14 二人の国王
神官に身をやつした前国王は、一人で行き交う人に紛れるようにして神殿へと向かった。
宮の中は思った以上の人の往来でやや混乱しており、この中に神官一人ぐらい紛れていても誰も気にすることもないようだ。すれ違う人間の中には王宮で見たことのある顔もちらほら混じっており、それが自分に背を向けた者である時には怒りが湧き上がるものの、今はそのような者に関わっている場合ではないと前国王は自分を抑え、目的地へと歩を進める。
神殿の入口には当番の神官が二名立っていたが、前もって神官長から身内である神官は通すように言われていたのだろうか、軽く会釈をしただけで怪しむことなく中に入ることができた。
前国王は神官服のフードを深くかぶって顔を隠し、ややうつむき加減で神殿の中を進む。神殿内ですれ違った他の神官も特に疑念を抱くことなく身内であると判断しているようで、すれ違う時に軽く会釈をするだけで、特に咎められることもない。
前国王は少し前までしばらくの間匿われていた隠し部屋のある、神官長の私室前まで進んだ。扉を叩こうとして少し戸惑う。なぜ王である自分がたかだか神官長の部屋へ訪いを告げるため、下僕が許しを乞うような行為をせねばならぬのか。人の一番の高みにいた者の自尊心が、単に扉を叩くだけの行動をなかなかさせてくれない。
前国王が神官長の私室の扉の前で動けずにいると、ふいに扉が開いた。
「そろそろお越しになられる頃かと思っていました」
神官長が人の気配を感じて扉を開けに来たらしい。苦虫を噛み潰したかのような表情の前国王に、神官長は無垢な赤子のような満面の笑みを浮かべ、
「せっかく来られたのですが、案内したい部屋がありますので、先にそちらに参りましょう」
そう言って部屋に施錠をしてから前国王を伴い、そのまま違う方向へ向かって歩き出した。
到着したのは神殿にある客室の一室だ。神官長は無言で鍵を開け、前国王を室内へと案内する。
「これは……」
そこにあったのはマユリアの婚礼衣装だった。高貴な紫に金やきらびやかな宝石、透き通るレースをあしらった見事な絹の海に前国王は言葉を失う。この衣装をまとったマユリアの美しさはいかばかりであろう。想像するだけで喜びに打ち震え、膝から崩れ落ちそうになる。そして同時に、その天上の美を横取りしようとしている息子への怒りに血が逆流するのも感じた。
「なんとお美しいのでしょう」
突然背後からかけられた声に、前国王はふいっと我に返る。
「明日、マユリアはこのお衣装に身を包まれ、国王陛下と婚儀を挙げられます」
その言葉に前国王の顔が怒りの火を移したように真っ赤になった。
「誤解はなさいませんように」
神官長は前国王の怒りを当然予想しており、余裕の笑みを浮かべて続ける。
「マユリアの婚儀のお相手はシャンタリオ国王陛下でいらっしゃいます」
微妙に言い回しを変えたことで前国王が眉をピクリと動かした。
「ええ、シャンタリオ国王陛下、でいらっしゃいます」
神官長は念を押すようにそこで言葉を区切る。
「今、この国にはお二人の国王陛下がいらっしゃいます。いえ、お怒りにはなられませんように。民は今、国王陛下と聞くと思い浮かべるお方が二人いらっしゃる、これが事実なのです」
前国王は神官長の言いたいことをやっと理解できた。
「つまり、マユリアと婚儀の誓いを交わすのは、私でも息子でもどちらでも構わぬ、そう言っておるのだな」
「御意」
神官長はにこやかに微笑みながらそう答えた。
「なぜだ」
国王はその返事にあらためて疑問を抱いた。
「なぜそのように回りくどいことをする。なぜ私から王座を奪う必要があった。おまえは息子に与して反逆に手を貸した。私を騙し、裏切った。それもまた事実であろう」
そうだ。国王が二人いる状況を作ったのは、神官長であるとも言える。
「言え、なぜそのようなことをした。答えによっては許さぬ」
前国王の厳しい言葉に神官長は楽しそうに薄く笑った。
「どちらがマユリアにふさわしいお方であるのか、天から神が人の世に降りられるのに、そのぐらいの試練を受けなくてどうなさいます」
「なんだと」
「どちらの国王が女神にふさわしいのか」
神官長は表情を引き締めると前国王に宣言する。
「陛下も現国王陛下も女神をお望みでいらっしゃる。それは人の高みのお方として当然のお気持ち。ですが、マユリアのお相手はどちらでも良いのですよ、はっきり申し上げますが」
神官長のその頼りない見た目からは想像もできない鋭い視線に、前国王は思わずわずかばかり身を引いた。その迫力に気圧された形だ。
「人でありながら神とお並びのお方、神がさらにそのそばに一足近寄ってくださろうとしていらっしゃるのです。ならば、我こそ女神に並び立つ者。そうおっしゃってそのお言葉にふさわしいお姿をお見せいただけませんか? 御子息はあのような形で一度はあなた様に取って代わられた。では、次はあなた様の番です。一度は奪われた王座を奪い返すためのお手伝いはいたしたつもりです。あの若い貴族たちに力を貸して。次はあなたご本人がご子息と向かい合う番ではありませんか?」




