19 消えた御祭神
神官長は神殿の廊下を真っすぐ進み、正殿の扉が見えるあたりまで来るとぴたりと止まり振り向いた。いつもならいるはずの立ち番の神官はここにもいなかった。
「本日は特別な日でございます。マユリアのお姿を最少の者の目にしか触れぬよう、神官たちは神殿より出しております。マユリアのお支度のために共をした侍女たちもすでに宮に戻っておりますゆえ、今ここにおられるのはマユリアと国王陛下、そしてあなた様方だけ」
なるほど、道理でいつもより寒々として広く感じるはずだ。一足ごとの足音さえ常より反響して聞こえていたのはそのためか。
「正殿でお待ちください。わが主をお呼びいたしてまいりますので」
「マユリアは正殿にはおられないのですか」
「はい。お伺いしてもしも何か命があればその方には出ていただきますが、とりあえずは中でお待ちください」
神官長は暗い笑みを浮かべると正殿には入らず方向転換をして小さくなっていった。
「とにかく入って中でお待ちしましょう」
「はい」
キリエの言葉でミーヤが正殿の二枚並んだ向かって左の扉を押して開いた。今日の婚儀のように何か儀式や催しがある時には両開きにしてある扉だが、通常の出入りには左の鍵だけがいつも開いた状態になっていて、そちらを押して入ることになっている。
開いた扉に一番最初に足を踏み入れたのはキリエ、続いてアーダが先導するようにエリス様、ベル、フウ、セルマ、アラン、ルギが続き、最後にミーヤが入って扉を閉めた。
ミーヤが振り返ると全員が立ったまま動かずにいる後ろ姿が目に入ってきた。何事かと視線の先を追ってミーヤもあっと声を上げたまま立ち尽くす。
「御祭神、どうしたんだ……」
やはり一番に言葉に出したのはベルだった。
全員が見慣れていたはずのあの清らかに輝く御祭神がなくなっている。台座が残っていることから確かにそこにあったと確認できるが、きれいに石の部分だけがどこかに消えてしまっているのだ。
「割れたんならかけらとかが落ちてるはずだよな」
次にアランがそう口にした。異様な事態を察して周囲を見て状況を確認してのことだ。御祭神といっても物としては石だ。誰かが壊したのなら砕け散ったかけらが周囲に飛び散っていてもおかしくないはずだ。
「昨日、今日のために正殿に伺った時には確かにご存在なさっていらっしゃいました」
キリエが冷静に昨日の状況を思い出す。そうだ、確かにあった。いつものようにここから温かい光を正殿中に送ってくれていたはずだ。
「どうしてこんな……」
アーダはただ呆然と台座を見つめているだけしかできないようだ。
フウはただ黙って何かを考えているだけで口を開くことはない。
セルマはフウの隣で同じように黙ったままで立っていたが、その表情には複雑なものがあった。御祭神のことはもちろん気になるが、久しぶりに目にした神官長が自分には一切注意を払わなかったこともどう受け止めていればいいのか困惑しているようだ。
ルギは一体何を思っているのかその表情からだけは分からない。いつものように無表情に、だがその視線だけはしっかりと台座にあったはずの御祭神を見つめている。
エリス様だけは頭からフードをかぶっているために全く様子を知ることはできないが、頭の方向を御祭神の方に向けているのだけは分かった。
御祭神は生き神シャンタルご本人ではないが、そのお方の分身のような存在だ。この二千年の間、ずっとシャンタルご本人と同じ尊敬を受け、慈しみの光を与え、そしてその光に三日三晩照らされた護符がシャンタルの分身として各地の神殿に送られ祀られている。
その御神体がかけらも残さずきれいに消えた、これが一体何を意味するのか理解できる者は一人もいない。誰も御祭神が消えた理由を知る者はいない。実のところは神官長でさえ知らぬことだ。ただ想像もしなかったことが起きているという現実を突きつけられているのは間違いがなかった。
「御祭神、どこ行ったんだろう……」
またベルがそうつぶやいたが、誰も答えることができる者はできない。再び沈黙が戻る中をただ黙って神官長が戻るのを待つしかなかった。
やがて静かに正殿の扉が開き、神官長が戻ってきた。
「お待たせいたしました。集まった者はみなそのままでよいとの主のお言葉です。どうぞそのままお待ちください」
嬉々として告げる神官長の言葉にも答える者もない。三度戻った沈黙の中を神官長が「主」と呼ぶ方が来られるのを待つだけだ。
凍ったような空気の中を優雅で軽やかな足音が近づくのが聞こえ、その音が止まると神官長は恭しく扉を開くべく動いた。待っていた方が中に入られるのを待ちかねたように、まず左扉、続いて右扉を内側に両開きの形に開く。
一同の目に飛び込んだのは高貴の紫に包まれた光そのもののような美しい女神だった。
これまでマユリアを見知っていた者たちの目にすら初めて映るような完璧な女神。これまでも欠けることのなかったはずの美姫が一体何を得てここまで光り輝くようになったのだろうか。
誰もが目前の奇跡のように美しい方と御祭神をうっすらと意識の中で重ねていた。




