プロローグ 夏休みの初日
「お、エイトじゃないか! 一刻ぶり!
一月会えないと思っていたのに、奇遇だな!」
瑛人が大荷物を持ったビル・フォードに出くわしたのは、魔術師修練所の寮を出て一時間も経たないころだった。
時刻はお昼過ぎ。
サレナタリアの街の大通りで雑踏にまぎれ、誰かが瑛人に向けて手を振っていると思ったら、やはりビルだった。
寮のルームメイトで緑髪のスポーツ系好青年だが、どでかく派手な黄色い鞄を背負っている。
この世に魔術師は二種類いる。
山野は、杖を持っていない魔術師の総称だ。
あまり大きな魔術は使えず、占いや薬草学で生計を立てている人が多い。
そして杖持ち。強力な魔術を使える、いわば魔術師の花形的存在だ。
杖持ちになるために、瑛人やビルは普段、サレナタリア郊外の魔術師修練所の寮に入っている。
そして、今日から待ちに待った夏休みが始まったのだ。
彼は今から乗合馬車で故郷の南方に帰るらしい。
一月会えないけどまた手紙でも書こうぜ、みたいなやりとりがあったのだが、手紙を書くどころかサレナタリアの街中で再会してしまうとは思わなかった。
瑛人は思わず苦笑いを浮かべた。
旅行に行った先で近所の人に出会ってしまったときのようなある種の気まずさがある。
「うん……久しぶりとは言い難いなあ」
「もしかして、エイトも乗合馬車に乗るのか?」
いや、と瑛人は首を振った。
「俺のところは乗合馬車なんて通ってない小さな村なんだ。
同じ村のレインさんっていう人が、たまに干し草を売りにこの街に来てる。
今日もいるはずだから、その馬車に乗せてもらって夕方帰るつもり」
「……」
ビルが黙って、そして少し経ってからぽつんと言った。
「……なんか……ごめんな」
「違うし! 俺ふられたわけじゃねーし!」
瑛人は顔を真っ赤にして力説した。
ここだけは分かってもらわねばならない。
確かに「今から俺、デートだから!」と自信満々に言いきって寮を出ていった手前、一人でとぼとぼ歩いていたら誤解されるのも致し方ない。
だからといって変に気を回されても困る。
そう、断じてふられたわけではない。
これはドタキャンである。
夏休みに入る前から、瑛人はその初日の予定を楽しみにしていた。
カミノ村魔術店の看板娘、ロゼと一緒にサレナタリアの近くにある薬草園へ行く、という約束になっていたのだ。
ロゼは笑顔が可愛らしい、瑛人と同い年の赤毛の女の子だ。
珍しい苗を分けてもらえるという名目があるにしろ、そして小うるさいインコがおまけについてくるにしろ、『デート』と呼んでも差し支えない状況には違いなかった。
しかし、荷物をまとめて時間を見計らい、ロゼがいつも手伝いをしているサレナタリアの病院を訪ねたら、慌てた様子で魔女帽とエプロン姿の彼女が出てきてこう言った。
「エイト! ごめんなさい、急患が入ったの!
今日は村に帰るのも遅くなっちゃうかも。薬草園はまた今度ね!」
……というわけで、瑛人はもはや寮に戻る気も起こらず、かといって馬車を借りてまで帰る気もなく、ただ時間つぶしにうろうろしていたのだ。
友達のキャロルを訪ねてみようかな、と一瞬思ったが、やめておいた。
彼女はナタリア領主の使用人だ。
そして、ドラゴンテイマーを目指して目下修行中なのだ。
修練所が長期休みになると、強化訓練だの合宿だのが入って余計に忙しくなる。
まるで前にいた世界の運動部のようだ。
そう、瑛人は元々この世界の住人ではない。
すっかり『カミノ村魔術店』がマイホームに落ち着いてしまった気配はあるが、たまに元の生活のことだって思い出す。
両親とか、車とか、コンビニとか、あのマンガの続きはどうなったかなとか。
それにしてもビルは楽しそうだ。
フンフンと鼻歌を歌いながら、大荷物を担いでサレナタリアの街を歩いて行く。
その後を、瑛人は口を尖らせながらこちらも結構な荷物の入った鞄を抱えて続いた。
どこに行く当てもないので、ビルを馬車の乗り場まで見送る間、愚痴を聞いてもらおうという作戦だ。
「上機嫌だな、ビルは」
「だって、今日から夏休みなんだぞ! 上機嫌じゃなくてどうするんだよ!
お前も元気出せよ。その子にふられたわけじゃないって自分で言ってたじゃないか?」
重そうな荷物なのに、飛ぶように歩くビルに反論された。
ジェーンとよりを戻したからって舞い上がってるな、と言いたかったが、寮のルームメイトだということと、思いやりの気持ちの方が強かったのでぐっと堪えた。
瑛人だって夏休みは嬉しい。
しかし今、ちょっとがっかりしていることも事実だ。
本当なら、今頃ロゼと楽しい会話をしながら歩いているはずだったのに。
そういえば、魔術店の口汚いインコ、ロッドは今日見当たらなかった。
何をしているのか知らないが、あの病院には出禁らしい。
衛生面の配慮からか、でなければ、なにか相当なことを過去にやらかしたのだろう。
「そうだけどさあ。
まあ、理由が理由だし、患者さん放っておいて遊ぼうぜとも言えないし。
でも俺だって結構楽しみにしてたのにな」
ぶー、と拗ねる瑛人に、背後からいきなり声がかけられた。
「あらあ、エイトじゃない?」
その声を聞いて、瑛人達は振り向き、固まった。
深い緑色の長い髪、真っ赤な瞳と唇、浅黒い肌に黒いマント。そこまではいい。
胸にどでかいトゲが二本。鋭角だ。二等辺三角形の円錐がついている。
そうとしか形容しがたい、ビキニアーマー姿のお姉様が立っていた。
毎度思うが、本当にどこで売ってるんだろう。
セクシーを通り越して特撮の悪の女幹部を思い出す。
しかしそんな服が妙に似合っていることも事実だった。
周りの人々がざわついている。
そりゃあこんな姿、いくらこのファンタジー世界でも受け入れられない。
「……あー、イザベラ久しぶり」
瑛人が普通に挨拶を返すのを見て、ぎょっとしたままビルが立ちすくんでいる。
イザベラが妖艶な視線を向けた。
「あらあ、あなたエイトのお友達? 私、瑛人の村の近くに住んでるの。
イザベラ・レミリエ。よろしくねえ」
「よよよよよよよろしくおねがいします、ビビビビルです」
動揺してる動揺してる。
ビルのぎくしゃくした動きを見ていて、瑛人は恥ずかしいのを通り越して若干面白くなってきた。
イザベラはビルと握手した後、瑛人へと向き直った。
「それでどうしたの、エイト? 街に出るなんて珍しいのね」
「実は今日から夏休みでさ。
本当はロゼと薬草園に行くつもりだったんだけど、病院に急患が入ったんだって」
「あらあら、残念ねえ」
でも、と彼女はにっこり笑った。
「私と出会ってよかったかもしれないわよ?
サレナタリアの貴族に薬を届けて、今から帰るところなの。
もしよければ私と一緒にカミノ村に帰る?
馬車は向こうに停めてあるわ」
ちょっと考えて、瑛人はその申し出をありがたく受けることにした。
今から夕方まで大荷物を抱えてうろつくより、イザベラの馬車でさっさと帰った方が楽だ。
「ありがとう、そうしてくれれば助かるよ」
「じゃあ、今から馬車をまわしてくるからここで待っていてね」
そう言ってイザベラは、人が自然に避けていく通りをくねくねした歩き方で去って行った。
「……うらやましい」
「え?」
ビルが隣でぼそっと呟いたので、瑛人は聞き返した。
その瞬間、瑛人の首がぎゅうぎゅう絞められた。
「なんだよ、デートがドタキャンしたと思ったら、今度はセクシーお姉さんの知り合いか!
爆発しろ!」
「いや、あの格好見ただろ?
セクシーお姉さんというよりももっと凶悪な何かだよ。
それに、あの人『森の魔女』だぜ?」
「あのセクシーお姉さんが? あの有名な『森の魔女』?」
森の魔女。その名は悪い方に有名だ。
この界隈では、山野の薬草学について誰よりも詳しい存在でありながら、貴族相手のあこぎな商売や黒い噂が絶えない人物として名をはせているらしい。
瑛人も詳しくは聞かないが、どうもきな臭い人物だとは思っている。
しかしビルはその情報にも怯まなかった。
「いいや、たとえ森の魔女でも俺は許すね! あの顔とスタイルなら全然大丈夫だね!」
「……おまえ、それジェーンが聞いてたら泣くぞ」
「それとこれとは話が別!」
「あとさあ……」
言いかけた瞬間、イザベラの馬車が角を曲がってこちらにやってきた。
「俺、アレに乗ってカミノ村に帰るんだぜ。うらやましいか?」
指さした先には、ドレッドヘアの黒馬が二頭立てになった、とげとげの装飾が全面についている、ヘヴィメタのジャケットに出てきそうな黒い馬車。御者席には颯爽と鞭を持ったイザベラが座っている。そのまま別の意味の女王様でもできそうな出で立ちだ。
ビルの片頬が引きつり、瑛人の首から腕が離れた。
「……すまん。ちょっと、うらやましくない」




