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 3 カースの朝

 漁師の朝は早い。だから今日がこの世界にとって特別な日であるからといって、いつもより早く起きたということもない。いつものように、シャンタル宮から朝の一つ目の鐘が聞こえる頃には、みんなすでに起きて支度を終えていた。


 だが、やはり気持ちの上では今日は常とは違う。今日から三日間は漁を休み、昨日までに取った魚などで交代というめでたい日を祝うための準備に入っている。何しろ十年に一度の祭りでもある、さらに何だか分からないがマユリアと国王の婚姻というおそらくめでたい儀式もある、いつもより以上に気持ちが沸き立つのは仕方がないというものだろう。


 それ以外にも村長宅では今日はまた他の出来事も重なった。リルが陣痛を訴えたのだ。今はお産のためにナスタの部屋で一緒に寝起きをしているのだが、一つ目の鐘が鳴る頃から痛みが出てきたようだ。


「まだまだだと思うけど、念の為にマルトに連絡するかい?」


 リルの腰をさすりながらナスタがそう聞くと、


「ううん、マルトに知らせたらお父様とお母様にも連絡するでしょ。そうしたらトイボアさんたちがここにいることが知られてしまうかも知れないから、ダリオ兄さんが船を出すまでは黙ってて。多分まだまだ生まれないと思うから。大丈夫、四回目なんだから自分でどんな感じか分かります」


 とリルは笑って言うが、ナスタは心配な顔のままでもう一度リルに言って聞かせる。


「お産ってのはね、何回やってもその回数だけ全部違うもんだよ。あたしだって三人産んでるし、何人も取り上げてるからよく分かる。あんただって分かるだろ?」

「それはお母さんの言う通りだと思うけど」

「それにさ、今回はちょっと違うだろ? 分かってんだろ?」


 ナスタの言葉にリルは少し黙ったが、


「ううん、でもやっぱりもうちょっと待って。そのことで成ることが成らなくなるって、やっぱり嫌なの。それに大丈夫、だって私の子なのよ、ちょっとやそっとでへこたれるようなことないから」


 と、苦しそうな顔に笑顔を浮かべて言うので、それ以上のことはナスタにも言えなくなった。


「はあ、言ってる間にちょっと引いてきたわ、これでちょっと息がつける。今夜あたりかしらね、産まれるの」


 確かに陣痛の間隔はまだまだ長いとナスタもリルの意思に従うしかない。


「分かった。けどいよいよ押し迫ってきたら、あんたがいくら言ったってあたしはマルトに言いに行かせるからね」

「ええ、その時はお願いします。私はお母さんの判断と腕を信じてます」

「ああ分かったよ、できるだけあんたの気持ちに沿うようにするよ」

「ありがとう、お願いしますね。ところで、ちょっとお腹が減ってきたんだけど、今のうちに何かちょっといただけます?」


 痛みの波が引いた今、けろっとしてそう言うリルに、


「祭りのごちそうを準備してるから、そっと持ってきたげるよおっかさん」

 

 と、ナスタも笑顔で頼もしそうにそう言って部屋を出ていった。


 外ではまだ暗い中、村の者が総出で料理にかかっていた。


 パチパチと火がはぜる音がして、炭に落ちた魚の脂の匂いが香ばしい。ナスタはなんとなくトーヤがこの村にやってきた時のことを思い出す。嵐で打ち上げられた時ではなく、宮からの公式訪問としてミーヤと共に馬車に乗ってやって来た時のことだ。


 あの時はまさかこんなことになるなんて思いもしなかった。ごく普通に村の暮らしが続いていくだけだと思っていた人生に、信じられないような出来事が起こっている。それはいつからかと考えると、やはりあの嵐の後なのだと思うしかない。あの嵐と共に物語は始まっていた。


 それでも嵐の後を片付けて、その後はもうそれで終わりだと思っていた。「託宣の客人」だという方が村を訪問なさっても、もうそこまで、後は年を取ってから、孫たちに昔こんなことがあってねと話してやるだけの出来事だとばかり思っていた。それなのに今もまだ実は嵐は吹き荒れている真っ最中なのだとナスタは知った。


 サディとダリオはトイボア一家が来た時の準備をしていた。できるだけ早く半島の先まで移動させて船に乗せてしまわないと、誰かに姿を見られる可能性がある。

 ダリオが半島からマユリアの海の沖を通ってキノスまで送り、そこの宿に隠すと決めているが、光の元でマユリアについての話を聞いてしまった今、少しばかり不安を感じている。

 いつもは穏やかに船をすべらせる海が突然牙をむくことは承知している。それで何人もの漁師たちが飲み込まれ、自分たちだっていつそうなるか分からないと覚悟もしている。

 それでも海を恐れず海を愛し海と戦う、それが漁師なのだ。体には血ではなく海の水が流れている者が。


 だがそれでもやはり少し不安を感じる。いや、トーヤが引き込まれそうになったと聞き、マユリアが今どうなっているのかを知った今となっては、少しではなく心の底から恐怖を感じるというのが本心かも知れない。


 相手はいつもの海ではない。明らかに悪意をぶつけてくる意思を持った海なのだ。


「おい、気をつけていけよ」

「ああ、分かってるよ」


 いつもの言葉を交わしながらも、サディの言葉もダリオの返事もいつもとは違う意味を含んでいた。

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