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 1 夢か現か

 キリエもルギも黙って悲しみにくれる美しい(あるじ)を見つめるしかできない。室内が悲しみの湿度を帯びた空気で満たされる。


「ああ……」


 マユリアは美しいため息をこぼす。


「どうしてこのようなことになってしまったのでしょう。シャンタルがわたくしと共にあると言ってさえくださったら、こんな悲しいことにならずにいたはずです」


 涙は見せないがこれ以上の慟哭(どうこく)はなかろうと思わせる悲しみを帯びた声に空気がさらに震えた。


「マユリア」


 キリエがかすれる声で聞く。何があろうと感情を見せぬ鋼鉄の侍女頭のこんな声を誰も聞いたことはない。


「お眠りになられた。ではいつかはお目覚めになられるということでしょうか」


 マユリアはキリエの言葉に顔を少し上げた。今も深い悲しみの陰を帯びた瞳が一度閉じられまた開かれた。


「シャンタルの魂はすでにわたくしの中に共にあるのです。魂を持たぬ肉体が目覚めることはないでしょう」


 目覚めることのない肉体。それはすでに死を迎えているということではないのかとキリエは思うが、口に出すことができない。


「ですが案ずることはありません。亡くなってはおられません、お眠りになっただけなのです。あの美しい肉体はもう年を取ることもなく失われることもなくなったのです」


 マユリアは至福の笑みを浮かべてそう言ったが、もう一度悲しみを帯びた表情に戻る。


「ただ一つだけ悲しいことは、魂もわたくしの中でお眠りになっているということです。ご自分から受け入れてくださっていたら、今ここで共に婚儀の場に立ち、これから先の明るい未来を見せてさしあげることができたのに。そのことだけが(かえ)(がえ)すも残念です」


 そうなのだろうかとキリエは思った。


 マユリアの言っていることは現実のこととは思えない。しかし八年前、あれほどの現実を経験してしまったキリエには現実のことであるのだろうと受け止められる、受け止めるしかない。


 シャンタルがどういう状態であるのか正殿に戻って確かめたい気持ちはあるが、主の意思に従ってこの部屋に来てこうして座っている限り、キリエが自分から確かめに戻りたいとは言えない。それが主の命に従うということだ。主に戻って見てくるようにと言われない限りはどれほど気になっても戻ることはできない。

 だから動けない。残った侍女たちがどうしているか、アランやベルがどうしているかももちろん気にはなる。想像するだけで胸が苦しくなる。今すぐにここから飛び出して行きたい。あの孫のように愛しい者たちのそばに行ってやりたい。そうは思うが自分が今の道を選んだのだ、彼らに敵対する道を。ならばその気持を抑えてここにじっと座っているしか無い。次に事が動くまでは。


 キリエは心臓を鷲掴みにされたような気持ちになりながらも、じっとその感情に耐える。今の自分にできるのはそれだけだと言い聞かせながら。


 ルギは黙って立ったままでマユリアの言葉の意味を考えていた。そして神官長の言葉を思い出す。


『その短い老い先が来る前に、この生命(いのち)があるうちに、(まこと)の女神の国の頂点にあの方が立つ姿を見たいのです』


『ある方からそんな国を作りたい、そう(うかが)った時に、なんと美しい夢なのか、そう思いました』


『夢を見るのはそんなに悪いことなのでしょうか?』


 その夢が今現実になろうとしている。その現実を自分はどう受け止めればいいのだろうとルギは心の内で葛藤(かっとう)する。


 目の前のマユリアは確かにマユリアだ。12歳の時に出会った当時のシャンタル、ルギが見つけた運命の(あるじ)。何があろうともこの方に従うとあの時に決めた。そして今がある。


 だがこの先はどうなるのだ。神官長が語った美しい夢、自分もその夢の世界を美しいと思い、その夢に埋没できたらどれほどいいかと思ったその夢が現実になろうとしている。


 女王マユリアが頂点に立ち人を守り続ける夢の国。永遠にそのおそばに付き従う自分の姿を思い浮かべると、ルギはふらりとそちらの世界に落ちていくのを感じる。それこそ夢、永遠に美しい夢だ。まるで夢に溶けていくかのようだ。


 ルギは懸命に落ちていく自分を自分で必死に引き止める。いっそ落ちてしまえばどれだけ楽になるだろう、どれだけ幸せだろうと思う気持ちもあるが、神官長のあの表情を思い出すとむざむざと落ちてしまうわけにはいかないと最後の理性が押し留める。


 あれは人として持ってはいけない表情だ。それだけは分かるとルギは自分に言い聞かせる。だが自分はもう人ではない。あの方に仕える剣になったのだ。


 そうだ、すでに自分は人ではない。ならばいっそ……


 ルギが心の中で大きくゆらいだ時、


「うわああああああああああ!」


 どこかから若い男の叫び声が聞こえた。


「今のは……」


 キリエが思わず立ち上がりマユリアに視線を向ける。マユリアは軽く(うなず)きキリエに了承を与えた。様子を見に行って構わないということだ。


「様子を見てまいります」


 キリエがもう一度マユリアに頭を下げてから部屋を出て、正殿前から神殿入口に続く廊下に向かって歩き出すと、その前を正殿から飛び出したアランが駆け抜けて行った。あの叫び声の確認に向かったようだ。

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