第14話 地下墓地の呪い
マルク城は巨大な中空の塔だ。
しかし屋根には塔とほぼ同じ大きさの穴が空いており、最初はとても使い物にならなかった。
その塔の中を仕切り、木を組んで低い天井を作ったのがこのティルキア王党派地下抵抗軍の面々である。
見た目は巨大な塔、入ると平屋のこの基地は、壮大な張りぼてといってもよかった。
しかしこの城壁は敵に攻められたときに有利だ。
水路も確保でき、王都から近いのに廃城ということで人がほとんど立ち寄らないのもここが本拠地になった理由である。
「馬車だ!」
木で塞がれた窓の節穴から見ていた見張りが叫んだ。
少し離れた板の間でくつろいでいた十人前後の人々はどよめきたち、口々に意見を述べ始めた。
「おかしいぞ」
「到着が早すぎる」
「しかし、あれは確かにボームの馬車だぞ? 馬に見覚えがある」
「では、失敗して早めに引き上げてきたとか」
「御者席に誰も乗っていない」
「空で帰ってきたのか?」
二、三日前ここを出発した馬車が塔への小道を上ってきていた。
御者席には誰もおらず、馬だけが餌を求めててくてくと歩き、塔の玄関を目指している。
やがてたどり着いた二頭の馬は自分の寝床に帰りたいようで、閉められた扉の前でヒンヒンと鳴き始めた。
「……入れてやらなきゃ、余計目立つだろうな」
「ザンク、お前行ってこいよ」
ザンクと呼ばれた坊主頭の男が億劫そうに立ち上がり、きいきいとうるさい音を立てて塔の大きな扉を開けた。
馬車を引いたまま中に入ってきた馬は、馬用の水桶を見つけて立ち止まって鳴いた。
彼が扉を閉めて馬具から外してやると、二頭の馬はやっと重荷が外れたといった調子で水桶へと飛んでいった。
「おーい、ボームの旦那! 中にいるのか?」
ザンクが馬車の扉に手をかけた瞬間、ばっと扉が開いた。
彼はその煽りを食らって地面に倒れ、呻いた。
他の者はうろたえつつも、腰の剣を次々と引き抜く。
「ボームか?」
「残念、外れだ」
馬車の中から低い女声が聞こえた。
馬車から飛び降りつかつかと部屋の中心に近づいてくるのは、一人の少女だ。
燃え立つ炎のような髪に青い海のような瞳。
貴族然とした美しさを持つ青いドレスの少女は、堂々とした歩みで剣を抜いた男達の輪の中心へ分け入った。
白髪の老人が、手を打って叫んだ。
「おお、これが連れてくると言っていた王女様か! ボームの旦那、やりおったな!」
「……私は王女じゃない」
「そんなことは分かっている。つまり、君が王女のふりをしてくれるかということなのだ」
「ああ、その話か」
さらっと赤毛を耳にかけ、少女は片耳のピアスを外しながら落ち着き払った声で言った。
「絶対に嫌だ」
そのとき頭を押さえて起き上がったザンクが、扉が開いた馬車を見て慌てたように叫んだ。
「おい、中でボーム達が縛られているぞ!」
周囲はまたざわついた。
「お前、我々の仲間じゃなかったのか? 一体何者だ!」
「通りすがりの赤騎士だ」
それから少女は何か得体の知れない言葉をぶつぶつと唱えだした。
「魔術師か?」
怯えた声をあげた王党派達だったが、怒り狂ったザンクはそれにも構わず少女の背後から蹴りかかった。
少女はあっけなく背中を蹴倒されて前のめりに倒れた。
その拍子にピアスが手から飛び出し木板にぶつかって粉々に砕ける。
俯せになった少女の腕を押さえつけ首筋に剣をぴたりとつけて、ザンクはすごんだ。
「おい、俺達を馬鹿にするな。ただじゃすまんぞ」
「……ただじゃすまないのはお前達だ」
赤毛の少女は俯せになりながらも気丈な様子で言った。
「お前達に警告してやろうと思って、私は来たんだ」
「警告? そんなもの必要ない」
「いや、お前達の仲間は間違いを犯した。
こともあろうにレンク丘の地下墓地を通った」
「レンクの地下墓地だと?」
ザンクは自分の顔から血の気が引いていくのがはっきりとわかった。
他の人々もぎょっとして顔を見合わせる。
レンク丘の地下墓地の恐ろしい噂はカサン王国に住んでいれば誰もが耳にしたことがあるくらい有名だ。
幾千もの骸骨が睨みをきかせ、そこに入った者には古代人の死の呪いが降りかかる。
「嘘だ……ボームの旦那がそんなことを……」
「そ、それが本当だとしても、ワシらには関係ない! 通っていない者に呪いはかからぬ!」
「大体、呪いなんて俺は信じないからな!」
口々に叫ぶ王党派に対し、少女はにやっと笑いながら答えた。
「お前達は古代人の呪いの怖さを知らない。
馬車に乗っている死に神を追って、呪いはずっと後をつけてきた。
今も暗闇に潜んで私達の話を聞いている。
お前達全員、呪ワレヨ。ワレラガ呪イデ死ヌガヨイ」
その声はもはや女のものではなくなっていた。
金属音をこすり合わせたような不愉快な音に変わっている。
ザンクは押さえていた少女の手首を信じられない思いで見ていた。
しわしわと皮膚がささくれ、肉が極限までなくなると白い骨が飛び出す。
青い目がどろりととけて腐れおち、赤毛がどんどん抜け落ちる。
ひっと声をあげて彼は少女だったものから離れた。
ふいに、金属質の笑い声が響いた。
肉が腐りおち、骨が見えている状態で、少女が笑っている。
「ぎゃあぁっ!」
誰かの悲鳴を合図に、皆が叫きながら扉に殺到した。
が、その方向からも、もっと多くの嗤い声が聞こえてきたので彼らは足を止めた。
扉の上にどくろが一列に並び、嗤いながら彼らに迫ってくる。
床にはいつの間にかたまりのような暗い渦ができ、そこからぬっと無数の骨の腕が差し出された。
ついで、かたかたと軽い音を立てて足の骨だけが走り回り、彼らの周りを取り巻く。
「ワレラノ静寂ヲ破リシ者ニ呪イヲ」
「ワレラノ道ヲ通リシ者ニ呪イヲ」
「ワレラノ禁ヲ犯セシ者ニ呪イヲ」
壁から次々と現れる骸骨達。
かん高い声は次第に増え、彼らはもはや逃げ道などないことを悟った。
「皆……剣を振るえ! 我らは勇猛果敢なティルキアの戦士だぞ!」
ザンクは恐怖を押し殺すように叫び、震える手で剣を握りしめ……ぞっとした。
剣の柄を掴んでいると思っていたが、持っていたのは大腿骨だった。
彼は骨を取り落とし、完全に怯えて泣き叫んだ。
古代人の呪いには誰一人立ち向かうことができなかった。
『エールの唄』を脳天気に歌う少女を前に、瑛人はとぼとぼと歩き続けていた。
近くに見えたと思った塔は、やはり徒歩で行くには遠すぎた。
進んではいるのだが、なかなか行き着かない。
そのときリリスの歌がとまった。
「見て見て、エイト! でっかい竜が飛んでるよ!」
リリスの言葉に瑛人は空を見上げ、思わずロッドの口癖を叫んだ。
「やっべえ!」
夕暮れの空からたちまち下りてきた銀色の竜の背には、心配そうな顔をしたキャロルが乗っていた。恐ろしいことに、渋い顔をしたラインツと笑顔のロゼも一緒だ。
瑛人は引きつった顔で面々を迎えた。
ばっと飛竜から下りたラインツが、つかつかと瑛人に歩み寄りながら尋ねた。
「瑛人、無事か? 怪我は?」
意外なことに心配されていて、瑛人は戸惑った。
「え……特にないけど?」
「そうか、それはよかった。これで遠慮しなくてすむ」
その瞬間、瑛人の頭にごつっと衝撃が走り、目から火花が出た。
瑛人は頭を押さえて呻き、領主を恨みがましい目で見た。
「なっ……殴らなくてもいいじゃないか!」
「俺は魔術師じゃないからな。なんならもう一、二発殴ってもいい」
「だめーっ! 瑛人お兄ちゃんをいじめないで!」
リリスに庇われて、瑛人は情けなくなりながらも助かったと思った。
ここまで頑張った結果がげんこつでは悲しすぎる。
「もしかして、この子が妹さん?」
ロゼの声に、リリスが笑顔で振り向いた。
「あれ? あなたも同じ赤毛なのね! 嬉しいな!」
そのままきゃっきゃと話し始めたリリスとロゼを横目で見ながら瑛人は複雑な顔をしている領主に尋ねた。
「そもそも、皆どうしてここに?」
「そのう……私が……」
最後に飛竜から下りたキャロルがもじもじとしながら言った。
「お前が持って行った魔女帽が川を下る筏の上から見つかった。
駄目元で飛竜に覚えさせたら、ちゃんとお前の魔力を追って飛んだ。
さすが元野生の飛竜、魔力追跡の精度が違う」
ラインツが後を引き取って説明した。
そういえば、いつの間にか魔女帽を持っていなかったことに瑛人は今更ながら気付いた。
あのごたごたでうっかり筏の上に忘れてしまったようだ。
と、リリスと戯れていたロゼが振り返り、心配そうな声で言った。
「ねえ、瑛人。セトとロッドはどうしたの?」
「そうだな。厄介な囚われの姫はどこへ行った?」
ロゼとラインツに詰め寄られ、瑛人は観念して塔を指さした。
元々こちらだって領主に黙って敵地に乗り込むのは反対だったのだ。
「実はあそこにいるんだ。でも、穏便にすませるって言ってたし心配しなくても」
そのときだった。
ぼんっという鈍い音が聞こえ、塔の中から薄い煙が上がった。
瑛人は目を飛び出さんばかりに見開き、ラインツは頭を抱えて呻いた。
「あれのどこが穏便なんだ……早く飛竜に乗れ! 止めに行くぞ!」




