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 9 強い意思

 マユリアの涙を見た途端、あの涙はおそらく今はマユリアの奥深くにおられる当代の涙、キリエはそう感じ、そして少しだけほっとした。当代の意識は、お心は、今でも消えてはおられない。そう思って。


 だが、たとえ本心はそうでも、キリエには侍女頭としての使命があり、役目がある。今の(あるじ)、表に出ておられる女神マユリアのご意思に従い、その意に沿う道を探さねばならない。


 キリエはマユリアに「ルギを使ってシャンタルの部屋を捜索させてはどうか」と提案をしたが、これは今の主がルギの真の主ではないと分かっての上のこと、当代にとっては残酷な言葉であったに違いない。たとえ当代がルギを道具のように扱うことを良しとはなされなくとも、侍女頭としては言わねばならない。だからキリエはあえてその言葉を口にした。


 おそらく当代はキリエの行動の意味もご承知で、キリエのためにも涙を流されたに違いない。キリエは痛む胸を押さえながら無表情を貫く。


(申し訳ございません。これが私の、侍女頭としての選ばなければならない道なのです)


 その苦痛をも受け入れる覚悟で自分は敵になる道を選んだのだ。選んだ道を突き進むためにキリエは言葉を続ける。


「いかがいたしましょう、ルギを呼んでまいりましょうか」


 この行動がいかに当代マユリアの心を傷つけるかを知りながら、キリエはそれでも続ける。続けるしかないのだ。そしてもしも本当にルギを呼ぶようにと言われたなら、そこがたとえ最も尊いシャンタルのお部屋であろうとも、ルギに調べるようにと命じることになる。それを覚悟の上であらためてキリエは「主」にそう問いかけた。


「ルギ、ですか……」


 マユリアの瞳からはまだ美しい涙が流れている。ゆるやかに、だが決して尽きることがない泉のように。


 キリエはその涙を見つめ、キリキリと心臓に針を突き立てられる痛みを感じながら、それでももう一度こう口にする。


「ルギならば、きっとマユリアのお望みを叶えてくれることと存じます」


 一言一言がキリエ自身を傷つけ心から血を流させる言葉、それでもキリエは続ける。


「いかがいたしましょう」


 マユリアは潤んだ瞳でしばらく忠実な侍女頭を見つめていたが、やがてゆるやかに首を振った。


「いえ、よしましょう。さすがにシャンタルのお部屋を調べさせるわけにはいきません」

「承知いたしました」

 

 キリエはゆっくりと丁寧に頭を下げながら心の底から安堵をした。よかった、人の道を踏み外さずに済んだ。そのことを天に感謝する。


「では、これでトーヤたちの捜索は終了ということでよろしいでしょうか」

「ええ、そうしてください」

「承知いたしました」


 侍女頭は麗しい主に深く一礼し、部屋から下がっていった。


 マユリアはその細い後ろ姿を見送りながら、自分の口から出た言葉が信じられずにいた。


――なにゆえ、ルギに捜索を命じなかったのか――


 自分の意思はそちらだ。今ではもう確信に変わっている、先代がシャンタルの部屋に(かくま)われているだろうことは。だからルギに命じて見つけ出し、この宮殿に連れてこさせるつもりであったのに、口から出た言葉は自分の意思とは違っていた。


「いえ、よしましょう。さすがにシャンタルのお部屋を調べさせるわけにはいきません」


 マユリアはもう一度その言葉を口にする。


「なぜ……」


 言ってしまってからマユリアは長椅子の上に力なく崩れ落ちた。


「ルギにシャンタルのお部屋を調べさせてもらってください」


 マユリアは今度は本来なら言うはずだった言葉を口にする。


 今なら言える。こんなにすんなりと心のままに。だがあの時、どうしてもこの言葉が出てこなかった。


 なぜなのかは分かっている。それは、心の奥に封じたはずの当代マユリアの意思が、表にいる女神マユリアの意思より強かったからだ。中に封じられている当代の意思が、表に出ている自分の意思に勝った。だからそうは言わせなかったのだと分かる。


 始めのうちは抵抗が強かった。マユリアの中でもう一人のマユリアは意に染まぬことがあると抵抗を示していた。その度にマユリアは中にいる当代を優しく(いさ)めてきたのだ。


「分かって下さい。民のため、神域のため、この世界のために、わたくしたちは共に一人のマユリアとして生きていくのです」


 何度も何度も繰り返す波のようにそうなだめているうちに、中からの力が弱くなっていくのを感じた。段々と同化している、二人が一人になっているのを感じていたというのに、なぜ……


 今なら言える。今からでももう一度キリエを呼び返し、ルギに調べに行かせようかとも考えるが、どうしても動く気になれない。


 思わぬ同化の効果であろう。当代が表に出ている女神の心に同化するのと同時に、女神自身も中の当代の心に同化している。おそらくその影響であろうと思われた。


 ルギは剣、女神に仕える聖なる衛士。そう思うと同時に、傷つけたくはない大切な「人」であるとそう思っている自分に女神マユリアは呆然とする。


「わたくしにはやらねばならないことがある。そのためにもルギに、シャンタルのお部屋を……」


 そこまでは考えるのだが、どうしてもそこから先に進むことができなかった。

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