8 託宣の先にあること
マユリアの心の奥から当代の心が溢れ、涙となって流れ落ちている。
「マユリア……」
キリエはうっすらと気がつき、そしてトーヤの言葉で確信を持った。今の主はマユリアの中におられた本来の女神のマユリアであり、人としてお生まれになられた当代ではないと。いつからか中の方が表に出られて当代というお方が中におられるのだと。
考えてみれば不思議なこと、ありえぬようなことだが実際にある。キリエは八年前にそれを知った。
『中の方がそう言ってってシャンタルに言ったの』
八年前、自我を持たぬ先代「黒のシャンタル」に助け手トーヤに助けを求めさせるため、ミーヤと共に色々な手を尽くしていた時、少しずつ自分を取り戻していたシャンタルがそう口にされた。
慈悲の女神シャンタルは、穢れの多い人の世で生きるため、十年ごとに無垢な赤子の中に入られる。宮に仕える者としてはそれをごく当然のことと受け止めてきていたが、実際にご本人から「中の方」が実際にいらっしゃると聞き、少なからず衝撃を受けたことの方がキリエには衝撃であった。
それが事実と言いながら、キリエも本心ではそれはあくまで神話、伝説、事実ではあるまいと思う気持ちがあったと知ったからだ。
侍女がお仕えするのは内に神を宿す歴代のシャンタルでありマユリアだが、真実唯一の主はその内に御座す女神である。目の前におられる代々のシャンタルとマユリアが尊いのは、内なる神が選ばれたお方であるからだ。ゆえに交代の後、本来は人であった「外のお方」は人に戻られ、人としての生活に帰っていかれる。そのことを当然のこととして粛々と交代の時に新しいお方をお迎えし、お務めを終えられたお方をお見送りしてきた。長年そのことを繰り返していたキリエですら、まさか本当に中のお方がおられるとは心の底から思ってはいなかったと気がつき、愕然としたのだった。
だが今は知っている、中の方はおられるのだと。それ故キリエは選んだのだ、中のお方、本来の女神マユリアのご意思に従うと。外のお方は人に戻られるお方、中のお方こそ本当に仕える主であるのだからそれが当然のことだ。
八年前、まだ幼いシャンタルに神としての決断を背負わせ残酷な現実を突きつけた。そしてシャンタルが神としての決断をなさるまでの日々に、本当にたくさんのことを考え、様々な出来事を経験した。それまでの短からぬ人生よりも濃密で濃縮された、今にして思えば短いあの時に。
女神マユリアは人の世に歩み寄り、王家の一員として女王となる道を選ばれた。なにゆえ女神がその道を選ばれたのかは分からない。また知る必要もない。下僕はただ主のご意思に従うのみ。
キリエはマユリアが入れ替わったことで分かったことがあった。神官長とセルマのあの動き、それはこちらの主の意思に沿ったことで間違いがない。神官長は最後のシャンタルの秘密を知っている。その上でさらにトーヤとルギが黒い棺を沈める姿を見て高熱を出した後、なんらかの形で女神マユリアと接触をした。それはもしかしたら、マユリアが言っていた時々意識を失うことがあった、そのことではないかとキリエは推測し、そしてそれは事実であった。
キリエはトーヤや神官長のように中の女神との直接の交流をしてはいない。だが、トーヤのあの言葉、
『マユリア、変わっただろう。あんた、何かが違う、そう思ってるよな。あんたが思ってることは当たってる、その通りだ。あんたは間違ってねえ』
その言葉で推測が当たっていたと確信した。
次代様が最後のシャンタル、それがおそらくこの先に起こる現実。そのために神の御一方はトーヤを遣わし、そしてもう御一方は女王となる道を選ばれた。つまりそれは二人の神が道を違えたということなのだろう。
この先の世界がどちらの女神の選ばれた方向に進むのかは分からない。だが宮の進む方向はおそらくマユリアが選ばれた道だ。幼い当代シャンタル、そして次代様からのお言葉がない限りはマユリアの進む方向に従うしかキリエにはできない。それが侍女として、侍女頭として選ぶ正しい道だからだ。
トーヤは託宣の客人、シャンタルが選ばれた人だ。ならば宮とは別の道を進むだろう。トーヤと共にこちらに来たアランやベル、そしてディレン船長もトーヤと共に先代「黒のシャンタル」を守りその道を進んでくれるはず。同じ宮にある侍女のミーヤ、それからリル、月虹隊長のダルも。
それならばそちらの道は彼らに任せよう。キリエはその覚悟でトーヤたちの敵になり、袂を分かったのだ。千年前の託宣の先にあること、見えぬ未来を守るために。
キリエはマユリアが選んだ道は過つ道ではないかと考えていた。神官長の狂気に満ちた瞳を通し、マユリアが何かの理由で歪んでしまったように感じる。だから主たるシャンタルに反旗を翻し、今の道を選ばれたように思う。
ただ、マユリアが間違えた道を進まれたとしても、その道に殉ずるとキリエは決めていた。そしてトーヤたちが勝つことを望んでいる。この世界の進む先が全うであるために、自分の屍を乗り越えて行ってくれることを。その礎になるために、自分は彼らと道を違えて今ここにいるのだからと。




