第16話 ポケットの中の証拠
街の明かりが眼下に広がる。
やっとサレナタリアに戻ってきたらしい。
翼を傾げて旋回する飛竜は、白亜の建物に囲まれた中庭へ吸い込まれるように降りていった。
やがて、音を立てて松明に照らされた芝生に降り立つ。
瑛人は伸びをして固まった肩をゆるめ、ついでにあくびもしながら飛竜から降りた。
同じく降りたラインツの元にばらばらと兵士達が駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ、領主様!」
「死に神の男はどうなったのですか!」
「まさか、首都までいらっしゃったのでは?」
口々に言う兵士を手でいなし、ラインツは疲れた声で答えた。
「首尾は上々、しかし私の機嫌は最悪だ。
皆に伝えてくれ。もう捜索は必要ないと」
兵士達は一様に頷くと、各々走り去っていった。
そのとき、扉が開く音がして、テラスに人影が現れた。
「あらあ、お帰りなさい、領主様」
イザベラに似ているが、異様に低い声だったので瑛人はぎょっとした。
そしてその人影が明かりのほうへ近づいてくるのを見て、声を上げそうになった。
金髪の長い髪を後ろでくくった、女顔ながらしっかりした肩幅の青年が変にくねくねとした動作で歩いてくる。
瑛人の頭の中に幾人ものオネエ系タレントの名前が浮かび上がっては消えた。
「……もしかして、イザベラなのか?」
「あら、エイトじゃないの。正解よ!
ご褒美にお姉さんのスリーサイズ教えてあげましょうか?」
「いやどっちかというとお兄さんだけど!」
「あらやだ忘れてた」
くすくすとイザベラが笑うのを、ラインツがげんなりしたように眺めた。
「確かに留守を頼むとは言ったが……なぜこんな格好を?」
「領主様の変装に決まってるでしょ?」
領主の出来損ないのような格好をしたイザベラが当然のような口調で言った。
「ほら、舞踏会の最中に主催者がいないなんて知られたら困るじゃない。
もしものときのためにいろいろ薬を持ってきておいてよかったわ。
大丈夫、仮面をしていたからあなたのふりをしていても皆気付かなかったわよ」
本当だろうか、と瑛人は首を傾げて考えた。
この仕草はどう見ても女にしか見えない。
騙しきれたのか不安になってくる。
と、乱暴に扉が開き、白髪頭の執事がせかせかと歩いてきた。
「ラインツ様! 主人が客をほったらかして舞踏会中に外出など、許されませんぞ!
それに、こんな女狐に館を任せるなど言語道断!」
「いやだわあ、執事さんったら。
私がきちんと皆に終わりの挨拶をしたから、場が持ったんじゃないの」
にやにやとしながら手を口に当てているイザベラをぐっと睨み、執事は目を三角にして怒鳴りつけた。
「黙れ女狐!
ラインツ様、この者は館を任されたのをいいことに、貴族しか相手にしない仕立て屋を呼びつけて大盤振る舞いしていたのですぞ!」
「あら、それは私なりの気遣いよ。
領主様がどこかでまずいことをしていた場合、『館にいた』と証言してくれる部外者が必要でしょ」
「ラインツ様、私は一時その論で丸め込まれましたが、後で明細をご覧ください!
文字通り目の玉が飛び出ますぞ!」
やはりこうなったか、と瑛人は執事とイザベラが言い合いしているのを聞いていた。
ラインツも覚悟の上だったのか、それとももう面倒臭いのか生返事で受け流している。
瑛人はそっとその場を離れようとした。
自分の目で確かめて確信を持ちたかったのだ。
と、言い合いをしているはずだった執事がくるっと振り向いて瑛人を睨み付けた。
「お前! 制服は洗って返却するように!」
そう言われて、瑛人は改めて自分の姿を確認した。
舞踏会の夜、おろしたてのようにぱりっとしていた紺の制服は、今や裾の泥が乾いて変色し、あちこちしわしわでおまけにボタンが一つ取れている。
もはや洗ったところでどうにかなる気がしない。
「そうだ、もう一人の新米給仕は? 制服を洗って返却したのかな?」
足を止め、この機会に聞いてみる。途端に怒号が返ってきた。
「なんだ、もう一人とは! そんな者はいない!
制服を返していないのはお前だけだ! 私物化するのは許さんぞ!」
「それがおかしいんだよ!」
瑛人は執事に負けないように大声で叫んだ。
皆がびっくりしたような顔で瑛人を見つめる。
もう引き返せない。彼は一歩進み出て、ゆっくりと喋った。
「セトが、給仕の服を着た男に騙されて睡眠薬を飲まされたと言っていた。
なら、制服は盗み出されたことになる。
絶対に一着足りないはずなんだよ。
そうでなければおかしいんだ」
「あの……エイトさん」
後ろからちょいちょい、とつつかれたと思ったら、キャロルが眉をひそめて小声で話した。
「水を差すようですけれど……生地さえあれば、似たものは作れますよ?
私達も支給された分とは別に替えを作って持っていますし」
「そうなの?」
瑛人が聞き返すと、キャロルが悲壮な顔をして頷いた。
途端に白髪の執事が勢いを取り戻した。
「何を言い出すかと思えば!
私の目を盗んで制服を盗ることなどできぬ!
仮面舞踏会が終わった後、全ての品物を数えたが、制服はお前の一着を除いて返却済だ!」
「うーん……じゃあ、制服の他には?」
「他に、だと?」
まるで瑛人がとんでもないことを聞いたかのように、白髪の爺さんは目をむいた。
「仮面舞踏会の間に、なくなった食器とかってある?」
「そんなものはない!」
執事は傲然とした顔で断言した。
「私は完璧でパーフェクトだ!
舞踏会で出した食器は下げられた後、厳密に数えた!
ああ、残念ながら酔っ払ったゲストが裏庭で水用グラスを一つ割ったようだが、それは除く。
なぜならゲストの過失だからだ!」
そういえば、女スパイが裏庭でグラスを放り出していた。
コップの数まで完璧に数えているなんて、本当に素晴らしい。
台所まで確かめに行く手間が省けた。
「完璧でパーフェクト。それはよかった」
瑛人はそう言い、右手をポケットに入れて、中のものを取り出した。
銀の柄がついた果物ナイフがきらめく。
オレンジなどの果実と一緒に出すものだ、と怒号とともに散々教わったものだ。
ラインツが瑛人からそのナイフを取り上げ、目を細めて眺めた。
「銀細工にバラの紋章。間違いなく私の館のものだな」
「そうだよ。女スパイが持っていたんだ。
これなら警備兵の長刀より目立たないし。
脇腹に突きつけられたときにはひやひやしたけどね。
ポケットに入れたまま忘れてたけど、ついさっき思い出したんだ」
さて、と探偵のように勿体ぶって、瑛人はにこにこしながら執事に尋ねた。
「それでさあ、完璧でパーフェクトな執事さん。
あんたのその性格で、絶対にあるまじきことなんだけど。
どうして果物用ナイフが一本無くなっていることに気付かないんだ?」
執事は黙り込み、先ほどよりも勢いがない調子で喋った。
「……私が数えた後で持ち出したのではないかな?」
「違うな。あの女は舞踏会が終わる前に外へ出ていた」
領主にきっぱり否定され、執事は初めてたじろいだように視線を泳がせた。
瑛人はたたみかけるように続けた。
「この果物ナイフはデザートと一緒に出るはずだった。
でも、あの女の人はデザートが出るより前から既に持っていた。
おかしいと思っていたんだ。
後ろにも目がついてるようなあんたに怒鳴られずに、どうやって台所から果物ナイフを持ち出せるんだ?
この果物ナイフを持ち出せたのは、怒鳴ってる本人しかいない」
「当てずっぽうで言うな! 私はずっと台所に……」
「待って」
イザベラが突然会話に入ってきた。
「セトのダンスの最中から、酒やデザートの出るタイミングが遅くなったわ。
あれは完璧じゃなかったわね。完全にサボってた」
「何だと! そんな、馬鹿な!」
執事は愕然とした様子で叫んだ。
ナイフが無くなったことより、料理が遅れたことにショックを受けているようだ。
ラインツがナイフをくるくると弄びながら、静かに言った。
「なるほど、女スパイを逃がすためにお前が台所からいなくなった途端、皆の気が緩んだということか」
「……全く、見張らなければきちんと働かないとはな!
この館で舞踏会を采配して五十年、こんな失態は一度として無かったのに!」
執事がそう吐き捨てたので、瑛人はぎょっとして彼を眺めた。
今の言葉は、自分の罪を認めたのも同然ではないか。
白髪の老人は背筋をぐっと伸ばし、その鋭い眼光で領主を射貫いた。
「ラインツ様。
そこの探偵もどきに大きな顔をされる前に、私からご説明を」
「いや、それは酷いだろ!」
瑛人の抗議に対して、執事がこちらを睨みつけた。そしてゆっくりと話し始めた。
「さよう。私は、確かにティルキア王党派地下抵抗軍に協力しました」
「本当か?」
まだ信じられないといったラインツに、執事は力強く頷いた。
「招待状を出すのは私の役目でしたので、彼らにも一通書いてやりました。
緊急物資搬送用の許可証も発行致しました。
警備の配置も知っていたので、奴らの仲間の侵入を助け、給仕の服と銀盆、水のカップ等を与えました。
そして、兵に拳を食らわせて女スパイの縄を解き、ナイフを持たせて庭へと送り出しました。
兵を攪乱して、分散させるために」
あまりに大胆な犯罪の告白に、ラインツのほうが蒼白になっていた。
「ローゼンバーグ……お前はこの館で代々執事を勤めていたはずだ。
どうして、ティルキア王党派地下抵抗軍に入った?」
「私は断じて奴らの組織の人間ではございません!
あくまでも協力者でございます!」
「どういうことだ?」
ラインツは混乱しているようだったが、瑛人は執事の発言を聞いても驚かなかった。
筏の上でセトの話を聞いていたからだ。
館の裏切り者はセトのことを知っていたはずだ。ならば死に神に偽物と知らせるのが普通だろう。
しかし執事はなぜかそれをせず、死に神は自分たちが間違えたことにも気付かずに、たちの悪いものを拉致してしまった。
その結果セトが領地外で魔術を使って、あわや大惨事になるところだった。
つまり、このじいさんにはじいさんなりの別の目的があったというわけだ。
ラインツは相当参っているようで、両手でこめかみを押さえた。
「完璧なお前が、一体なぜ、こんなことを思いついた?」
「この私が、ラインツ様を絶対に領主様と呼ばなかったことにお気づきですかな?」
執事は、落ち着き払った様子で話し始めた。
「四年前、元領主のウィリアム・ハルバード様が不祥事を起こし、この領地はあなた様のものになりました。
領主が変わっても、この館で引き続き雇っていただけたことに感謝を持って応えるべきだったのでしょう。
しかし私は、曾祖父の代からハルバード家にお仕えしてきた身。
ナタリア領主の称号は、ウィリアム・ハルバード・ナタリア様のものでなくては納得できなかったのです。
もちろん、ことが終われば牢屋に入ることも覚悟の上です。
しかし、こんなぼうっとした子供に探偵面をされるとは思ってもみませんでしたが」
瑛人はぽかんと口を開けて聞いていた。
ラインツが四年前から領主になったことなど初耳だった。
しかし悔しいのは、この執事はどうもばれることまで計算していたらしいということだ。
「私は諦めず、今までできる限りの努力を致しました。
つてを頼って王様に嘆願書を何度も送りました。
しかしつい先頃、ウィリアム様への有罪判決が下りました。
これから一生、王都のバルミ刑務所の一室で暮らさねばならないとのことです。
だからこそ、この計画に誘われたときに乗ったのです。
計画通りならば、ラインツ様は密書を奪われた責任を問われると思ったからです。
が、あなたは途中で計画に気付いてしまい、首輪の魔術師を使うと宣言されました。
私はそれをも利用することにしました。
首輪の魔術師が連れ去られ、他国に渡る。
どちらにせよ、この不始末が国王に知れたら領地召し上げになるでしょう。
ラインツ様が失脚すれば、ウィリアム様のお気も少しは紛れるのではないかと考えましてな。
今まで犯罪などという不完全なものに頼る気はありませんでした。
しかし館でラインツ様にお仕えするよりも、牢獄でウィリアム様と共に過ごしたい。
これが代々ハルバード家にお仕えした老執事の矜持でございます」
執事は自嘲するように言い、領主に深く頭を下げた。
ラインツが深いため息をついて言った。
「……今までよく尽くしてくれた。
お前の入る牢獄がバルミになるように取りはからおう」
「ありがたき幸せにございます」
領主が警備兵を呼び、こそこそと話をする。
瑛人が視線を感じてふと建物のほうを見ると、窓から召使い達が鈴なりになってことの行く末を見守っていた。
ただならぬ気配を感じたのだろう。
いつの間にか集まってきていたらしい。
老人は警備兵に縄をかけられながら、傲然とした調子でそちらに向かって叫んだ。
「私がいないからといって、仕事をさぼらぬように!
全て、完璧に、パーフェクトに行いたまえ、諸君!」