神戸にあるマンション
私が引越しを考えていたときの話です。
就職して七年。収入も安定してきたし学生時代から住んでいるアパートでは手狭になってきていたので少し広めの部屋に探すことにしました。
近所の不動産屋に行くといくつかの物件を紹介してくれました。
1LDKで十万円は高いなぁ
これは新築か。デザインもいい。
なんて物件を物色していると、一件の部屋が目につきました。
それは今住んでいる場所から一キロくらいしか離れていないマンションで、つい一年ほど前に建ったばかりでした。外から見ても立派でお洒落な建物です。何度か前を通って、こんな部屋に住めればなぁ、と思っていたのですぐに詳細を読みました。
七〇三号室 2LDK 家賃五万円 敷金礼金なし。
目を疑いました。
ほぼ新築で敷金も礼金もなし。そのうえ家賃は五万円、と書いてあるのです。これなら今住んでいるワンルームに一万円上乗せするだけです。私は慌てて不動産屋の営業マンに間違いじゃないか、と訊ねました。
ええ、間違いありません。その価格で大丈夫ですよ。
そう言われて私は、驚くと同時に少し不安になりました。
これはもしかして、事故物件、というやつではないのだろうか。そうでなければ、この安さはおかしい、と思ったのです。テレビなどで事故物件は一年以内なら告知義務があると知っていたので私は思い切って聞いてみました。
もしかして事故物件ですか?
営業マンは少し困った顔をしたが、すぐに笑顔を作り直しました。
いえ、事故物件じゃありません。隣人が変な人というわけでもありません。ただ、この部屋だけが埋まらないのでオーナーが困って値引きすることにしたんです。せっかくのマンションですから空部屋にしとくよりは埋めておいたほうがいい、という判断です。
そういうことなら、私にしても安心でした。
私は早速、物件見学をお願いしました。
営業マンの運転でマンションの前に着くと、私の部屋になるかもしれない七〇三号室を見上げました。広いベランダが南側にあり角部屋であることも嬉しい点でした。ただ、新築のころと違い少しだけ外壁が汚れていたのが残念でしたが、それは致し方ないことだと思いました。
営業マンと一緒にエレベーターに乗って七階にあがるとなかなかの景観です。いままでの住処が二階だったこともあり、私はこのまま契約してもいいな、と考え始めていました。
どうぞ、なかを見てください。入居されるときには改めてクリーニングもしますのでもっと綺麗ですよ。
部屋の中に入ると南側のベランダから光が入ってリビングはとても明るかった。ほかの部屋も小窓が付いており全体的に良い部屋である印象でした。システムキッチンはピカピカで料理をしない私でもちょっと調理がしたくなるものでした。
また、風呂は広々としており体育座りで入っていたいままでのアパートとは雲泥の違いがありました。
こんないい部屋なのに人が入らないなんてもったいないですね。
そうなんですよね。私でも住みたいくらいですよ。
ひとしきり部屋のなかを見て私はここに決めようと思いました。
そして、眺望を確かめるためにベランダにでました。流石に七階からの眺望はよく、また近くに高い建物もないので気持ちいいものでした。最後に外壁の汚れがどうなっているのか、ベランダから外壁を覗き込みました。
人の手形としか言えない汚れがありました。
私が手形をじっと見つめていると営業マンが背後から言いました。
それ、手形に見えますよね。別に事故物件でもないのにずっとそこにあるんです。理由は分かりません。ただ、そこにあるんです。拭いても気づけば出てくるんです。どうします? いまならあと一万円値引きしますよ。
それからですか?
引っ越しましたよ。あんないい部屋に住めるなら手形くらいいいと思いましたから。でも、ベランダのカーテンは締め切ってます。もし、手形の主が見えたら住める気がしないので。