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第6話 領主の憂鬱

 空いたグラスがひしめいているテーブルで、ラインツはイザベラを見つけた。

 仮面をつけた彼女は、妖精の女王相手になにごとか熱心に囁きあっている。

 ラインツの無言の非難の視線に気付いたのか、彼女は貴族の肩を友達のように気軽に叩き、領主のそばへよってきた。

 仮面にはど派手なピンクの羽根がついているが、普段よりかなり大人しいドレスだ。

 本人は不本意なようだったが、目立たないように変装してもらっていた。

 普段のほうがよほど仮装舞踏会らしいのが、そもそも問題である。

 果物を摘まみながら、イザベラが領主に不満を言った。


「あらまあ海賊さん。

 酒もデザートも、出てくるのがとたんに遅くなったわよ。

 ちゃんと召使いの管理はしているの?」

「それはすまない。

 しかし君は何をしに来た?

 私に協力して不審者を見張ってくれているわけじゃないのか?」


 私の仕事はセトを連れてきたことで終わったでしょ、とイザベラは軽く言い、小指を立ててワインを飲んだ。


「あとはお貴族様との人脈作りよ。

 ロゼならともかく、セトなら放っておいても平気でしょう?

 現に、立派にお役目を果たしたみたいだしねえ」


 ラインツは今更魔女のたくらみに気づいた。

 『森の魔女』は貴族相手の商売が巧みだ。

 身分や宗教に関係なく、貴族に近づける場所としてここは最高だったに違いない。

 だからこそ、セトにも快く協力したのだろう。


「それにしても、二人とも全然戻ってこないわねえ。

 何してるのかしら。

 案外、エイトもセトの魅力にやられたかもしれないわねえ」


 ぞっとしながらも、ラインツは思わず聞いてしまった。


「……セトのあの姿は、どうやってこしらえたんだ?」

「人間の肋骨からつくったのよ」


 ぎょっとしたのを見破ったのか、魔女はくすくすと笑った。


「嘘。ちょっと女になる薬を飲ませただけ。

 でも本当に化けるわねえ。面白かったわ」

「女になる薬? なんだそれは!」

「私の薬草学の集大成ともいえる傑作よ。

 見て、あそこで回っている妖精さんを」


 ラインツが焦って見渡すと、蝶々の羽根を付けて妖精の女王の格好をした、巻き毛の女性がくるくると踊り、一際注目を集めていた。


「あの人がどうかしたのか?」

「その薬を作らせた張本人。

 元は男よ。

 さっき、私だと気付いてわざわざお礼を言いにきてくれたの。

 良かったわあ、人生楽しそうで」


 彼女が気だるげにそう言ったとき、領主は開いた口がふさがらなかった。

 この魔女の言うことは信じがたいが、実際セトの変貌を見ている手前、一概に嘘だとも言えない。

 と、人目を避けるようにして警備兵の一人がやってきた。

 他の客人に聞こえないよう、小声で報告する。


「地下部屋の出入り口で、警備兵が気絶していました。

 どうやら監禁していた女にやられたようです」


 ラインツの頭から元からあまり飲んでいなかった酒がすっと抜けていった。

 仮面の下で厳しい表情になり、彼は言う。


「おい、詳しく話せ。手枷は付けていたんだろう?」


 兵を起こして事情を聞いたところ、女スパイは目を覚まし、怪我が痛いと酷く苦しみだした。

 警備に当たっていた二人のうち一人が医者を呼びに走っている間、あまりの苦しみように不用意に近寄ってしまったもう一人の警備兵が頭を下げて傷を見ようとした瞬間、後ろから誰かに脳天を殴られたらしい。

 医者を呼びに行った兵が帰ってきた後には、気絶した警備兵に手枷が嵌められていて、腰の鍵束は盗まれていた。

 女が持つと目立つと思ったからだろうか、警備兵の長刀は無事だった。


 以上が兵士の報告だった。

 ラインツはまた後悔した。

 油断はしていないつもりだったが、相手が重傷だったせいで気が緩んだのかもしれない。


「すぐに警備兵全員に伝えろ!

 厳戒態勢をとって誰も外に出すな!」

「そのう……ただ、もう逃げられている可能性が高いようで」

「後手ねえ、情けない」


 イザベラが隣でへらへらと笑っている。

 笑いごとじゃないだろうに、とラインツは苛々と言った。


「どういうことだ?」

「死に神の男は先ほど、この館を馬車で出ました。

 ご命令どおり、泳がせています。

 飛竜部隊が現在上から馬車を追跡中です。

 しかし……女連れでした」

「敵地までやって来て、女連れで帰るなんてやるわねえ」


 イザベラが妙なところで感心している。


「酔っ払ってしまったご友人だということで、抱え上げられていたそうです」

「それは、もしかして……」

「青いドレスを着た黒髪の女性です。

 酔っ払ったというよりも、ほぼ気絶しているような状態だったそうで」


 なるほど、怪我をした女スパイを連れて逃げたか。

 ならば、密書が偽物だということは知られてしまったかもしれない。


「……とにかく、スパイ二人が一緒にいてくれるのはありがたい。

 こちらも本拠地を把握したいからな。

 しかし、邸内の警備兵も引き続き注意するようにと伝えてくれ」


 ラインツはため息をついて、すごすご戻っていく兵士を見送った。


「なんだか大変ねえ」


 やはり真剣みが足りない様子で、イザベラが他人事のように言った。

 いや、この魔女にとっては他人事なのだろう。

 そのとき、一人の兵士がまた領主の元へ走りよってきた。


「領主様、エイトさんをお見かけになりませんでしたかな?」

「いや、ここには来ていない。

 セトに水を渡しに庭へ出ていったきりだな。

 あいつがどうかしたのか?」


 実は、とまたもや警備兵が囁いた。


「私は先ほどまで裏門の警備をしていたのです。

 そうしたらエイトさんが、急病のご婦人を運んできまして。

 辻馬車に乗せると言って出ていったきり、帰ってこないのですよ。

 それで、正門からこちらへ回ったのかと思いまして」

「なんだと?」


 続々と入る新情報に、ラインツの頭はついて行けなくなってきた。


「ちなみに、そのご婦人はどんな格好をしていた?」

「黒髪に青いドレスでしたな。本当に気分が悪そうにもたれかかっておりました」


 黒髪に青いドレス。

 青いドレスをわざわざセトに指定したのは、意味があった。


 その黒髪の女とは、剣技場近くの酒場で出会った。

 女スパイは、仮面舞踏会というものに一度だけでもいいから出てみたいと言葉巧みにラインツに迫った。

 思えばあんなむさ苦しい酒場にいるにはもったいないような美人だった。

 少しきつい目元をしていたものの、まあまあ好みだったのでなし崩しにそのまま館へ招き入れたわけだが、女はそのとき既に大きな荷物を持っていた。

 そして、その中にきちんと盛装の青いドレスとレースの仮面を用意していた。

 まるで自分がラインツに出会い、明日の仮面舞踏会へ誘われることをあらかじめ知っていたかのように。

 この時点で、疑うには十分だった。


 ラインツは気付かないふりをして無防備に振る舞い、彼が部屋から出た隙に女が机をあさり、目的の書類を盗んだところで速やかに警備兵を呼んで対処した。

 それからは、脅したりなだめすかしたりして話を聞きだそうと試みた。

 女は最初、しおらしく泣いてみせたり、情報を小出しに提供したりと少しは協力的だった。

 ティルキアンステップの話が出たのもそこである。

 しかしラインツ達がなおも聞き出そうと迫ると、隙を見て警備兵相手に大暴れをし、結局自分で腹を切るというとんでもないことをしでかした。


 裏門から出ていったまま戻ってこないエイトと女。

 ……おそらく、エイトは脅されて脱出を手伝わされていたのだろう。

 エイトの戦闘能力は、はっきり言って低い。

 杖盗人ロッドスティーラーという魔力を吸収して人の杖を奪うという能力はあるものの、魔術師相手でないとまず効果はない。

 まずいな、とラインツは眉をよせた。

 下手をすると、殺されている可能性すらある。


「お前、すぐに警備兵を十人集めてエイトの後を追え!

 飛竜部隊にも連絡を回して、空からも奴を探すんだ!」

「は、はい!」


 ラインツの剣幕に驚いたのか、警備兵はほうほうの体で走って行ってしまった。


「ねえ、エイトのほうに女スパイがいたのよね?

 じゃあ、いま死に神と一緒に馬車に乗っているのは誰なのかしら?」


 果物を食べかけのまま聞いていたイザベラが、首を捻った。

 そうだった。ラインツの頭の中で、計画というものががらがらと崩れていった。


「……セトだ。

 ちくしょう、あいつはいつだって、肝心なときに役に立たないな!」


 領主は海賊の帽子ごと、頭を抱えてうめいた。

 隅で主催者が沈み込んでいるのも知らず、仮面舞踏会は今や宴もたけなわで、沢山の人々がくるくると踊り、赤絨毯の上に色とりどりの華を咲かせていた。

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