5 触れられぬ場所
「では、宮のどこにも誰もいなかったと言うことですね」
「はい」
ルギはキリエに宮の内でトーヤたちを見つけられなかったことを報告したが、こう一言付け加える。
「シャンタルのお部屋以外には」
もちろんキリエにはその言葉の意味がよく分かった。
「何か、シャンタルのお部屋にトーヤたちがいるとの証拠でもあったのですか?」
「いえ」
「それならば、調べさせていただきたいとお願いすることはできません」
「はい」
ルギもそうであろうと理解している。トーヤが仕掛けたからくりのことぐらい、ルギにも予測はできている。だが証拠もなくシャンタルの部屋を調べさせていただくことはできない。よしんば証拠を探すためにシャンタルの手紙を調べたとしても、同じようにすでに回収されてしまっているだろう。
普通の人間ならば考えつくこともないだろうことをトーヤはやってくる。そしてこの国で唯一その考えに対抗できるのはルギだけだろうが、打開策は見つけられなかった。それだけのことだ。
「マユリアには私から報告をいたしましょう」
「はい」
ルギが退室するとキリエはすぐにマユリアの部屋へと向かい、そう報告をした。
キリエだとてシャンタルのお部屋のことを考えないではなかった。これが他の者ならば、こともあろうに神の部屋に身を隠すなど思いつくこともなかろう。だが相手はトーヤ、感覚が普通のこの国の民とは違う、十分ありえることだ。
そうは思うが、やはりシャンタルの私室は聖域中の聖域、たとえ侍女頭でも理由もなく勝手に調べることはできない。そして根拠も何もなく、調べさせてほしいとシャンタルにお願いすることもできない。
ルギは証拠を持ってこられなかった。ならばそれはもうそこまでのこと、終わったこと。トーヤたちは宮の中のどこにもいなかった。その事実を主にお伝えすることがキリエの仕事だ。
八年前、キリエは何度もシャンタルの私室に入ったが、あの時には特別の事情が、シャンタルの生死に関わるようなことがあったからだ。今の状況はそこまでとはとても言えない。マユリアからのお尋ねがあったとしても、マユリアよりシャンタルの方が格上のお方、この世界で唯一のお方である。マユリアの命があったとしても、それだけでは決して聖域に足を踏み入れる理由にはなりはしない。
「どこにもいなかったのですね」
「そう報告を受けました」
マユリアは黙って少し考える。
キリエはマユリアも同じことを、最後の可能性についてお考えなのだろうと思っていた。だが、それも思うだけだ、口に出されずお心の中で思われておられることに踏み込むことはできない。
「本当にどこにもいなかったのですね」
と、マユリアはもう一度キリエに念を押し、
「そう報告を受けております」
と、キリエも同じ答えを繰り返した。
キリエの再度の答えを聞き、またマユリアは黙り込む。
マユリアは確信していた、黒のシャンタルは必ずこの宮に戻っていると。だが主である女神のシャンタルの結界に保護されているためだろう、行き先が掴めずにいる。黒のシャンタルだけではなく、トーヤたち仲間の姿も見えない。
本当ならば自分がシャンタルの私室に赴き、誰かがいないかを見に行きたい。いつものように「姉」としてご様子を見に行くだけのこと、その時にシャンタルとラーラ様以外の誰かがいたら偶然目にすることだろう。それだけのことだ。だがマユリアにはそれだけのことができずにいた。正確に言うとシャンタルの部屋には近寄れなくなった。
いつの頃からだろう、シャンタルの部屋に行くと苦痛を感じるようになっていったのは。今では朝の挨拶に出向くだけで精一杯だ。訪問を受けて来ていただかなくとも自分が出向いたとは言ったが、正直、呼ばれなくてよかったと思っていた。
自分の宮殿にいる時はいい。だが、廊下を渡り、シャンタルの空間に足を踏み入れると全体から空気につぶされるような圧力を感じる。息をするのがやっとで、心臓の鼓動も遅くなり血流が鈍くなる。足を一歩踏み出すだけで全身の力を必要とする感じだ。毎朝なんとか笑顔を浮かべて小さな主に朝の挨拶を済ませると、急いで退室をする日々が続いている。
それだけではない。ついさきほどシャンタルが面会に来られた時にも少なからぬ苦痛を感じていた。いつものように足に抱きつかれたシャンタルを可愛らしく愛おしいと思いながらも、反射的に突き飛ばしたい衝動にかられた。こんなことは初めてだ。
マユリアはその事実に打ちのめされそうになる。正しいのは自分のはずだ。人を愛し、人のためにこれからもこの世界を守っていくのは自分なのだから。
(だからきっと、わたくしが近寄れないのはあそこに、シャンタルの部屋に穢れがあるから。そしてシャンタルがその穢れを受けているからわたくしはシャンタルに触れられないのに違いがない)
マユリアは受けた衝撃をそう理由付け、この大事な時期にできるだけ穢れに触れることはすまいと決めていた。だがそれゆえに、黒のシャンタルはあそこにいるに違いないとの気持ちは消えない。
「本当におらぬのでしょうか、なんとか確認する方法はありませんか」
マユリアは三度目の問いをキリエに投げかけた。




