20 半身と半身
正殿内の者たちはその場に時が止まったように動けずにいる。その者たちに向かって高貴の紫に彩られた奇跡がゆっくりと動き始めた。
一足、また一足、長いドレスからほんの少し見えているつまさきが冷たい床に触れるたびに陽炎が匂い立つようにそこが熱を帯びていく。
薄暗い廊下からいくつもの灯りに照らされた正殿に紫の光が濃くなると、その後ろから廊下へと黒く長い影が伸びる。まるで光と闇を纏い、清らかさが通り過ぎた後を邪悪さが影で染めるように。
マユリアはただ立ち尽くす者たちの間を静かに進むと、エリス様の前でぴたりと止まった。
「やっとお会いできました、お会いしたかった」
その言葉すらすべて芳しいオーラとなってその身を高貴さで包むかのようで、誰一人みじろぎもできない。このまま永遠のその先、この世の終わりまでその場に縫い止められたかのように。
「御祭神はどうしたの?」
そんな中、エリス様がそんなことは全く関係がないように、いつものように少しばかりのんびりと、素直に心のうちを言葉にした。その言葉に全員、ルギや神官長ですら思わずびくりと軽く身を引いてしまう。
マユリアはその言葉に朗らかに笑う。
「お帰りになられました」
「そうなの」
マユリアがエリス様の何も考えていないような軽い答えにまた同じように笑った。
「それで、私に話があるんでしょ? 大事な儀式もあるようだし、話をしてしまおうよ」
マユリアがまた楽しそうに笑う。
まるで春のひだまりの中で穏やかに話をしているかのような二人、一体目の前で繰り広げられているこの光景はなんなのだ。
マユリアはしばらく楽しそうに笑い続けていたが、やがてほおっと満足したように美しいため息を一つつき、
「お顔を見せていただけませんか、再会の時を本当に指折り数えてお待ちしていたのですよ」
とエリス様にうっとりとした笑顔を向けた。
「待ってたのはどっち?」
「もちろん両方です」
「そう、じゃあ仕方ないな」
まるで禅問答のようなやり取りの後、エリス様はさも当然のようにするりと羽織っていたマントを脱ぎ捨てた。
「え!」
声を上げたのはセルマだった。
この中で唯一エリス様の本当の姿を知らぬ者ゆえの行動、マユリアの美しさに縛り付けられ、初めて聞くエリス様の声に違和感を感じながらも理解が追いつかずにいるその前に、どこかで見たことがあるような、そして伝説のようなそのエリス様の姿に出すつもりがなくとも自然に声が出てしまっていた。
キリエはセルマの声を聞くと同時にアーダにも目を向けた。アーダもエリス様の正体を知らぬはず、だがもしかしたら知っている可能性もあるのではないかとも思っていたため、アーダの行動からそれを判断しようとしたのだ。この状態で咄嗟にそこまでの判断をできるのはやはり鋼鉄の侍女頭ゆえ。
だがアーダはまるで石にでもなってしまったかのように動かない。あまりの反応のなさにどちらかを判断することをキリエは諦めた。アーダは普段からやや気弱なところがある子だ、どちらであるとしても動けなくなることはありえると思ったのだ。
セルマが我知らず声を上げてしまったその方は、流れる銀の髪を腰まで流し、マユリアに負けず劣らず光を放つような褐色の輝く肌を持ち、深い深い緑の瞳が闇を切り裂くような暖かい光をたたえていた。
「ああ、思っていたようにお美しいお姿のまま……懐かしいシャンタル……」
混乱するセルマに正しい答えを与えるようなマユリアの言葉にも、セルマは反応をできないまま、一度溶けた氷の彫像がもう一度冷え固まったかのように動けなくなっていた。
ではやはりこのお方は、聖なる湖にお帰りになったと言われているご先代。
信じがたいことが次から次へと押し寄せてセルマは思わず体から力が抜けるのを感じていた。
「大丈夫ですか」
崩折れそうになった体を支えたのは、隣に立っていたフウだ。
「そのままそっと腰を下ろし、床の上に座っていなさい。少し冷えるでしょうが倒れてケガをするよりいいでしょう」
この状態でそんな助言をできるフウもまた只者ではないが、今のセルマは大人しくその言葉に従うしかできなかった。
「ほら、顔を出したよ。それで一体どんな話?」
シャンタルは周囲の何事も気にせずに普通に会話を進める。
「もうご存知なのではないですか、わたくしたちのことを」
「そうだね、色々と知ったことはあるよ。だけどそれだけではどの話か分からない」
「そうですね」
マユリアはまた春の日差しのように笑った。
「わたくしたちが二人で一人であったということ」
「ああ、そのことか、それなら確かに聞いたよ」
シャンタルはまるで忘れ物を教えられた子どものように気楽な様子で答える。
「でも元はそうでも今はもう違うじゃない。今は別の人間になったのだから、やはりちゃんと話してくれないと分からないよ、一体どうしたいのか」
「以前はすべてをお見せしておりましたのに」
マユリアとラーラ様が何も見えず聞こえない状態であったシャンタルに、自分の身を通じて外の世界を見せていたことを持ち出して、
「もう一度共に同じことを見て同じことを聞きたい、そう望んでおります」
と答えた。




