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第13話 止まらない馬車

 太陽が山際から顔を出し、ようやく長い夜が明けた。

 脳天気な歌声が金色に輝く水面を渡る。

 瑛人とリリスは御者台の上で声を合わせて歌っていた。


「だから〜みんなで〜エール! エール! エールを飲もうよ〜」

「子供になんて歌を教えているんだ」


 ばたんと後ろの扉が開き、馬車から出てきたセトが非難するような口ぶりで言いながら前に回ってきた。

 鳥の意匠がついた黄金の杖と、軽そうな布の袋を持っている。


「仕方ないだろ! 俺のレパートリーがもうないんだよ」


 瑛人は渋い顔をしてそう返した。

 そもそも状況を説明し合った後、起き出してしまった子供と一緒に何でもいいから大声で歌っていろと命令したのはセトだ。

 リリスが眩しい笑顔でセトに手を振った。


「あ、お姉ちゃんだ! ねえねえ、私が眠っている間に何があったの?

 エイトさんはよく分からないって言って教えてくれないの」

「形勢が逆転した。もう少し時間がかかるが、終われば家に帰れるぞ」


 セトがリリスの頭をくしゃくしゃと頭を撫でてから、瑛人に小さな声で囁く。


「奴らが吐いた。本拠地は王都近くの廃城、マルク城だ。

 今からそこへ乗り込む」


 セトが杖で何をしていたか瑛人はあえて尋ねなかったが、大体のことは見当がついた。

 酒場のはやし歌を子供に教えるよりももっとたちの悪いことが馬車の中では行われていたらしい。

 そこには触れず、瑛人は首を捻って尋ねた。


「本当に、領主に知らせなくていいのか?」

「もちろん」

「でも、セトが領地内から出たら大変なことになるって言ってたけど」

「表沙汰になればな」


 セトが自嘲気味に笑った。


「しかし、今の私のどこに私の要素がある?」


 そう言われ、瑛人はしげしげと眺めてみた。

 確かに、見た目は青いドレスを着た赤毛の少女だ。

 よくよく顔をあらためなければ瑛人でも見間違うだろう。

 唯一の証拠とも言える首輪は、首周りのリボンで隠れている。

 だがここでセトの言うとおりにすれば、領主のラインツが烈火のごとく怒るのは目に見えていた。

 瑛人は何とか説得しようと試みた。


「姿でばれはしないと思うけどさ。

 この先の街でラインツの兵達が非常線を張ってる。

 それに、飛竜部隊もいるし。馬車が空から発見されたらどう言いつくろうんだ?」

「ここに緊急物資搬送用の証明書がある。

 それさえ見せれば検問も突破できるだろう。

 飛竜対策は万全だ。すでに馬車全体に結界を張った。

 上空から見ただけでは感知できないし、地上からでも一定距離内に入られなければ馬車の姿は見えない」


 もはやどっちが犯罪者だかわからない。

 瑛人は呆れて言葉も出なかった。

 セトは馬車の中にあったのであろう袋を瑛人に渡しながら言った。


「こんなくだらない組織は一刻も早く潰さねば、私が安眠できないんだ」


 袋を開けると、おそらくスパイ達の食料だったであろうパン数個と水が入った革袋が出てきた。


「わーい、朝ご飯だ!」


 リリスが無邪気に叫んでパンを一つ取り、もぐもぐ食べ始める。

 しかし瑛人はまだ気がかりなことがあった。


「うーん。でも話を聞く限り、ティルキア王党派地下抵抗軍ロイヤルレジスタンスってロゼの味方の人達じゃ……」

「王女が見つからなければ偽物で代用する組織が味方だと? 冗談じゃない」


 ぴしゃりと言い放ち、セトは船尾へ戻っていった。

 瑛人はため息をつき、パンをかじりつつエールを連呼するリリスの歌を聞きながら川面の先を見据えた。

 セトさえ見つけ出せれば事件は解決すると思っていたが、逆に妙なことになってしまった。

 と、馬車の後ろからセトとロッドが話し声が聞こえてきた。


「……だから、瑛人のやり方で急ごうと思うんだ」

「嫌だ! 俺を水に浸けるんじゃない! インコ虐待で訴えるぞ!」

「杖のくせに文句を言うな!」


聞き取れない話し声が続いた後、インコの声がしなくなった。

しばらくして、セトの声だけがした。


「瑛人、リリスが落ちないように見てやってくれ。ちょっと揺れるぞ」

「え?」


 聞き返したとたん、筏の後ろから爆音を立てて水しぶきが上がり首ががくんと後ろに揺れた。

 危ない、もう少しでむち打ちになるところだ。


「スピード出し過ぎ!」


 瑛人は涙目で叫んだが、隣のリリスはきゃっきゃと笑って喜んでいた。

 馬は怯えていななくが、馬車が筏に固定されているらしく、暴れ出しはしなかった。

 筏はとんでもない速度で白波を立てながら進み、遥か下流の王都へ向かっていった。






 一時間もするとセトが出力のコツを覚えて水しぶきがほとんど上がらなくなったこともあり、瑛人はウォータージェットで走る筏にも案外順応した。

 最後には死んだように眠っている二人の捕虜と一緒に寝転がって仮眠をとりつつ時間を潰しさえした。

 しかし、時間が経つと大河には船影が多くなってきた。

 結局他の船にぶつかる前にと筏を下り、瑛人達は馬車ごと街道に戻った。

 ここは領地の境目で、王都ももうすぐらしい。

 道にも馬車や人が結構な頻度で行き交っている。

 周りは野原なのだが、すでに街中のような雰囲気だ。

 ほどなく馬車はその行列に入った。

 街道ぞいに竹垣が張り巡らされ、馬車が連なった先頭では兵達が忙しく走り回っている。

 検問所だ。

 一人御者台に乗っている瑛人は落ち着きを失って御者台の後ろにある小さな窓を明けた。


「どうしよう、セト! 検問だ!」

「打ち合わせしただろう。言ったようにやれ」


 不機嫌な声でそう言われ、ぴしゃりと窓を閉められたので瑛人は仕方なく前を向いた。

 セトとリリスは怪しまれないように一旦馬車の中に戻っている。

 瑛人だけが持ち慣れない手綱をとって、御者のふりをしなければならない。


「そこの馬車、止まれ!」


 少々待たされた後、兵に呼ばれた瑛人はどきどきしながら緊急物資搬送用の証明書をつきだした。


「……」


 厳めしい顔をした警備兵はざっと紙に目を通す。

 そして瑛人の顔をじろじろと眺めた。

 ごくり、と唾を飲み込んだ。

 緊張しすぎて腹が痛くなる。

 と、兵士は紙を畳んで返し、ロボットのような仕草で敬礼した。


「失礼しました! どうぞお通りください!」

「お……おう! お疲れ!」


 瑛人が見よう見まねで鞭を軽く馬に当てると、馬は蹄の音を立てて歩き出した。

 検問所はやがて後方に消えた。

 ゆるい上り坂を馬車はのろのろと進んでいく。

 もう大丈夫だろうと、瑛人はぷしゅーと音を立てて息を吐き出した。

 こんな心臓に悪いことは二度としたくない。

 がらっと御者台の後ろの窓が開く音がした。


「ため息をつくな」

「いや誰のせいでため息ついてると思ってるんだよ!?」


 瑛人は思わず突っ込んでしまったが、そのとき坂の先に広がった光景に目を奪われた。

 サレナタリアよりも頑丈そうな高い城壁。それに負けずにそびえ立つ尖塔の群れ。

 周りの野原にも城壁から漏れ出したように家々が立ち並び、目の端から端までが街で埋め尽くされていた。

 思わず口笛が飛び出す。


「……これが王都か! でっかいなぁ」

「城壁には入らないぞ。

 王都の外れにあるマルク城に向かう。

 次の交差点で右へ曲がってくれ」


 そう言われ、瑛人は改めて手綱を握りしめて尋ねた。


「今更だけどさ……これってどう操縦すんの?」

「まさか知らないで手綱持ってたのか?」

「俺が操縦できるのはチャリくらいだよ!」

「ちゃりが何かは知らないが、ちょっとは常識を持ってこちらの世界に来てくれ」

「俺のいた世界じゃ、馬車は俺が生まれるずっと前に廃れてんだよ!」


 あまりに理不尽な言われように瑛人は思わず叫んだ。

 その後数時間に渡って心にぐさぐさ刺さる窓越しの指南が行われた末、瑛人は曲がりなりにも馬を御すことができるようになった。






 本街道から逸れるに従って馬車も人家も少なくなり、低木の畑地と右脇に見える城壁だけが延々と続く。

 王都近くにしては人が少ない街道を長時間走った後、やっと目の前に太陽が沈みかけた水平線と、その縁に佇む黒く巨大な塔の影が見えてきた。

 そのへんで歩いている人に指をさして尋ねたところ、あれがマルクの廃城だと言われた。

 塔は苔むしていて、長い間使われていないことがはた目にも分かる。 

 八百年前にこの城を建てた王族は既に滅びた。

 その後カサン王国軍の砦として利用され修復を繰り返していたが、あまりに老朽化し過ぎて放置されたらしい。


 しかしどこからなら相手に気付かれずに近づけるだろうか。

 瑛人が考えを巡らせていると、がらっと頭の後ろの窓が開いた。


「馬車を一旦止めてくれ」


 手綱を引いて馬車を止めると後ろの扉が開く音がして、セトとリリスが馬車の前へと回り込んできた。

 髪色が同じこともあって、姉妹と言ってもおかしくない雰囲気だ。

 瑛人は不思議に思って尋ねた。


「どうしたんだ?」

「その席を替わってくれ」

「いいけど……その格好じゃ目立ちすぎるから俺が操縦してたんじゃなかったっけ?」


 瑛人は不思議がりながらも御者台から降りた。

 入れ違いにセトはリリスの手を離し、ぱっと御者台に飛び乗った。


「ここから先は私一人で行く」

「いや駄目だろ!」


 瑛人は慌てて反対した。

 ここでセトから目を離してしまったら、何をしでかすか予測がつかない。

 なぜ一人で行かせたんだ、と絶対領主に怒られる。

 いや、橋のたもとに置き去りにした時点で怒られるのは確定だが程度の問題だ。


「お前はリリスを見ていてくれ。子供同伴で敵地に乗り込むわけにはいかない」

「そうだけどさあ……」

「リリス、そのへんでエイトと一緒に散歩でもしてろ。すぐに戻る」

「わーい、お散歩!」


 一人状況の分かっていないリリスが、無邪気に喜んで歩き出した。

 瑛人はおたおたしながらも説得しようと試みた。


「セト、落ち着いてくれ。奴らを殺してしまったら……」

「私が落ち着いてないとでも?」


 領主を振り切って王都まで来た時点で全く落ち着いていないと思うのだが、自分が冷静だと信じ切っているようだ。

 赤毛を風になびかせてセトが片頬だけで笑った。


「心配するな、穏便にすませる。じゃ、リリスを頼んだぞ」


 瑛人が反論しようとしている間に馬車は砂煙を立てて走り出し、たちまち遠くへ行ってしまった。

 少し走ってみたものの追いつけるわけもなく、砂埃の舞う街道へ取り残される。

 行っちゃったね、とリリスが楽しそうな声で言うのを聞きながら、瑛人は途方に暮れていた。


「……どうすりゃいいんだ」

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