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第4話 仮面舞踏会の華

 巨大なシャンデリアが煌めき、その下でさざめく人々。

 真っ赤な絨毯が敷き詰められた大広間で、華やかな仮面舞踏会が始まった。

 この辺りの貴族は勿論、大商人や騎士仲間などが思い思いの仮装で楽しんでいる。

 道化師の仮面を付けた太った男が、太陽の仮面を付けた美しいドレスの貴婦人と談笑していると思えば、死に神のような骸骨の仮面を付け、黒いマントを纏った男と白いターバンと付けひげをつけたレムナード風の男がワインを競うように飲みあっている。

 ピエロが陽気に楽団の音色に合わせて口笛を吹き、妖精のような格好の踊り子がくるくると回る。

 誰が誰だか分からない、それがこの仮面舞踏会の魅力だ。

 顔を隠すことで身分を隠し、非日常を楽しむ。

 赤の女王の格好をした、どうみても髭面の仮面の男が、瑛人に向かって横柄に叫んだ。


「おい、クランペットがなくなったぞ!」

「はい、ただいま〜」


 瑛人は適当に返事をして嫌々厨房へ向かった。

 この給仕の制服を着ていると、案の定ひっきりなしに何かを頼まれる。

 やれワインを持ってこいだの、扇子を落としたから探して欲しいだの、挙げ句の果てにあの妖精の格好をした女の人に手紙を渡してきてくれというシャイな男までいた。

 仮面をしているんだから自分で渡しに行けばいいのに、と思ったが、立場があるのでその通りにするしかない。

 怪しい奴がいるか見張れ、と言われても、これでは見張る暇すらない。

 自分の仕事で手一杯だ。


 ……いや、おかしいな。元々は警備の仕事だったはずなのに。


 厨房でクランペットの大皿を掴み、持ち上げる。

 クランペットというものを、瑛人は今日初めて知った。

 ジャムが乗った小さなパンケーキのようだ。

 小腹が減った瑛人はなんとなく一つ摘まもうとした。


「そこ、つまみ食いをするな!」


 執事のじいさんが振り向き、くわっと目を見開いて怒鳴った。

 ……あの執事には、後ろにも目がついているらしい。

 瑛人はほうほうの体で厨房から小走りに出た。

 テーブルに皿を置く寸前、さっと一つくすねて食べてみた。

 表面はカリカリ、中はもっちりとして果実のジャムがほどよい甘さを醸し出している。


「おい、目立つことをするんじゃない」


 またたしなめられた、と思ったら、海賊のような帽子を被り、派手な上着を着た金髪の男が後ろに立っていた。

 仮面はつけていたが、声で分かった。

 領主のラインツだ。


「どうだ? 怪しい奴はいたか?」

「忙しすぎて全然探す暇がないんだけど?」


 瑛人はラインツに向かって文句を言った。


「そっちが本業じゃないだろうに。給仕はほどほどにしてちゃんと見張れ」


 ごもっともな意見だ。

 しかし、文句ならあの爺さんに言ってほしい。

 今日一日、歩き方から盆の持ち方、ワインの注ぎ方までありとあらゆることに怒鳴り散らされ、すっかり給仕気分になっている。

 給仕の一人と少し話をする機会があったが、客の要望に三分で答えられなければじいさん直々の鉄拳が飛ぶらしい。

 なんてブラックな職場だ。

 と、ラインツが声をひそめて呟き、隅で演奏していた指揮者を指さした。


「まあいい、今からが本番だ」


 バイオリンが最後の余韻を残し、徐々に鳴りやむ。

 人々は惜しげもない拍手を送った。

 楽団の指揮者が一礼し、次の曲を宣言した。


「それでは、ここで懐かしの曲を一つ。名曲、『アルバニアータ』を」


 カサンでも一時期流行ったダンス曲に、人々はざわめきあった。


「懐かしいですな。昔はよく踊ったものだ」


 と、堂々とした初老の男の声が響いた。

 骸骨の仮面で顔は見えないが、その黒いマントの下には真っ赤な絹のジャケットが見える。

 名のある貴族に違いない。

 すかさず、でっぷりと太ったマダムが声をかけた。


「あら、それでしたら私と踊って下さらない? 私もアルバニアータは大好きよ」

「申し訳ないが、私の踊りは少々特殊なのもので」


 骸骨の紳士は慇懃に断ると、ぐるっと周りを見渡して言った。


「どなたかティルキアンステップを踏める方は?」


 その質問に、仮面の人々は一斉にどよめいた。


「ティルキア王国の踊り?」

「それはすごいな」

「私、一度だけ見たことがありますわ」

「王家や大貴族にしか許されていなかったあの踊りができるとは

 ……あの男、ティルキアの亡命貴族かな」


 と、しなやかな手が人混みの中から差し出された。


「あれがセトだ。信じられるか?」


 耳元で囁かれ、瑛人はぎょっとして視線を向けた。

 手を差し出していたのは、青いドレスを着た黒髪の少女だ。

 黒いレースの仮面で表情は見えないが、バラ色の唇が微笑んでいる。

 胸の谷間があらわなドレスにはレースがあしらわれ、高貴な雰囲気を醸し出している。

 女装、という言葉では片づけられないくらい、完璧な女の人に見える。

 長い黒髪がさらっと揺れて、人々が自然に道を開けた。


「セトに何をしたらああなるんだ?」

「……魔女のおかげだ。しかし恐ろしいな」


 瑛人達がひそひそ話をしている間に、彼——いや彼女は死に神の目の前へ進み出た。


「今は亡き都の思い出に」


 優しい声色で彼女はそう言って死に神の手をとった。

 指揮者がタクトを振り、バイオリンが激しい曲を奏で始めた。

 瑛人には何が違うのかよくわからないが、他の人々が息を呑むように踊る二人を見ているのが分かった。

 まるで足を踏み合うゲームをしているような踊りだ。

 しかし、足を踏むと思ったそのとき、相手の足が引かれ、ついでくるくる回り出す。

 音楽に乗せて、二人が離れ、また手を取り合う。

 そして、高いバイオリンの音と共に曲が終わった。

 最後の最後、瑛人は彼女が密かに白いハンカチを髑髏の男に渡したのを目ざとく見つけた。

 あれが偽の密書だろう。

 踊りに拍手が湧き、二人の周りには人垣ができる。

 しかしセトは話しかける仮面の紳士達を尻目に、恥ずかしさからか顔を真っ赤にしてバルコニーから外へ走り出していった。

 ラインツがほっと一息ついて言った。


「よし、あいつの役目はこれで終わりだ。

 エイト、セトに水でも持って行ってねぎらってやれ」


 結局やることは給仕の仕事じゃないかと思いつつ、瑛人は水の入ったコップを持ち、セトを追って外に出た。






 月明かりで照らされているとはいえ、館内の煌びやかさと比べると外はやはり薄暗く、瑛人はセトを見失ってうろうろした。

 何人もの影がそぞろ歩いている中庭を、注意深く探し歩く。

 ……いちゃいちゃしているカップルが多くて若干苛ついた。

 しばらくして、人影がない裏庭の花壇近くで、体をくの字に折り曲げている少女を見つけた。

 たっぷりした黒髪が顔にかかっている。

 あれだけ踊って疲れたらしく、息づかいが激しい。


「セト! お疲れ。ラインツに水を持っていけって言われてさあ」


 言葉もなくコップをひったくるように水をとられた。

 そのまま乱暴にぐっと一気のみをするさまを見て、瑛人は、やはり何をしても男だということを完全に隠せてはいないな、と思った。

 それにしても、その胸の谷間はどうやって作っているのだろう。

 純粋な疑問だ。


「これ、何が入っているんだ? もしかしてシリコン?」


 聞きざまに、瑛人はセトの片胸を掴んでみた。

 もにゅっとしている。

 すっかり融けてしまった水枕のような感触だ。

 実物との違いは、残念ながらわからない。

 なぜなら赤ん坊のときをのぞいて、触ったことがないからだ。


 と、ベシッと音がして、瑛人の頬がじんじんと痛んだ。


「なんだよ、殴ることないだろ! どうせ……」

「なに揉んでくれてるの。 高くつくわよ、給仕さん」


 その声で、瑛人はぎょっとして相手を凝視した。

 黒く長い髪、青いドレス。

 しかし、声が違う。

 そして何より仮面を付けておらず、きつい目元をしている。

 さっき聞いた、セトの声とは明らかに別の声だ。

 よく見ると、青いドレスもところどころ意匠が違うし、髪型だって少し違う。

 嘘だろ、と瑛人は呼吸を忘れそうになった。

 こんなところで、まさかの人違いをするなんて。


「……ご、ごめん! 悪気はなかったんだ、ただ知り合いと間違えて……!」

「知り合いだったらいきなり胸を揉んでもいいわけ?」

「いや本当に、そんなつもりはなくて!

 すみませんとしかもう言いようがないけど!」

「……いいえ。謝ってもらっても、許すつもりはないわ」

「そんなこと言わずに! すみませんでした!」


 瑛人は全身全霊をこめて頭を下げた。

 そのとき。首に冷たいものが突きつけられた。

 小さなナイフだ。

 果物用だ、と今日じいさんに叩き込まれた、銀色のナイフが瑛人の首を狙っている。


「謝った程度で許すつもりはない、と言ったでしょう?」


 女が荒い息をつきながら、瑛人を無理矢理後ろを向かせた。

 腕をとると目立たないように今度は脇腹にナイフを突きつける。


「謝罪がしたいなら、行動で示してちょうだい。

 まず、私を無事にこの館から脱出させなさい」


 瑛人は身動きが取れなくなった今、やっと理解した。

 この女が、仮面舞踏会に紛れ込んだスパイだということを。

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