに給湯室に行ったのですが、そこで叫び声を聞いたのです」


 神官長はルギの様子を横目に見ながら、落ち着いた声で説明を始めた。

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