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第11話 道は一つとは限らない

 暗い林の中を息が切れるほど駆け続けてからやっと、瑛人はある事実に気が付いた。

 相手が馬車では、絶対に間に合わない。

 陸上選手並に走れたらいいのだが、いかんせん前の世界では体育も中の中だった。

 検問に引っかかってくれていれば間に合うかもしれない、と思いながらも、瑛人はひたすら走り続けた。


 何しろ時間がない。

 頼みの綱はロッドなのだ。

 この魔女帽に入ったオウムが消えてしまえば、魔気を辿ることもできなくなり捜索がもっと困難になるということは分かっていた。

 だからロゼも急いでいたのだろう。

 ラインツには悪いが、例え後で営倉(えいそうが何かは知らないけれど、どこか牢屋っぽいところに違いない)へ入れられようとも今の時間にはかえられない。


 しかし、誰だって永遠に走り続けることはできない。

 瑛人は林を抜けたところで立ち止まり、ぜえぜえと呼吸を整えた。

 脇腹が刺すように痛い。夏なのに肺が凍り付くような感覚。足ががくがくする。

 マラソンなんて久しぶりだ。

 魔術師修練所では体育のような科目はない。

 戦闘実技がかろうじてそれっぽいが、杖で戦う技術を教えられるだけだ。

 この世界では各自で運動して体力を上げるのが普通らしい。

 しかし瑛人は各自と言われた途端にサボるタイプだった。

 同室のビルは真面目に筋トレをしているが、あれはモテるための努力であって決して授業のためではない。


 林を抜け出した先は一面の野原で、星が綺麗に見えていた。

 辛うじて分かる足もとの街道はどこまでも果てがないように闇に消えていて、瑛人は思わずため息をついた。

 ここまで開けた場所に出ても馬車が見つけられないということは、相当遠くへ行ってしまった後に違いない。

 キャロルが来てくれて、飛竜に乗れたら一番早いのだろう。

 だが非常線を張る作業に飛竜部隊全員が向かったという話を聞く限り望み薄だ。

 しかも、雷石銃はロゼのポケットに置いてきてしまった。


 仕方がない。

 ため息をついて、瑛人はとにかく歩こうと周りを見渡した。

 月が二つある。

 目をこすってみたが、確かに地上にも月が出ている。

 と、月がゆらゆらとゆがんだので、彼はやっと理解した。

 暗すぎて野原の真ん中に出たと瑛人は勘違いしていたが、実際街道の片側はかなり大きな河になっていたのだ。


 おりしも水面を滑るように光が通り過ぎていく。

 船の舳先に明かりがついているのだ。

 それが分かった瞬間、瑛人は小舟に向かってちぎれんばかりに手を振って、思わず今まで使ったこともないような言葉を叫んでいた。


「ヘイ、タクシー!」


 乗せてくれだの緊急事態だの何だのと散々わめき散らしていたら、小舟は瑛人に気付いたのかすうっと近づいてきた。

 瑛人は既に水の中へ膝まで浸かりながら河に入りこんだ。

 小舟は帆船だったが、わざわざオールを使って瑛人のいる岸まで来てくれたらしい。

 オールを操っているのは白い髭をたっぷり蓄えた純朴そうな老人だった。


「若えの、道に迷ったのかね?」

「西街道を走っている馬車に追いつきたいんだ! 領主様の命令なんだよ!

 頼む、船に乗せてくれ!」


 そう言ったときにはもう瑛人は船に上がっていた。


「何じゃと? 王都へ野菜を運んで何十年じゃが、こんなことは初めてじゃ!」

「だろうなあ、俺も初めてだよ! とにかく、早く出してくれ!」

「しかし困ったのう……」


 と、老人は言いにくそうに続けた。


「西街道は街々を繋いでおるからのう、結構くねっとるんじゃ。

 この河はナタリア領を抜けてカサンまでまっすぐ続いとる。

 馬車を追い越してしまうんじゃあないかのう」


 瑛人は、はっとして老人の途方に暮れた顔を真っ直ぐ見た。


「……それだよ! 俺なら河を使う!」






 やっと痛みも治まったようだ。

 セトは閉じていた目をそろそろと開けた。

 どうも頭痛で意識が飛んでいたらしい。

 さすがに眠さが勝ったのかリリスは隅でくーくーと寝息を立てている。

 死に神はいつの間にか消えていた。

 馬車は、どこかに止まっているようだ。

 道を走るがたがたという音はしない。

 しかしさっきの頭痛のおかげか、変に目眩がする。

 しゃっきりさせるために頭を振ると、長い髪がざっと顔にかかった。

 燃えるような夕日の色だ。

 セトは心底ぞっとした。

 ロイヤルレッドの髪が、明らかに自分の頭から生えているということを頭をぶんぶん振って確認した後、彼はまた同じ姿勢に戻って嘆息した。

 あのとんでもない頭痛を引き起こした薬は髪染めだったらしい。

 そう言えば、かつて誰かが話していた気がする。

 髪を染めるのにこんなに痛かったことはない、と。


 頭がはっきりすると、セトは後ろ手に縛られた手のままで反動をつけて起き上がり、扉へ慎重に近寄った。

 鍵が掛かっているのはわかっているが、一応体をぶつけてみる。

 やはり、どれだけ体当たりをしてもびくともしなかった。


「暴れても無駄だ」


 扉の向こうから落ち着いた声が聞こえた。

 死に神は扉のすぐ外にいるらしい。

 セトはぺたんと座り、媚びた声を出して甘えるように言った。


「お願い、扉を開けて。息が苦しくて……」


 息苦しいのは本当だが、それはコルセットのせいだ。

 自分が今やっていることの方が苦しくて正直吐きそうだが、何とか相手の油断を誘いたい。

 やがて扉が細く開けられ、死に神の仮面がこちらをのぞき込んだ。


「いい赤毛だな。さすが『森の魔女』の薬だ、よく染まる」


 イザベラめ。

 彼は心の中で悪態をついた。

 どうもこの薬に覚えがあると思ったら、瑛人の話の中で出てきた。

 まだ彼がカミノ村で手伝い人をしていた冬のこと。

 プリン頭になってかっこ悪いから困ってるんだけど、と真にバカバカしいことを相談されたので、冗談半分にイザベラになんとかしてもらえと言った。

 真に受けて魔女の家へ出かけていった瑛人は、しばらくしてからほうほうの体で帰ってきて、実験台になるならタダでいいと言われたけれど、こんなに痛いならもう一生髪は染めないと言い切っていた。

 しかしあれから瑛人の頭は茶色いままで戻る気配がない。

 多分この薬のせいだろう。


「ねえ、本当に苦しいの。お願いだから、もう少し——」


 そう言って気分が悪そうにうなだれる。

 死に神が中に入ろうと扉を開けた瞬間、セトは立ち上がりざまスカートの中でさっと足を回し、男の頭をヒールで蹴飛ばした。

 呻く男を踏み台にして、転げるように馬車から降りる。

 リリスが人質になっている手前あまり遠くにはいけないだろうが、ここがどのあたりか、それだけでも知りたい。

 しかし、数歩いったところで、立ち止まらざるをえなかった。


「逃げられるとでも思ったか?」


 そこは見渡す限り、黒い水の上だった。

 月光に波紋が反射し、水上を馬車が滑っている。

 さっき目眩だと思ったのは、どうやら船の揺れだったようだ。

 よく見ると、足もとには筏が組まれていた。

 事前に用意していたものに違いない。


「西街道はどうも検問が何カ所も張られているようだ。

 手回しのいいことだな。

 しかし河なら西街道を通らずに王都目前まで行き着ける。

 もちろん河も張られているだろうが、王都の手前でまた街道に戻ればいい。

 後は王都に侵入し、同志の船で本国に向かうだけ」


 セトが向き直ると、死に神は蹴られた頭をさすりながらも、勝ち誇ったように言った。


「もはやお前が逃げる隙はない」

「隙があるかどうかなんて、関係ない」


 水面を背に、セトは啖呵を切った。

 そういえば、瑛人に賭事をするな、とインコを使って説教をしたことがあった。

 あれは訂正しなくてはならない。

 賭をしていいのは、こういうときだけだ。

 セトはそのまま後ろに倒れ込んだ。

 水しぶきが上がり水面の月がぐにゃっとゆがんだ。






 船は帆に風をはらんで進むが、周りの景色はちっとも変わっているように見えない。

 夜でわかりにくいということもあるが、それにしてもスピードが遅いと瑛人は思った。

 焦ってオールを漕いでいるけれども、正直あまりやったこともないし、成果が出ているようにも思えない。


「この船、もっとスピード出ないの?」

「もっと漕ぎ手がいればいいんじゃがのう」


 老人は困ったような顔をして瑛人を見つめている。

 確かにオールは二つしかないし、もう肩が疲れてきた。

 これが日本だったならなぁ、と瑛人は悔し紛れに考えていた。

 エンジンがあれば楽に進めるのに。

 特にジェットエンジンがあれば。

 瑛人はふいに櫂を船底に放り出し、ぽんと手を打った。


「あるじゃんか!」

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