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 6 止めを刺す剣

 御祭神は何も答えることなく砕け散り消えた。その光の余韻の中に立つ高貴の紫に全身を包まれた至上の美の女神はゆっくりと瞳を開き、顔を上げる。その黒く濡れる瞳にはもう迷いの色は一切なくなっていた。


「人の世のことはわたくしにお任せください。あなたはもうこの世にはいらぬお方」


 歌うようにつぶやく朱を帯びた口元は笑みの形を作り、甘い吐息に微かに甘美な毒が混ざっていた。マユリアが紫の影をまといながら正殿を出て行った後には、消えてしまった御祭神が設置されていた台座だけが残されるのみ。


 マユリアが正殿から出ると、廊下で神官長と神官、キリエとマユリア付き侍女たちが待っていた。


「待っていてくれたのですね。このような場所で寒かったのではないのですか、終わったら呼ぶと申しておりましたの」


 臣下たちは主の温かい言葉に静かに深く礼をした。


「この後は準備室で待機したいと思います。おまえたちも温かい部屋で休みなさい、わたくしもしばらくここでゆっくりさせてもらおうと思います。必要があれば呼びますから、それまで一人にしてください」


 マユリアは衣装を着付けた準備室まで戻るとそう言って臣下たちを部屋から出した。時刻は午前の半ばにもなっていない、儀式が始まるまでまだ長く待つことになるが、命じられた臣下たちは主の言葉に従うより他にできることはない。


 神官長は正殿に戻り御祭神が失われていることを知って驚いたが、


「一体何があったのか分からないが我が主のなさることに間違いはない」


 と口にして、それ以上考えることをやめた。


 神官長が自室に戻るとそこには神官の振りをしている前国王が隠れていた。


「お待たせいたしました」


 神官長がにこやかに声をかけても前国王は厳しい顔をするのみで返事をしない。


「マユリアの婚礼衣装姿を拝見してまいりました。言葉にすることもできぬほどお美しいお姿を」


 神官長の言葉に前国王の片眉(かたまゆ)が音を立てたように動いた。


「あのお美しいお姿が、もうすぐ息子さんと正殿に並ばれるのですね」


 今度は明らかに音を立てて両眉が釣り上がり、前国王の顔が真っ赤に染まった。


「あなた様が何もなさらなければ、ですが」


 神官長が意味ありげにそう言ってくつくつと笑う。


「私に一体何をやれと言うのだ」

「おや、今さらそのようなことをおっしゃるとは思いもしませんでした。そのお覚悟でこちらに参られたのだとばかり思っておりましたので」


 神官長は目を丸くして驚いて見せる。


「ですが私の伝え方が足りなかったのかも知れません、申し訳ありませんでした。ならばもう一度お伝えいたします」


 神官長の言葉に前国王の顔が赤から青へとみるみる変化していった。以前感じた神官長に対する恐怖がにわかに蘇ってきたのだ。だが、この恐怖を乗り越えて行動を起こさなければマユリアを手に入れることは叶わない、息子に思い知らせることも。


「よかろう、申せ」


 前国王はできるだけの威厳を含ませてそう言った。


「はい、では申し上げます」


 神官長は一度言葉を切り、少しばかり前国王に近づいて囁くように言った。


「どちらの国王が女神にふさわしいのか」 


 聞いたことがあると前国王は思った。昨日、ここに来た時に確かに神官長はそう言っていた。だが本当にそれはほんの一日前のことなのか? まるで前世で聞いたかのようだ。


「次はあなたご本人がご子息と向かい合う番でございます」


 この言葉も確かに聞いた。そうだった。


 前国王はあの時の気持ちを思い出す。激しい怒りが湧き上がった。


「分かった、もうみなまで言うな。この国の国王は私一人、そのことをあの若造に思い知らせてやる」


 溶岩が噴出する前に、静かにふつふつと湧き上がるような口調で前国王はそう言った。


「さすがでございますな、そう、今こそその時でございます」


 神官長はうれしそうにそう言うと、部屋の中にある戸棚を開けて中から細長い何かを取り出した。


 肘から手先までぐらいの長さのそれは、荒い目の袋に包まれていても形から何かが分かる物であった。


「剣か……」

「はい。少し短こうございますが、陛下が扱われるのには大剣よりはこの方がようございましょうかと」


 神官長が袋から取り出したのはあまり装飾がなく、実用だと分かる短剣に近い剣であった。


 衛士たちが腰に帯びるのは刀身の反りの少ないまっすぐな両手剣だ。戦のほぼないシャンタリオだが、実際に打ち合うための剣である。今回神官長が前国王に渡した剣はそれとは違う細身の短剣だ。地面になぎ倒した敵の鎧の隙間などから差し込んで(とど)めを刺すなどの目的で使われることが多い。取り回しがしやすいため使い勝手がよく、長剣と共に身に帯びる剣士も多い。洞窟でトーヤがルギに斬りかかった時、刃を潰してある模擬剣を長剣の代わり、ナイフをこの剣の代わりに使ったような形だった。


 前国王は剣を鞘からすらりと抜き出すと、凍るような目でじっと見つめた。


「ご子息は剣の使い手としても名前を知られております。剣だけではなく格闘技や弓、槍などでも。おまけにお若い。そのぐらいのおまけをいただいて平等に立たれてもよろしいのではないかと存じます」

 

 神官長のこの言葉にまた前国王の目が燃え上がる。

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