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第1話 領主の交渉術

 街を出ると、やっと好奇と畏怖の目でこの馬車を見る人はいなくなった。

 誰もいない山道を走る分には快適だったし、イザベラの外見はともかく、久々に聞くカミノ村の四方山話はとても楽しかった。

 特にジョージ・ミルトンというカミノ村の青年が、ロゼに花束を送ろうと四苦八苦した挙げ句、やっと窓辺に置くことに成功した直後に花を消し炭にされ、自動で動く赤鎧に一日中追い回されていたらしいという話には腹を抱えて笑った。

 実は、半年間魔術店にいた瑛人も彼の顔を見たことがない。

 ロゼに会う機会を狙って店の辺りをたまにうろついているらしいが、瑛人が近づくと隠れてしまうようだ。

 ジョージの行動は、どうも瑛人の世界でいうところのストーカーに近い。

 しかしロゼに対する全てに過剰反応するセトの病気は、治るどころか悪化している。


 やがて馬車はツタの絡みついた魔女の家に着き、瑛人はお礼を言って魔術店へ向かった。

 魔女の家から魔術店までは、近道を通ってせいぜい五分といったところだ。

 森を抜けるとすぐに魔術店の青い瓦葺きの屋根が見えた。

 石造りの壁をぐるっと周り、店の表へ出る。


 店の前に、立派な鞍を乗せた白馬が繋がれて道ばたの草を食んでいた。

 瑛人は横目で見ながら通り過ぎた。

 鞍に紋章はなかったが、この馬には見覚えがある。

 領主ラインツの馬だ。

 こんな辺鄙な村の魔術店に時たま領主が訪れるのは、店長のセトが知り合いだからだ。

 ラインツさんはナタリア領主になる前、剣技大会荒しで生計をたてていたらしく、セトとも戦場で出会ったという話を漏れ聞いたことがある。

 だからなのか、セトは領主をラインツと呼び捨てにし、身分の違いにもかかわらず歯に衣着せぬ物言いをする。

 バルスクでの騒動の後、領主はちょくちょく魔術店をお忍びで訪ねてきて、瑛人にはなんだかよく分からない調書だの証書だの嘆願請求だのの打ち合わせをしていた。

 今回もたぶんその件だろう。


「ただいまー」


 特に何も考えず、瑛人は魔術店のドアを押して中に入った。

 瞬間——彼は後悔した。

 もう少し深く考えて、店の前から馬が消える頃まで時間を潰していればよかった。


 店中に頭が痛くなってくるほどの魔気が漂っている。

 カウンターを挟んで、ラインツとセトが向かい合って立っていた。

 ドアから入った瑛人にはラインツの顔は見えない。

 カウンターの中にいる黒髪の少年、セトの顔はいつもと変わらず無表情だ。

 だが、セトの手にはとんでもない代物——黄金の鳥がついた長杖が握られていた。

 一触即発。

 そんなピリピリした空気の中に瑛人は足を踏み入れてしまったらしい。


 ナタリア領主ラインツと、カミノ村の魔術店の店長セト。

 この二人は確かに知り合いである。だが、仲がいいとは限らないのもまた事実だ。


 瑛人が入ってきたのは知っているはずだが、二人はこちらを見ようともしない。

 嫌な沈黙を破り、セトがゆっくりと冷たい声で喋った。


「……今、ありえないことを聞いた気がしたが。

 私の耳がおかしくなったのかもしれないな。

 ラインツ、もう一度言ってくれないか」


 対する領主は、杖を気にするふうでもなく飄々と答えた。


「ああ、ロゼを明日の仮面舞踏会に誘いたいんだが、いいかな?」


 瑛人は目を丸くした。

 いやいやいや、駄目だろう。

 セトに一番言ってはいけない言葉だ。

 領主は、壮年だが彫りの深い顔立ちでさらさらとした金髪を後ろでまとめた、いかにも貴族然とした男だ。

 剣の腕もピカイチで、格好いいのは瑛人も認める。

 しかしもう四十は越えているはずだ。十六歳のロゼとは釣り合いが取れない。

 そして何より、ロゼを過保護すぎるほど溺愛しているセトがそんなことを許すはずはない。


「……お前の歳と遍歴を知っている私に、そんな申し出をして無事で済むと思うなよ?」


 ラインツはため息をついて首を振る。


「まあ落ち着いて聞け。

 あの子に気があるわけじゃない。理由があるんだ」

「そうか。いい加減な理由ならお前を煮込むからな?」

「ティルキアンステップを踏める、若い女性を探している」


 セトの片頬が引きつった。

 ティルキアという言葉に刺されたように、一、二歩後ろに下がる。

 その様を見て瑛人はようやく思い出す。

 ティルキア国はロゼとセトの故郷だ。

 そして、ロゼはその国の王女だったらしい。

 もうその国はなくなったので、今はこのカミノ村で暮らしている。


「ここから先は店頭でする話じゃない。

 さて、せっかく代わりの店番のエイトも帰ってきたことだし、奥の部屋に通してもらおう」


 固まっているセトを気にもせず、こちらを振り向いて、ラインツが笑顔で言った。

 それに呼応するように、黄金の杖がしゃがれ声を出した。


「おかえりバイト君!

 いや、間の悪いときに帰ってきたな!」

「黙れロッド」


 機嫌の悪いセトのおかげで、ロッドは急に喋らなくなった。

 いや、セトの魔術で無理矢理黙らせられたのだ。


「で、エイト。ロゼはどうした?

 今日は一緒に帰ると言い置いて街に出ていったが」


 まさか、放って帰ってきたのかとでも言いたげに、セトが首を傾げる。

 表情は変わらないのに、青い目で縦長の瞳孔がやたらと怖い。


「病院で急患が出たから、薬草園へは行けなかったんだ。

 ロゼ、今日は遅くなるかもしれないってさ。

 だから俺だけ先に帰って……」

「ロッド、今からサレナタリアへもう一度行け。

 病院のそばで待機して、ロゼの仕事が終わるのを待て」


 話をしている最中なのに、セトがロッドに話しかけた。

 半年と四ヶ月この魔術店に出入りしている身として、瑛人は実感していた。

 見た目にはわかりにくいけれど、今店長はぶち切れている。


「ちぇーっ。杖として呼び出されるのは一瞬だよ、確かにさ。

 でもな、俺の負担考えろよ。

 今からまた二刻ぐらいかけてサレナタリアまで飛ばないと……」

「黙れ」


 解除された杖の口は、一瞬でもとに戻った。そのままセトがなにやらぶつぶつと口の中で唱えた瞬間、杖が真っ赤な派手派手しいインコの姿に変わった。

 彼はその足を掴み、窓をばたんと開けるとボールのようにインコを放り投げた。

 ぽかんとしている瑛人をよそに、まるで当然のことをしたように窓を閉めると、こちらへつかつかと歩いてきてラインツ達が通れるようにカウンターを跳ね上げた。


「では、台所へご案内しよう、領主様。あそこにはいい大鍋がある。人一人煮込めるくらいには」


 そして、蛇のような目つきをしたままエイトに釘を刺した。


「久しぶりだが、さぼるなよ。台所の扉には近づくな。さもないとお前も煮込むことになる」


 彼はうんうんと頷くしかなかった。

 夏休み初日から大変なことに巻き込まれてしまった。






 大鍋は良い具合に空っぽだった。

 茶も出さず、重厚な木のテーブルを挟んでセトとラインツの二人は相対した。

 なにかの勝負が始まるときのように、部屋中に緊張が漂っている。

 セトが先手をとって尋ねた。


「それで? ティルキアンダンスがどうした?」

「ことのはじめから話そう。昨日、俺の部屋に賊が入った」

「お前の館の警備はザルか?」


 そう煽ると、ラインツは笑って頭を掻いた。


「いや、俺が連れ込んだ女が賊だったと言ったほうが正しいな」


 今頭にヤカンを乗せていたら、多分お湯になる。

 セトは戸棚に置かれたヤカンを見ながらそう考えていた。


「相変わらずだな。ちなみに知っているか?

 私は、お前のその性格が大っ嫌いだ」


 しかしラインツにその精神攻撃は効かなかった。


「それは知ってる。

 とにかく、女は俺の密書を盗もうとしていたわけだ。

 捕らえて吐かせたが、所詮下っ端で誰の指示で動いているかも分からん。

 だが、書類の受け渡し方法が少し変わっていてな。

 明日、私が主催する仮面舞踏会がある。

 その席で男に密書を渡す手はずになっていたらしい。

 誰かもわからないその男との合図は、『どなたかティルキアンステップを踏める方は?』という問いに『今は亡き都の思い出に』と答えて一曲踊ることだ。

 女はティルキアの元大貴族のようだし、この国では滅多に踊れる人間がいないダンスに目をつけたんだろう」

「そこまでわかっているのなら、その女に監視をつけて泳がせればいいだろう」


 ラインツは困ったような表情を浮かべ、言いよどんだ。


「……それがな……しくじったんだ。

 目を離した隙に彼女は自害しようとした。

 なんとか命は取り留めたが、今はベッドから出られない。

 だがこの機を逃すと俺に敵対する勢力を野放しにすることになってしまう。

 偽の密書を男に渡してもらい、奴らの本拠地を突き止めたいんだ。

 だからぜひ」

「断る!」


 セトは椅子を蹴って立ち上がった。我慢して話を聞いていたが、もう無理だ。


「舞踏会に誘うだけでも図々しさ極まりないのに、密書の受け渡しだと!

 そんな危険な仕事にロゼを使おうとするな!」

「そこを何とか。サレナタリアじゃティルキアンステップを踏める若い女なんて、そうそういないんだ。

 なにせ正統なロイヤルステップだから、盛り場やつてを頼っても無理だった。

 時間もないし、もうロゼしか残っていないんだ」

「絶対に嫌だね。そもそも、あの子はティルキアンステップを踏めない」

「なんだって、王女様が自国の宮廷ダンスが出来ないだと?」

「あの子が亡命したのは六歳だ。ステップなんて踏める歳じゃない」

「そうか……くそ、手詰まりか」


 領主は舌打ちをして天井を睨んだ。

 そして、ふと思い出したように言った。


「……なあ、確かお前はティルキアンステップを踏めたよな?

 昔、リアンと一緒に踊っていたのを見たぞ。出来ないとは言わせない」


 何か嫌な予感がして、セトはますます顔をゆがめた。


「踊れるが私は若い女じゃない。そもそもお前がもっと慎重なら防げた事故だ。

 協力する気にもなれん」

「と、言い忘れていたが

 ……盗まれるはずだった密書の中身は、元ティルキア王女とその誘拐犯に関する書類だ。

 受け渡し方法から見てもティルキア共和国の組織が一枚かんでいるとみて間違いない」


 元ティルキア王女とその誘拐犯。

 忌まわしい響きに、セトはぞっとした。

 言うまでもなく、ロゼとセトのことだ。

 今まで息を潜めてここで生きてきたというのに、ロゼのことが知られてしまった。

 きっと、バルスク城での結婚騒ぎのときに違いない。

 畳みかけるようにラインツが懇願する。


「なあ、本当に頼める奴がいないんだ。

 ……それにお前、昔ロゼのためなら何でもするって言ってたよな。あの言葉は嘘か?」


 完全にラインツが優勢だ。

 断りたい。今すぐこの領主の首をニワトリのように絞めてやりたい。

 しかし、逆らえなかった。

 元凶はセト自身にあるからだ。


「……魂胆は分かったが方法が気に入らない。

 分かってるのか、私は男だぞ。すぐばれるに決まってる」

「仮面舞踏会だ、変装すれば顔も隠れる。

 身長もないし、お前なら十分女として通用するだろう」


 領主がそう言ったとたん、セトがまた呪文を唱え、金色の杖がラインツの頭に振り下ろされた。






 ドアが開いてラインツが出てきたとき、瑛人は所在なさげにカウンター横でおろおろしていた。

 心配だった。自分のことも領主のことも。

 そしてなにより、ロゼに何か起こるのではないかという不安が拭えなかった。

 しかし聞き耳を立てたが最後、どんな制裁を受けるかわからない。

 なので瑛人は愚直にうろうろと歩き回り、懐かしい魔術店の売れもしない魔道具にはたきをかけてみたり、ゆがみを直してみたりと要らない動作を繰り返していた。


 やりきった、という自信満々な顔で出てきたラインツを見て、瑛人はますます不安になった。

 どうも領主の主張が通ってしまったようだ。

 セトは、と見ると、黄金の杖を床に放り出して、台所のテーブルに突っ伏している。

 ……あれは負けたに違いない。

 短く挨拶を残して玄関から出ていったラインツを、思わず追って扉をくぐった。

 馬に颯爽と跨がった領主に、瑛人は必死で懇願する。


「……あの! 俺にだって一言だけ、言わせて欲しいんだ!

 ロゼを舞踏会に誘うのは止めてくれ!」

「心配するな、その件はセトに女装して舞踏会に出てもらうことで落ち着いた」


 領主が涼しい顔で言ってのけたので、瑛人は頭が混乱した。

 セトが? 女装?

 するわけがない。

 どうやって説得したのだろう。

 そこまで考えたところで、ロゼの顔が浮かんだ。

 ロゼを仮面舞踏会へ行かせるぐらいなら、自分が身代わりになってもいいということか。

 つくづく恐ろしい執念だ。


「安心しろ、エイト。

 俺はもともとロゼを舞踏会に誘おうとは思っていなかったんだ。

 何かあったら後が怖いしな」

「でも……」


 最初はロゼを巻き込もうとしていたはずだが、と瑛人は訝しむ。


「他人に要求をのませるには、まず無理難題を突きつけるにかぎる。

 その後、譲歩したと見せかけて本題を切り出せばいい。

 交渉の基本だ、覚えておくといい」


 にやりと笑う領主を見て瑛人は舌を巻いた。


 確かに、最初からセトに「女装して仮面舞踏会に出ろ」などと言っていたら、相当ごねたに違いない。

 ……今回はラインツの勝ちだ。


「そうそう、お前にも来て欲しいんだ。手伝い人としてな」


 いきなりそう言われ、瑛人は戸惑った。


「俺が? 仮面舞踏会に?」

「セトにはまだ言っていない。だがな」


 こちらにぐっと体を傾けて、領主はにやにや笑いを止め、険しい顔で囁いた。


「おそらく、俺の館には裏切り者がいる。信用のおける味方は多いに越したことがない」

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