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第10話 炎の橋と死に神

「お前達はなにを考えているんだ。勝手な行動は慎め」


 ラインツが馬車の揺れの中で、ほとんど囁くように怒った。

 控えめなのは瑛人に配慮しているのではない。

 ロゼが瑛人の肩に頭をもたせかけ、ぐっすり眠っているからだ。

 魔女帽は膝の上に置かれているがこちらも動く気配がない。

 中のロッドもそろそろ限界なのだろう。


「でも、誘拐犯がどちらへ行ったか早くわかってよかっただろ?」

「結果はどうあれ戦時だったら営倉に放り込んでいるところだ。

 たまたま無事だったからいいものの、いつまでもそう幸運が続くとは思うなよ」


 あの後、雷が下から放たれたのを不審に思ったキャロルが急行してきたときには、ロゼはすっかり眠り込んでいた。

 これでは飛竜に乗れないので、領主あてに西街道が怪しいという伝言をしてもらったたところ、しばらくしてから騎馬隊と一緒に領主本人が馬車に乗って現れた。

 館はイザベラに任せて飛び出てきたのだという。

 魔女に館を任せて大丈夫なのかと瑛人は不安になったが、領主が怒っているのでまずは説教を聞くしかなかった。


「死に神に追いつけるかな?」

「相手が馬車ならな」


 ラインツはまだ不機嫌そうだった。


「私達も向かっているが、先に飛竜隊を全員飛ばした。

 今頃西街道の主な宿場町に非常線を張っているはずだ」


 カミノ村はサレナタリアの東にあるので、瑛人は西街道を使ったことがない。

 この道はどこへ行くんだろう。


「西街道って、どこまで続いているんだ?」

「ナタリア領を抜ければ王都まで一直線だ。

 この領内で騒ぎを収めなければ、厄介なことになる。

 王都から船で国外へ出られたら終わりだ」

「……やっぱり、ロゼの国へ行く気なのかな」


 その言葉に、領主がぎょっとしたように言い返した。


「どこでそれを聞いた?」

「スパイの女の人。ロゼの国の王党派の子だったんだよ」

「ああ、そう言えば病院で保護されているらしいな」


 かたがついてよかった、という口調で領主は語った。


「相手の意図が読めないから、まだわからんが。

 しかし、ティルキア王国はすでに共和国になって十年だ。

 王党派なんてあの国じゃ生き残っていないだろうに」


 瑛人は二ヶ月前に見た光景を思い出し、身震いした。

 あれは十年前のセトの記憶だ。

 真っ青な空にそびえ立つ城、そして木の粗末な死刑台と赤毛の女王様。

 やはり本当に起こったことなのだろう。


 そのとき、馬車が急に止まった。

 瑛人は踏ん張り、座席から投げ出されそうになったロゼを慌てて支えた。

 御者が叫ぶ声が聞こえた。


「領主様! 大変です!」

「どうした? これ以上大変なことが起こってたまるか」


 領主は不機嫌そうに言って窓を引き開けて身を乗り出した。

 肩越しに、瑛人からも大変なことが起こっているのが見えた。

 黒々とした林を背景に、目の前で木の橋が盛大な音を立てて燃えている。

 板が次々と奈落に落ち、橋脚にも燃え広がっている。

 向こう岸までは十メートルないくらいだが、下は結構な崖で渡れそうもない。

 領主はいらいらとした声だが、冷静に言った。


「追うな、ということか。迂回するしかないが、この街道は……」


 瑛人は魔女帽を掴んで、領主が指示している隙にさっと馬車の扉を開けて走り出た。

 上着のポケットから自分の魔石銃を取り出す。

 水石銃。水量が多すぎる水鉄砲のようなものだ。

 これにはいつも助けられてきた。

 最初こそ加減が分からず戸惑ったが、今では完璧に使いこなせるようになった。

 撃鉄を起こし、瑛人は正しい呪文を唱えた。


『汝潤せるもの、放たれよ濁流のごとく!』


 引き金を引いた瞬間、魔女帽を持った瑛人は宙に浮いた。

 ラインツがぽかんとしている様子が下の方に見える。

 きっと、瑛人が炎を消そうとすると思っていたのだろう。

 今から消しても、この燃え尽き方では誰も通れはしない。

 そう、この銃にはもう一つの使い道がある。

 一度失敗して学んだことだが、この銃をありったけの魔力を込めて撃つと、恐ろしいほどの反動が返ってくる。

 例えば、三階まである建物の屋根まで飛ばされるような。

 瑛人は水石銃を自分の足もとの地面に向けて撃ったのだ。


 宙に浮いた瑛人は計算どおり、弧を描いて向こう岸に着地した。

 唯一の計算外は、足から降りるつもりがもんどりうってごろごろ転がってしまったぐらいだ。


「ぐべっ!! もっと労りやがれ!」


 魔女帽の中身が叫ぶが、気にせず瑛人はそれをぶら下げて立ち上がった。

 ラインツの馬車が崖の向こうに見える。


「一足お先に! 領主様、ロゼを頼む!」


 そう言って、瑛人は街道を走り出した。


「馬鹿! 戦時じゃなくても営倉にぶち込むぞ!」


 領主の怒鳴り声が追ってきたが、聞かなかったことにして瑛人は林の中を突っ切る街道を駆けていった。






 セトはひっきりなしにガタガタいう箱形の荷馬車の中で、リリスのとりとめのない話を辛抱強く聞いた。

 しかし結論から言うと、ほとんど参考にならなかった。


 リリスは亡命した当初のことを年齢的にほとんど覚えていないので、カサンで生まれたと聞かされて育ったようだ。

 着ている服は町娘のものだが、その言葉の端々に育ちの良さが垣間見える。

 姉があのステップを知っていることからして、ティルキアでは大貴族階級の娘だったのだろう。

 両親は数年前にいなくなった、とリリスは語った。

 その言い方では生きているのか死んでいるのかも判然としなかったが、あえてそれ以上のことは聞かなかった。

 それからは姉のノーラが生活を支えていたが、当然屋敷などは売り払ってサレナタリアの街で細々と生活していたらしい。

 ノーラの仕事を聞き出そうとしたが、お姉ちゃんが何をしていたのかは知らないの、とリリスは真っ直ぐな瞳で言った。


 確かにスパイだったら、身内には絶対に悟られないようにするだろう。

 口が軽ければ軽いほど命に関わる職業だ。


「三、四日前くらいだったかしら、私、お姉ちゃんの帰りを待っていたの。

 でも、突然男の人が入ってきて、無理矢理袋に詰められたのよ。

 その人が人さらいだったの。

 怖くって泣いてたら、お姉ちゃんを連れてきてくれるっていうから、我慢することにしたの。

 そしたらいい子だねってお菓子をたくさんくれたの!

 おなかいっぱいお菓子を食べたのは初めて!」


 最初は伏し目がちだったが、お菓子のくだりになったとたんリリスは輝くような笑顔になった。

 なるほど、お菓子で懐柔か。

 子供の扱いを心得ている。


 と、振動が止んだ。馬車が止まったらしい。

 リリスも話を止め、きょろきょろと見回している。

 ぼそぼそと何事か話し声が聞こえ、いきなり荷馬車の扉が引き開けられた。

 セトは身を固くして乱入者を見つめた。


「レディ達、少々静かにしていたまえ」


 そう言って入ってきたのは、死に神のマスクを被った男だった。

 入ってきた男は内側から扉を閉める。

 と、また馬車が走り始めたようだ。振動が伝わってくる。

 そのとき、死に神がマントの下からキラキラ光る飴を取り出した。

 リリスが早速反応する。


「お菓子だ! ちょうだい!」

「もちろん、リトルレディ」


 リリスの口が飴でふさがると、男はセトを壁にもたせかけ、満足げな顔で囁いた。


「お姉様はダンスがお上手なようですな」

「お前の人さらいの腕ほどじゃないがね」

「ここまできて皮肉が言えるとは威勢の良いお嬢さんだ」


 夢中になって飴を味わっているリリスを横目で眺め、セトは死に神に詰め寄った。


「あの子を解放しろ。この件には関係ないだろう」

「そうだねえ。該当はするが、いかんせんまだ小さいのは認めよう。

 しかし使い道は一つとは限らない。

 君を思い通り動かすには、あの子が人質になってくれているほうが都合が良いのでね。

 それにあの子だって、こちらの国に一人残されるよりも姉と一緒に行く方を選ぶだろう?」

「こちらの国?」

「そうそう、君にはまだ伝えていなかったな」


 死に神はなんでもないことのように言った。


「君は本国へ帰り、ティルキアの正統王位継承者として我々と共に現政権を倒すのだ。

 王女が戻ったとなれば、今は息も絶え絶えのティルキア王党派地下抵抗軍ロイヤルレジスタンスも勢いを取り戻すだろう。

 ゆくゆくはティルキアの支配者となれるのだ。君にとっても悪い取引じゃあるまい」


 ティルキア王党派地下抵抗軍ロイヤルレジスタンス

 なんという矛盾に満ちた名前の組織だ。

 そもそも自由と解放を求めた挙げ句にティルキア王国を崩壊させたのは、お前達ティルキアの民ではなかったのか。

 それを十年足らずで不満に思い、また王権に戻そうというのだろうか。

 まるで人形の首をすげ替えるようにして。

 セトは開いた口がふさがらなかった。

 それに気付かないように、男は陽気な声で語る。


「君は幹部に抜擢されたのだよ。我らカサン支部の中では異例の昇進だ」


 しかし幹部へ抜擢されたにも関わらず、後ろ手で括られたままでの移送なのが笑える。


「だったら縄を解くぐらいしたらどうだ?」

「一週間前、赤毛の妹の供出を断ったあげく、偽物の姫様を祭り上げるくらいなら次の仕事で抜ける、と連絡係に宣言したらしいじゃないか。

 君にそんなことを頼む権利はないと思うがね」


 そんなことになっていたとは知らなかった、とは言えない。

 まあ、妹を王女の身代わりとして供出しろと言われたら誰だって断るだろう。


「さあ、お喋りはここまでだ。これを飲みたまえ」


 そう言うなり死に神はマントの下から今度は瓶を取り出した。

 口のそばへ持ってこられて、思わずセトは顔を背けた。

 得体の知れない嫌な匂いがする。


「飲む気はないのか? だったら、リトルレディに飲ませてみようか」


 ぎっと唇を噛んでから、セトは大人しく口を開けた。

 苦い味が口の中へ染み渡り、思わずえずきそうになるのを堪えて飲み下す。

 不意に頭ががんがんと痛くなり、セトはうめき声をあげてまた床へとずり落ちた。

 頭が割れるように痛いのに、馬車は容赦なく走る。

 しかし、突然馬車がとまった。


 何事か御者が話している。

 頭痛をおして、セトは耳を澄ませた。

 ざわざわとした喧噪が聞こえる。

 どうも、兵士が馬車を止めたらしい。


「ここから先は通行禁止だ! お前達は何者だ?」

「私は領主様に緊急で荷物を運ぶように申しつけられているのだ! 見ろ、この証書を!」


 しばらくはっきりとした声はなくなり、周りの雑音だけが聞こえてくる。

 やがて、兵士であろう声が叫んだ。


「任務お疲れさまです! どうぞお通り下さい!」


 なぜそうなる。

 セトは絶望的な眼差しで兵士のいるであろうあたりを見つめてしまった。

 もちろん、木の壁しか見えないが。


「偽装などではないからさ。あれは領主が書いた本物の緊急物資搬送用の証明書だ」


 仮面の男がこちらを眺めながら楽しそうに囁いた。

 表情は見えないが、きっとにやついていることだろう。


 邸内に裏切り者がいる。

 ラインツにはそう聞いていた。しかし、その裏切り者がどの程度の人間かは分からなかった。

 裏切り者は、彼の館の相当奥深くまで入り込めるような身分のようだ。

 セトは酷い頭痛と戦いながら、どうしようもない苛立ちを抱えて馬車に揺られていた。

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