2 王宮前の朝
季節は二月、一年で一番寒い時期だというのに、王宮の前には夜明け前からたくさんの人間が詰めかけ、その人いきれで熱さすら感じるほどだ。ライネンはタンドラと二人、仲間たちとは少しずつ距離を取りながら人の波に混ざってじっと待機していた。他の十五名は3つに分かれて王宮の門近くにいるはずだ。
民たちがこんなに早く集まっているのは、マユリアと国王の婚儀が何時から始まるかが分からないからだ。ライネンは婚儀が午後を少し過ぎた頃から始まると知ってはいる。だが無辜の民の振りをして王宮組に入っているのだから、ここで他の民たちと一緒に待つしかない。
多くの貴族は昨日までに宮に入り、賓客として優雅に今日を迎えているのにどうして自分はと考えないではないが、あの面倒な老人のそばから離れられるなら、そのぐらいの我慢はしなければと思い直した。何しろ今日で全てが終わるのだ。この数ヶ月間の苦労を思えば、あと半日ぐらいなんともないとも思える。
突然の国王譲位とそれに次ぐ父たちの失脚。あの時の絶望を思えばもう少しの我慢ぐらいなんだというのだ。それに何よりたった一人であの国王を預かってからの日々を思えば、まだここで名も知らぬ民たちの体温を感じる方が温かいというものだ。
今思い出しても地獄のような日々だった。まさか国王があのような愚物であるとは全く想像もしておらず、別荘の一つ「封鎖の館」にお迎えできた時にはどれほど光栄だと思ったことか。当時を思い出して思わずため息がもれる。毎日毎日息子である新国王への恨み節を聞かされ、いつになったら自分を玉座に戻すのだと責め立てられ、それに一人で対応する日々。ヌオリと共にお救いするのだと沸き立った気持ちに水をかけられ踏みにじられるような日々であった。
さらにあの老人の玉座に戻った後の望みの情けないこと。子どもがおもちゃをねだるように、ただマユリアが欲しいとしか考えていない。国をこの先どうしたいという展望すら口にしない。血走った目でいつになったらマユリアを我が物にできる、いつになったら国王に戻せるのだと、自らは何もせず悪魔が乗り移った鳥がさえずるかのように繰り返すだけ。何度その口を塞いでやりたいと思ったことか。
今日、本当に計画がうまくいってあの老人が玉座に戻ったとしたら、この国のこの先はどうなるのかと不安にかられる。だが、それでも我が家系を元の地位に戻すには、家格が低いラキム伯爵家やジート伯爵家を追い落として身の程を知らせるにはそれしかない。
人混みの中でもみくちゃにされながら、そこまで考えてライネンは初めて気がついた。
――これは、あの老人がマユリアに固執するのと同じではないか――
ヌオリや前国王、さらに父親を引きずり降ろして今の地位についた新国王と自分は全く同じ。そう思い当たって呆然とする。自分にだってこの先の展望などない。この国をどんな国にしたい、そんな希望など持ってもいない。ただ国王の側近という立場に戻りたいだけ、自分たちこそがその地位にふさわしいと言いながら、高い気持ちの一つもない。
ライネンはなんだか惨めに感じてきた。今からでもここから逃げ出し、屋敷の奥に閉じこもってしまいたい。そうは思うが逃げ出すこともできないことが、ますますライネンを惨めにしていた。
そんなライネンの隣でタンドラは無表情にただその時を待つ。ライネンが何を考えようとそんなことは彼には関係なかった。ただ王宮前に集まる民たちを煽動する旗頭になってくれればそれでいい。そのために集めた15人、そのためのライネンだった。
王宮前に連れてきた男たちの中の数名は現国王に追い出された元王宮衛士、残りは新国王のやり方に憤り、前国王を玉座に戻すことこそ正義であると強く信じる男たちだ。その熱意にひっぱられ、集まっている民の何割かは一緒に王宮になだれ込んでくれるだろう。それを期待している。そのためにはライネンのような「高貴な家の方」が必要だった、それだけだ。
タンドラは本当に元憲兵ではあるが、今は神官として神官長に仕えている。元々はシャンタルをお守りする衛士になりたいと思っていたのだが、兵学校を出て希望をしたものの選ばれず、憲兵に回されて仕方なくリュセルスに配属されていた。だが、元々信仰心が厚かったため、自分の生きる道はこちらではない、他にも神にお使えする道はあるのではないかと考えた末、神官になりたいと神殿の門を叩いたのだ。
神殿に入ってからは懸命に修行をした。その生活が兵として働くよりも合っているとその生活に満足し、そしてその教養と見識の高さから神官長を尊敬するようになった。当時はまだ神官長は今のようではなく、いつも控えめで宮の影に隠れるようにひっそりと静かに神に仕える生活に満足していた頃だ。
だがタンドラは密かに不満を抱いていた。なぜ神官長のように素晴らしい方が宮の下に置かれなければならないのかと。
しかし時代は変わった。先代が聖なる湖にお戻りになり、宮は神殿の力を、神官長のお力を必要とするようになった。そして今日よりは女王マユリアの側近となられるのだ。その日が来たとタンドラの胸は躍っていた。




