第一の夜 はじまりの夢
それは七夜の夢の始まり。
その日は酷く冷え込んでいた。
あまりにも寒かったので宇尾 陽奈子は石油ストーブに火を入れた。昨日のうちに補充しておいてよかったと心の底から思う。
関東の太平洋側で生まれ育った陽奈子は寒いのが苦手だった。いつでも海の潮風を感じられる田舎は、好きだったけど嫌いだった。湿気った風でくせのある髪が跳ねるのも好きではなかったし、今は肩口で切り揃えて矯正してあるさらさらの髪をなんとはなしに指ですくい上げながら、ほんの少しだけ感傷に浸る。
水の入った薬缶を持ってきてその上にどすん、と置く頃には、その感傷もどこかへ行ってしまった。
凍えきった手のひらに、はぁ、と息を吹きかける。陽奈子の手は人より小さい。体格も小柄で二十代半ばだけれど今でも未成年に間違えられることがある。
「雪でも降りそうだなぁ」
窓の外を見上げ、ため息をつく。
なんだか人恋しくなる。
でも、恋人を呼びつける気にはならなくて。
特に見るわけでもないのにテレビのスイッチも入れてみた。
やっているのは深夜のニュース番組。
と、突然、インターフォンが鳴った。
「……なんだろ?」
深夜。
そんな時間にやってくる人間に心当たりはない。
否。
ないわけではない。
たった一人を除いて。
半纏を羽織ってすたすたと玄関に向かう。
用心のため、ドアチェーンはしたままドアを開けた。
「よぉ」
そこに居たのは、予想通りの人物で。
長身で長い髪をした麗しの恋人、康永 哲美が佇んでいた。哲美はモデル体型で冷たい印象が先に立つ美女だ。本当はとても情熱的で情が深いことを陽奈子は熟知していたけれど。
「……どうしたの?」
「ん、ちょっと」
部屋の中に入れて、とちょいちょいとドアチェーンを指差す。
「ああ、ごめん」
がちゃん、とドアチェーンを外す。
そのまま、ずかずかと哲美は陽奈子の部屋の中に上がりこんだ。
「どうしたの、ほんとに」
なんだかいつもと様子が違う。
それは分かる。
でも、どこがどう違うか分からなくて、陽奈子は戸惑う。
点けっぱなしのテレビは、新世紀の特集を組んでいた。
つい最近流行し始めた不治の病の症例をアナウンサーが話している。
それを何かとても憎いものでも見るように眺めていた哲美は、ぶちん、とスイッチを切った。
「て、つ?」
恐る恐る声をかける。てつ、と呼ばれるのを哲美があまり好きではないのは知っている。でも、陽奈子はその名で彼女女を呼ぶのが好きだった。特別な感じがするからだ。
哲美は振り返る。いつもみたいに怒るでもなく、何の表情もないままで。
そのまま歩み寄ってきて、少しだけ後退りした陽奈子をぎゅうっと抱きしめた。
「ねえ」
何か得体のしれない不安を感じて、もう一度陽奈子は哲美に呼びかけた。
「しよう」
「え?」
問い返す暇もなく貪るようなキスをされる。
口腔を熱い舌が這いずりまわる。
「ん……ぅ……むぅっ」
体の力が抜けていく。
陽奈子は縋りつくように哲美の背中に手をまわす。
その感触を哲美は薄く笑った。
その夜は思えばとても情熱的に抱かれたと思う。
何を求めているのか分からない哲美は、陽奈子の体を何度も何度も求めた。
逃げだしたくなるほど、何度も。
ほんの七夜の夢のおはなし。
陽奈子と哲美の恋のおはなし。
暗い雰囲気で最後までいきますが、よろしくお付き合いください。