第15話 合流そして撤収
誰も動かなくなったことを確認してセトは地面から身体を起こし、服から埃を払って立ち上がった。
目の前は紗がかかったように薄暗い。
他の全員が床に打ち倒れ、深い眠りに陥っている。
その表情は恐怖に満ちていて、はた目から見ても悪夢を見ていることが伝わってきた。
割れたピアスはイザベラと共同で作った幻覚剤や睡眠薬入りの魔石だ。
呪文を唱えて割ったとたん、周囲に幻覚を見せる霧が飛び散る。
後は暗示の示唆を与えてやるだけで、それぞれ勝手に悪夢を見始めるのだ。
彼らはこれから丸一日古代人の悪夢と戦い続ける。
そして目覚めた後には牢屋という名の悪夢が続くだろう。
魔石のいいテストになった、とセトは周りを眺めながら思った。
この魔石は元々ジョージ・ミルトンに使おうとしていたものだ。
煙幕や鎧騎士にもめげず、虎視眈々と窓辺に花束を置く隙を狙ってくる彼を何とか諦めさせたい。
しかし隣近所と暴力ざたを起こし、後々怨恨になったりするのは困る。
だからこそ外傷もなく悪夢を見せられるこの薬を使おうとしていたのだ。
しかしまだ改善すべき点もある。
呪文を唱えた者には薬が効かないよう魔術構築しているが、この霧はゴミ溜めのような臭いがする。
セトは土間で折り重なって倒れている二、三人の足を持ってずるずると動かし、やっとのことで扉を開けた。
が、風が通り抜けないせいか霧はなかなか薄れる気配がない。
もし薬の効果が切れないうちに誰かが入ってきた場合、この魔石のえじきになってしまうだろう。
「仕方ない」
そう呟いて、セトはその手に黄金の杖を出現させた。
ロッドは出された直後に叫きだした。
「臭っ! ここくっせー!」
「うるさいロッド」
いらいらしながらセトは短く突風の呪文を唱えた。
閃光と共に作りの甘かった木板の屋根が勢いよく吹っ飛び、ばらばらと破片がそこら中に降り注いだ。
霧はさっと立ち上り、気流とともに消えていった。
悪臭もなくなり、後に残ったのは塔に沿って丸く切り取られた夕焼けと、周りに散らばって悪夢に苛まれて深い眠りについている人々だけだ。
セトはしばらく新鮮な空気を堪能した後、また別の呪文を唱える。
杖は粒子になって消え去り、後に真っ赤な羽根をした鳥が現れた。
鳥を肩に乗せてセトは言う。
「ロッド、瑛人たちに全てすんだと伝えてくれ。私は後から行く」
「それは自分で言ったほうがいいじゃね?」
「どういうことだ?」
ロッドが赤い翼を広げて飛び立ったので、セトもつられて上を向いた。
塔の上から銀色の飛竜がほとんど突っ込むような勢いで舞い降りてきた。
竜の背にはキャロルとリリスとロゼが座り、竜の両足には瑛人とラインツがそれぞれ立ち乗りしている。
瑛人達が飛竜で下りてくるのを、セトが呆気に取られた顔で見上げていた。
きっとどうやって瑛人と領主が合流したか頭を絞っているに違いない。
「キャーキャキャキャ! 皆さんお揃いで!」
インコが竜の周りを飛び回り、どんっと瑛人の肩の上に乗った。
「元気そうでよかったわ、ロッド」
ロゼが笑うと、真っ赤なインコは見せ付けるように翼を広げて胸を張った。
「おかげで全身新しい羽根になってさっぱりしたぜ!」
と、キャロルとロゼの間に挟まれたリリスが目をキラキラと輝かせて尋ねた。
「ねえ、鳥さん喋れるの?」
「やっべえ! トリサンシャベレルノ? トリサンシャベレルノ?」
「いや、もう遅いだろ!」
「モウオソイダロ! ピッ! ピョロヒ〜」
「すごーい、物真似できる鳥さんだ!」
リリスはパチパチと手を叩いて喜んだ。
瑛人は思わず突っ込んでしまったが、ロッドの必死のごまかしで何とか普通のインコと思われたようだ。
床が近づくなりラインツが一番に飛び降り、早速セトに向かって叫んだ。
「セト、さっきの爆発は何だ!」
「ああ、あれはただの換気……」
「換気で屋根ごと吹っ飛ばしてどうする!」
ラインツの背中越しになって見えないが、ごつっと音がしたところをみると、やはりセトも鉄拳制裁を受けたらしい。
「それじゃあ、この周りの奴らはどうして皆倒れているんだ!」
「大丈夫、誰一人死んでない。いい夢を見ているだけだ」
「よくもまあ、この状況で大丈夫と言えるな!
お前が越境して魔術を使ったと知れたら、俺の立場も危ういんだぞ!」
「魔気の掃除はあらかじめ呪文に盛り込んである。誰も私とは気付かないだろう」
「そういう問題じゃない! 俺に何の断りもなく他領で魔術を使うな!」
「だめーっ! お姉ちゃんをいじめないで!」
話のわかっていないリリスがまた間に入り込み、ラインツは渋い顔をしたまま黙った。
領主の言い分もわかる手前、瑛人はとりあえずリリスを避難させようと手を引っ張って険悪な二人の間から連れ出した。
その瞬間、初めてセトの変装をまともに見たのであろうロゼが小首を傾げて言った。
「どうしたのセト? 何その格好?」
「……」
瑛人が見ていても分かるくらい、セトの顔が一瞬で真っ赤になった。
ぎこちない動きで首を回し、こちらへ助けを求めるように尋ねる。
「……どうして、ここにロゼがいるんだ?」
「ああ、俺は領主の馬車に置いてきたけど、ついてきちゃったみたい」
と、さっきまで屁理屈をこね回して領主を受け流していた少女はがくりと膝をついて顔を覆った。
「……もう消えたい」
あまりの変容ぶりに瑛人は目をしばたたかせた。
嫌々変装しているのは分かっていたが、今更何が恥ずかしいのだろうか。
コルセットを緩めるのを手伝えとかいう命令すらしたくせに。
「大げさだなあ。さっきまで平気だったのに」
「お前に見られてもどうということはない。でも、よりによってロゼに見られるなんて……」
嘆くセトの肩をぽんと叩いてロゼが微笑んだ。
しかし目が全く笑っていない。
「大丈夫よ、セト。赤毛もドレスも似合ってるわ」
「……そういう問題じゃない」
調子にのっていた魔術師は完全に沈黙した。
水平線に日が沈み、一番星が光を強めた。
耳元を心地よい夜風が掠めていく。
この一昼夜で、馬車や小舟や筏、いろいろなものに乗り継いだ。
しかし、やっぱり空の旅は格別だ。
瑛人は深々と深呼吸して、飛竜の飛行を楽しんでいた。
馬車とはスピードも快適さも断然違う。
馬車が鈍行の普通車ならこっちは特急のグリーン車だ。
いや、向こうの世界にいたときにもグリーン車なんて乗れなかったのであくまでもイメージだが。
少し気になったので、後ろにいる領主に聞いてみた。
「他の皆は馬車でよかったのかな?」
「他の皆はともかく、あんな馬鹿は徒歩でもいいくらいだ」
「……うん、そうだね」
まだ明らかに不機嫌だったので、瑛人は気の抜けた相づちを打って早々に切り上げた。
あんな馬鹿、もとい精神的なダメージを受けてまともに立ちあがれなくなったセトは、リリス共々箱馬車で移送されている。
ただ、ラインツは嫌がらせ目的の采配をした。
ロゼとインコのロッドも一緒の箱馬車で帰るようにと指示したのだ。
今頃修羅場だろうな、と瑛人はキャロルの後ろに乗りながら思った。
ちなみに瑛人達がたどり着いたときに眠りこけていた人々は、残らず捕らえられて王都の兵に引き渡された。
あんなにスムーズで静かな逮捕は向こうの世界の刑事ドラマでも見たことがない。
「私達は夜更けまでに帰りつきますよ。エイトさんも大変でしたね」
キャロルが後ろを振り向いて親切に教えてくれた。
その落ち着いた声にほっとした途端、自分のお腹がぐうっと鳴った。
瑛人は赤くなって、何か食べるものが入っていないかポケットを探りながら言った。
「そうなんだよ。腹も減ったし、正直もう家に帰りたいんだ」
「領主様、先にエイトさんをカミノ村まで送ってもよろしいですか?」
と、ポケットへ入れた指先に何かが触れた。
その途端、頭の中で全ての事実がパズルのように繋がった。
瑛人はそれを握りしめ、ラインツの返事を待たずに叫んだ。
「いや、領主様の館へ行ってくれ! 大事なことを忘れてた!」