第7話 腹ごなしに乱闘
それはレストランから広場まで戻る途中、両脇に高い家が立ち並ぶ薄暗い路地を通りぬけていたときのことだった。
前方の路地から、突然二つの人影が出てきて道をふさいだ。
三人なら、ぎりぎり並んで通れるくらいの道幅だ。
そう考え、瑛人はキャロルの先に出た。
こちらから人が来ていることに気づいているようだが、人影は相変わらず道を塞ぐように広がりながら近付いてくる。
一人は筋骨隆々としたスキンヘッドの大男。
もう一人は対照的にひょろ長い優男だった。どちらも嫌ににやにやしているところが気になる。
さすがに筋肉の方は避けよう、と瑛人はひょろ長い男と壁の隙間を行き過ぎようとした。
そのとき。
どんっと肩があたった、と思ったときにはもう遅かった。
ひょろ長い男が不愉快な金切り声で叫んだ。
「いってえええ! こいつ、わざとぶつかりやがった!」
それを待っていたかのように、隣の筋肉バカがドスの聞いた声で怒鳴る。
「てめえ何してくれてんだこの野郎!
女連れてっからって粋がってんじゃねえぞ!」
「何だよ? 言いがかりじゃないか!」
「何怒りながら笑ってんだ気色悪い!
殴られたくなかったら、有り金全部置いていけ!」
嬉しい誤解に、うっかり顔が綻んでしまっていた。
が、確かに笑っている場合ではない。
よりによってカツアゲだ。
しかしこの大男とはことを構えたくない。
こういうことを生業にしている気配がびんびん伝わってくる。
とりあえず、瑛人は手の関節を胸の前でぽきぽき鳴らして牽制してみた。
「舐めるなよ? 俺には、剣道と空手と合気道の心得があるんだぜ?」
剣道は、小学生当時剣客映画に憧れて始めたものの三ヶ月ほどで、防具が臭すぎるのが嫌とだだをこねて辞めた。
空手は中学生のとき漫画を読んで一念発起したが同じ型の練習ばかりで嫌気がさして行かなくなった。
合気道教室に至っては、男女共同の教室と聞き、体験に行ったが見事にシルバー層ばかりで落ち込んで本入会さえしていない。
だが、全てにおいて心得があるのは事実なのだ。
それが役立つかどうかは別として。
ときに、はったりは必要だ。
大男は、にやりと笑った。
そして、瑛人と同じく胸の前で握りこぶしを作った。
バキバキ、と小枝を折るような関節の音がして、血管の浮き出た筋肉が盛り上がる。
瑛人は不敵な笑い顔を崩さず、心の中で考えた。
これは無理だ。
ならば道は一つ。
「逃げよう!」
振り向きざま、事の成り行きに呆然としていたキャロルの手をひっぱり、二人は一目散に駆けだした。
慌てて追ってくると思っていたが、後ろから筋肉の馬鹿笑いが聞こえてくる。
「ハハ、そうはいかねえよ!」
続いて細い方の男がぶつぶつと呪文を唱える声が聞こえ、背筋が凍り付いた。
まずい。
隣の細い奴は魔術師だ。
動きを封じられたら終わりだ。
瑛人は歯を食いしばり、覚悟を決めた。
キャロルの手を離すと、振り返り、ひょろい男に向かって全力で走り出した。
男の右手に魔力光がぼっとともり、黒い大きな杖に変わったその瞬間——瑛人は魔術師の懐に飛び込んだ。
魔術師と筋肉は、瑛人の予想外の動きに気を取られ、反応が遅れている。
「おりゃああああっ!」
瑛人は奇声を上げながら魔術師の杖をひっつかみ、そのまま体当たりした。
セトに頭を殴打されてから、何度も頭の中で繰り返した必勝法だ。
あのときどうやったら殴られずに済んだのかを、瑛人はずっと考えていた。
魔術師に杖を出されたら最後、魔法を使えない瑛人になすすべはない。
だったら、杖を出すと同時に奪ってしまえばいいのだ。
魔術師なんてものは性質上、直接攻撃には弱いと決まっている。
最近引っ越しのバイト(継続期間・一ヶ月、退職理由・暑いと地獄だった)で鍛えた瑛人なら、力ずくで奪えるはずだ。
「うわっ」
想定外だったのか、魔術師の男はよろめき、杖を離した。
だが、瑛人をきっとにらみつけ、後に跳んで距離を取ると、再び呪文を唱え出す。
が、彼の手から魔力光が出ない。
「は?」
男が驚いて自分の手に目をやる。そこに僅かな隙が生まれた。
「そぉい!」
間抜けなかけ声と共に、瑛人は手に持ったその杖を振り回した。
ごつっと手に衝撃が走り、魔術師の男は悲鳴を上げてもんどり打って倒れる。
「……そうなんだ、痛いんだよこれ」
瑛人は同じ痛みを共有した身として、密かに同情した。
「てめえ!」
事の成り行きをやっと把握した筋力バカが殴りかかってくる。
こちらも必死でめちゃくちゃに杖を振り回すが、魔術師と違って男は肉弾戦に慣れているのか、軽くかわされてしまう。
「おい、早く杖を消せ!」
筋力バカは未だ頭を押さえて呻いている魔術師を怒鳴りつけた。
「……やってる、やってるんだよ!」
魔術師は悲痛な声でそう叫んだ。
「だが消せない! そいつ、妙な能力を持ってやがる! 気をつけろ!」
魔術師がそう叫ぶと、筋力はチッと舌打ちをして、瑛人をにらみつける。
「変な術を使いやがって……てめえ、能力持ちだな!!」
敵がよく分からないことで怒っているが、それどころではなかった。
もともとへらへらと要領よく世間を渡るタイプで、幸か不幸か喧嘩などしたことがない。
魔術師の杖をむやみに振り回して筋肉を寄せ付けないようにしているが、筋肉バカは筋力だけでなく瞬発力もあるらしく、杖を打ち下ろす前にさっとかわしてしまう。
「当たれぇぇええ!」
と、杖の動きが突然止まった。黒色の杖は、筋肉バカの太い指にしっかりと捕まれている。
瑛人はぽかんとして筋肉バカを眺めた。
なんとか取り戻そうと杖を振ろうとしたが、全く動かない。
「ふははははは!」
筋肉バカがふいに哄笑した。
残酷な顔で、負けの確定した瑛人を見下ろしている。
「てめえ、舐めた真似してくれやがって……覚悟しろ!」
拳がうなりを上げて飛んでくる。
間に合わない。
キャロルの悲鳴が遠く聞こえる。
瑛人は、次に来る衝撃を覚悟して目をつぶった。
「喧嘩をやめて!」
「え?」
聞き慣れた声がして、瑛人は驚いて目を開けた。
狭い路地に、もう一つ人影が増えていた。
黒い魔女帽をかぶり、エプロン姿の少女がキャロルを庇うように立っている。
その手には古い型の銃を持ち、銃口をこちらに向けていた。
魔女帽の端からは、真っ赤な前髪が見えている。
奇妙な黄色いゴーグルをかけていて表情は見えないが、瑛人にはすぐに想像がついた。
ロゼだ。
どうしてこんなところに、と瑛人は目を見張った。
筋肉も瑛人に殴りかかる仕草のまま、突然出てきた少女をにらみつけた。
「何だてめえ?」
「でないと撃つわよ!」
筋肉はロゼの言葉を笑い飛ばした。
「ははは! そんな玩具の火縄銃、脅しになるか……」
筋肉の言葉に構わず、何か呟いたのがロゼの唇の動きで分かった。
銃声。
そして、瑛人の目の前は真っ白になった。
瑛人はパニックになって叫ぶ。
「うわあああっ! 何だよその銃!」
「これは雷石銃! そんなことはいいから、目潰しが効いている間に早く逃げるわよ!
そこの女の子の手を握って、早くね!」
目潰しが効いているのは瑛人も同じなのだが、強引に手首をつかまれて引きずられるように走り出した。
反対の手にはキャロルの手を掴まされ、三人で数珠繋ぎになって狭い路地を次々と通り抜ける。
やっと瑛人の目がうっすらと、黒い魔女帽とエプロンドレス姿の女の子を映し出したのは、中央広場まで戻ってきたときだった。
落書き騒動は一段落したらしく、落書きも消され、何事も起こらなかったかのように勇者像の前には再び観光客の人だかりが出来ている。
「ああ、びっくりした! あんなところで何してたの?」
三人でひとしきりぜえぜえと息をついた後、ロゼは黄色いゴーグルを取りながら言った。
瑛人はどことなく決まりの悪さを感じながら答えた。
「たちの悪いのに絡まれてたんだよ……でも、どうして助けにきてくれたんだ?」
「たまたまよ。お医者さんのお使いの帰り。
角を曲がったらいきなりエイトが殴られかけてるんだもの、驚いたわ」
護身用に持たされてた雷石銃が初めて役に立ったわ、と彼女はポケットを叩いて笑った。
「で、その人は?」
ロゼは怪訝な顔でキャロルを見た。
「助けていただきありがとうございます。私……」
キャロルが礼を述べかけたそのとき、鐘の音が晴れた空の上から降ってきた。
教会の大時計を見ようとしたのか、彼女は慌てて胸のポケットから眼鏡を取り出した。
そのとき、瑛人はキャロルの胸に、指輪に紐を通したようなペンダントがつけられているのに気づいた。
今まで気づかなかったところを見ると、さっき走ったときに服の内側から出てきたのだろう。
「大変! もう休憩時間は終わりです! 私、仕事に戻らなければ!」
キャロルが叫び、眼鏡を胸ポケットに戻した。
そのときにペンダントが外に出ているのに気づいたのか、眼鏡をしまうついでに胸元にペンダントを隠した。
そして、キャロルは会釈をすると、「それでは、エイトさん、また会いましょう」
と言い、早足で職業紹介所の方へ歩き去って行った。
その後ろ姿を眺めながら、ロゼがぼそっと呟いた。
「あの人、かなり高位の杖持ちだったのね。どうして杖を出さなかったのかしら」
「いや、キャロルは山野だって言ってたけど」
「そうなの? でも……あの指輪は普通の杖持ちじゃ持てないものよ」
瑛人は首をかしげてロゼの顔を見、ぎょっとした。
普段、温厚で笑顔ばかりのその顔に、ぞっとするほど冷たい表情が見えたからだ。
「キャーキャキャ!」
と、頭の上でうるさい鳴き声がしたかと思うと、瑛人の頭がずしっと重くなった。
ロッドが瑛人の頭に乗ってきたのだ。
野暮用、とかいうものが済んで広場に帰ってきたらしい。
「あら、ロッド。どこへ行っていたのかしら。お使い?」
ロゼの目から冷たい光が消えて、人なつっこい笑顔が戻ってきた。
「そう言えば、私もお使いから帰る途中だったわ。
あと少しかかるから、夕方の鐘でまた会いましょう」
彼女は瑛人たちに元気よく手を振り、人混みの中に姿を消した。瑛人は手を振りかえし、ため息をついた。
ロゼのあの表情も、キャロルの事も、何かが引っかかる。
だが、それが何かは瑛人には分からないまま、事態が進んでいる気がするのだ。
瑛人はしばらく考えた末、結論を出した。
「とりあえず、聞かなきゃわからないな」
ちょうどその頃。昼日中にも関わらず、そこには闇が満ちていた。
暗がりの中、無数の魔方陣が弧を描いてほのかに浮かび上がる。
立体的に合わさった円盤状の魔方陣は、複雑に絡み合って一つの座標を指し示していた。
一人の魔術師が、ほっと息をついてその魔方陣の示した数値を羽根ペンで書き留め、慌てた様子で告げた。
「やっと特定できました。カミノ村で間違いありません」
魔方陣の灯りすら届かない闇の中から、重々しい調子でご苦労、と返事があった。
「しかし、位置は割り出せましたが、村中索敵避けと魔力妨害だらけです。
これでは、監視することすら難しいかと。
おまけに、何か移動する小物体にも魔気妨害をかけているらしく、サレナタリアでも傍受できたのは一部のみです。
……計画通りであれば、とっくに済んでいるはずなのですが」
そう魔術師が言ったとき、隅からまた重々しい声が聞こえた。
「お主は陛下の初陣を知っているか?
隣国を滅ぼさんとした陛下は、まず隣国の王妃に取り入った」
「ええ」
答えた魔術師は、はたと気づくと、納得したように破顔した。
「そういうことですか」
「そうじゃ。力任せに潰すのではない。
油断させ、信頼させ、全ての外堀を埋めてから叩き潰す。
そういう戦いも好きなお方なのじゃよ」
その声が聞き取りにくい小声で呟くと、しゅっという音とともに、暗闇に小さな火が点った。
火がゆっくりと移動して、長いパイプの先にたどり着く。
やがて舶来のタバコの匂いがあたりに漂い、亡霊のような煙がゆっくりと吐き出されていった。
「陛下がそれを楽しむのならば、我らは見守ろうではないか。
緩慢なる殺戮を」
暗闇に隠れていても、残忍な笑みが零れたのがわかった。