第19話 トラウマ街道
なにもない白い空間に、瑛人はロッドを手に携えて立っていた。
「なんだこりゃ。どこなんだ? おーい、ロゼ! キャロル!」
さっきまで派手に建物を壊す音がしていたのに、ここは何の音も聞こえない。
目が痛くなるほどの白い空間だ。
「ここで何をすればいいわけ?」
瑛人は戸惑ってロッドに尋ねた。
「どうも、俺が一緒に行けるのはここまでみたいだな。後は頼むわ」
「頼むって? どうすりゃいいんだよ?」
「奴を見つけて起こせたら、呼んでくれりゃいいんだ」
杖は他人ごとのように軽く言った。
「ここは奴の精神の中で、一応あいつが俺のマスターだ。
俺が入れる場所はあいつが決める。
正直言うと、俺はここから入ったことがねえ。秘密主義なんだよ」
だが、同じ魔力を持ったお前なら拒否できないだろ、とロッドは言った。
そういうものなのか、と瑛人は首を傾げた。
だが、ロッドと一緒に行けないのであれば仕方ない。
瑛人はロッドを静かになにもない白い床に置いた。
そのとたん、電気が消えたようにふっと暗闇に包まれた。
一体何が起こるんだ、と身構える瑛人の耳に、いきなり沢山の人間が口々に叫ぶ声が聞こえてきた。
十人や百人ではない。地鳴のような、もっと多くの群集の叫びが聞こえる。
あまりにうるさいので、耳をふさぎ、どこからその音がするのか瞬きした。
瞬きした一瞬の間に、辺りの風景が一変していた。
真っ青な空と、群青色の瓦屋根が連なる風景。
海が近いのか、風には潮の臭いが混ざっている。
そして、さっきから鳴りやまない声は、カミノ村よりも数段大きな広場にびっしりと集まった人々から発せられていた。
このぐっちゃぐちゃのすし詰めの人の波が、セトの精神の中なのだろうか。
瑛人にはどうしても現実と同じにしか思えないが。
しかし、この人の波の中で、どうやって寝ているセトを捜せるのだろうか。
瑛人は頭を巡らせてみたが、見事に人垣につぐ人垣だ。
「なあ、セトって奴知らない?」
隣にいた男に何となく聞いてみたが、完全に無視された。
男は瑛人を見ることすらなく、ただ右手の拳をふりまわして叫んでいる。
「首を切れ! 首を切れ! 首を切れ!」
瑛人はぞっとして話しかけるのをやめた。
よく聞くと、あちこちからの大声は、全て罵声や怒号だ。
何がどうなってるんだ、と途方にくれたとき、広場の端、狭い階段の上に、見かけたことのある顔を見つけた。あの似合わない皇帝の王冠やマントを付けていない、普通のセトが階段の上の建物に寄りかかるようにして立っている。
あの場所は人もすし詰めになっていないらしい。
瑛人は人の海を泳ぐようにセトの方へと歩き出した。
「おーい、セト! 起きろー!」
起きているように見える相手に言う台詞ではないが、一応叫んでみる。
だが、瑛人の声が聞こえないのか反応もしない。
いつもよりもっと青白い顔をして目を見開いているだけだ。
と、広場が水を打つように静まり返った。
何があったのだろう。
瑛人は階段を上りきり、今まで歩いてきた道を振り返った。
そして、彼等が見ていたものを理解した。
木で作られた粗末な処刑台に、真っ赤な髪をした女が跪いている。
「ロゼ!」
思わずそう叫んだ。
だが、すぐに違うとわかった。
ロゼにしては歳をとりすぎている。
処刑されかかっているあの人は、きっとロゼの母親、ティルキアの女王だ。
昔、生まれ故郷で政変があって逃げてきた、とロゼは軽く語っていた。
しかし、これが本当にあったことだ。
処刑、そして殺戮だ。
「おい、セト! どうして止めないんだよ!
お前の魔術でちょちょいとなんとか出来るだろ!」
斧を持った処刑係が女王に向かっていくのを見て、瑛人はセトに走り寄りながら大声を上げた。
しかし、まるでマネキンに話しかけているように手応えがない。
赤い髪の女が頭を下げ、処刑係が斧を振り上げる。
瑛人は思わず目をつぶった。
次に目を開けたとき、瑛人はまた意味がわからなくなった。
さっきまで太陽が輝いていたはずなのに、突然真っ暗闇に放り出されていた。
だんだん暗闇に目が慣れてくる。
星空の下に広がるのは、枯れた木々がぽつりぽつりと立っている荒野だ。
さっきとは違って、人っ子一人いない。
瑛人はざりざりと足を運び、セトがどこかにいないか見渡した。
しかし、月もでておらず、視界は悪い。
足元でさえもはっきり見えない。
ざり、ともう一足踏み出して、瑛人はようやく地面が普通とは違うことに気づいた。
ブーツの下で、細かいガラスが音をたてて砕けている。
地面が見えないところまで、ガラスは降り積もっている。
と、右足が急に動かなくなった。
「なんだ?」
瑛人はいぶかしげに右足を見て、そしてひっと声を上げた。
ガラスで出来た精巧な手が、瑛人のブーツを掴んでいる。
「うわああ!」
驚いて思い切り振り切ると、それは簡単に砕けた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
星明かりの中で、いくつもの透明な人々がゆっくりと立ち上がった。
じゃり、じゃり、とその人々が足元が音を立ててこちらへやってくる。
セトが、今までに色々やらかした、ということを聞いたり、実際戦争に参加したことがあるということは知っていた。だが、これをみて瑛人はようやく実感した。
このガラスの地面は、元人間からできている。
ここはセトが今までに殺してきた者達の墓場だ。
そう思ううちに、ガラスの山からは次々に透明な人間が立ち上がって、こちらへゆっくりと手を伸ばし、進んできた。
魔術師風の杖を持った男もいれば、大きな斧を携えた屈強な戦士もいる。
人間、とは言ったものの、腕が着くべきところに着いていなかったり、頭が半分欠けていたり、その風貌は恐ろしい。
そして、静寂を打ち破るような悲鳴とともに、竜に似た怪物の首までが、ゆっくりと地面から持ち上がった。
あきらかにこちらを狙っている。
……セトを捜すどころか、こっちが殺される!
瑛人は言い知れぬ恐怖を感じ、ガラスの怪物達に背を向けて走り出した。
だが、やはり地面からガラスの手が出てきて、ブーツをがっちりと捕まれる。
思わず膝を付き、そこにあった水色の頭蓋骨と目が合って瑛人は思わず悲鳴を上げた。
透明な死体は、今や彼を取り囲み、各々武器を構えている。
どうしてこんなところに来てしまったのだろう。
瑛人が後悔したそのときだった。
一条の光が、透明な骸骨を貫いた。
光は縦横無尽に駆け巡り、ガラスの亡者たちは次々と砕け散っていく。
あれは、長剣だ。誰かが光る剣を振り回し、骸骨を地に帰している。
そして、あらかた倒したとみるや、その人は瑛人の手首をぎゅっと掴み、走りはじめた。
拒否する暇もなかった。敵か味方かはわからない。
だが、さっきは確かに瑛人を助けてくれたようだったので、彼は大人しく後に従った。
それに、星空の下でよく見ると、どこか懐かしいような気配さえする。
よくよく眺めて、瑛人ははっとした。
魔術店の入口あたりに置いてあるディスプレイの鎧に似ている。
真っ赤に塗られた金属とと美しい金細工で出来た、正直魔術店には不釣り合いな鎧だ。
だが、一つだけ気になることがあった。
魔術店のものにはあった首が、この鎧には見当たらない。
これがデュラハンというものだろうか、と瑛人は考えていた。
しばらく走り抜けると、地面のざりざりとした感覚は消えた。
赤いデュラハンが足を止めたので、瑛人も止まってぜえぜえと息をついて尋ねた。
「あんた、なんなんだ?」
聞いても、答えは帰って来なかった。
まあ頭がないので当然かもしれないが。
しかし、デュラハンはそれに答えるように、つと剣を柄を向けて瑛人へ差し出した。
どういうことだろう。
「使えってこと?」
そう聞くと、デュラハンはそうだ、とでも言うように、もう一度こちらへ剣を渡す仕草をした。
戸惑いながらも、瑛人は剣を受け取った。
風変わりな剣だった。
もう光ってはいなかったが、柄は金色で装飾もなく、しかも丸くて握りにくい。
そして普通ならついているはずの剣つばは、丸い球体がその役目を果たしていた。
妙な剣だが、せっかく武器をくれるというのだ、受け取っておこう。
しかし、ここからどこへいけばいいんだろう?
その心の声が聞こえたかのように、デュラハンは下を指差し、剣を指し示した。
瑛人は少し考えて、地面にえいっと剣を突き立てた。
予想では、地面に剣が刺さる予定だった。
だが、予想に反してバキン、と地面がガラスのように張り裂けて割れた。
「ええええ?」
何が起こったのかわからないうちに、エイトは地面の下へ落ちていった。
暗い星空の中でも、デュラハンが親指を立てているのがはっきりと見えた。
黄色い太陽が瑛人の眼を焼いた。
昼になったり、夜になったり忙しい。
瑛人は、石柱がいくつも水面からつきだしたような廃墟に立っていた。
青い水が果てしなく地面に広がり、濃い緑色のつたやこけが廃墟の白い石柱に絡みついている。
瑛人の足下にも水が張っていたが、さざ波が起きるだけで、足が沈むことはなかった。
もちろんだ。これは地下菜園で見たことがある。
今の魔術で地面を作り出すことはできない。
その代わりとなる魔力の根源、というものだ。
この地面を見ると、去年働きまくった収穫のバイトを思い出し、瑛人は思わず微笑んだ。
そして、足下をみて、眼をぱちくりさせた。
足下深くまで見渡せる魔力の根源の中に、セトが埋まっていた。
まるで水の中で止まっているかのように、瞳を閉じて、確かに眠っている。
精神の中だからか、左手は無事のようだ。
「おーい! 起きろー! 大変なことになってるんだぞ!」
声をかけてみたが、全く目を覚ます気配がない。
その他考えつく限りの大声を上げたが効き目はなく、いらいらしてきた。
ここまできて起こせませんでした、では気が済まない。
外で待っているロゼやラインツにも申し訳が立たないじゃないか。
瑛人は、右手に持っている変な剣を振り上げた。
そして、魔力の根源に思いっきり振り下ろした。
閃光と共にバキッと大きな音がして、根源がすり鉢状に割れて粉々に割れて飛び散った。
セトの身体すれすれのところで、魔力の根源がなくなっていた。
瑛人はそのまま坂になった根源を滑り降り、やっとセトの肩を掴んで揺すぶり、頬にディル卿にされたのとおなじくらいの力でビンタをかませた。
「おい、セト! 頼むから起きてくれ!」
瑛人は、昔、キャロルがセトについて無邪気に言っていたことを唐突に思い出した。
『普通杖持ちであれば薬草作りなどしなくても、ギルドや魔術師組織に入れば十分稼げるのに』
今では、セトがひなびた田舎の魔術店で満足している気持ちが十分にわかった。
政変での処刑の光景が、戦争でガラスにして死なせた者達が、セトの中ではずっと消えていないのだ。
何をしても眼を覚まさないセトに、瑛人は、絶叫して懇願した。
「頼むよ……そうじゃないと、俺も、ロゼ達も、全員あんたのトラウマ街道に取り込まれることになっちまうんだよ!
そんなこと、あんたも望んじゃいないだろ!」
そのとき、セトの青い眼がうっすら開いた。
意思もなにも見えない皇帝陛下の眼ではない。
光彩が少し縦に長く、見ようによっては気味悪く見える瞳で、よく瑛人はカエルを睨む蛇みたいな眼だなあと思ってはいたが、これこそがいつものセトの眼だ。
ビンタされた頬をさすり、セトがゆっくりと起き上がった。
「……お前やっぱりうるさいな」
「第一声がそれか!
ゾンビの群れを倒して起こしに来てやった俺に対して扱いひどいよ!」
瑛人は断固抗議した。だが、ここでごちゃごちゃやっている暇はない。
愚痴は後回しだ。
「さあ、ロッドを召喚して、何とかさくっと解決してくれ!」
「……さくっとねえ」
と、セトが珍しいものでも見るように瑛人の剣を凝視した。
「それはどうした?」
「ああ、うちにおいてある鎧に似たデュラハンから貰ったよ」
「そう……何か、言ってたか?」
「いいや。だって頭なかったもん」
そうか、とセトが静かに言った。
そして、ぼそぼそと呪文を唱えると、黄金の杖がセトの手に現れた。
ロッドはこんなときでも陽気に叫んだ。
「やってくれると思ったぜ、エイト!」
そう言った直後、ロッドは瑛人の剣を見て、高く口笛を吹いた。
「イヤッホー! 俺の半身じゃねーの! 久しぶりに見たぜ」
「ロッドの半身?」
瑛人は首を傾げた。
「おうよ! 俺は意思を持つ杖、そして魔力を断ち切る魔力の剣!
二つで一つの最強の杖なんだぜ!」
ロッドが自慢たらたらたにしゃべってくる。
「正直、これがあるとないとじゃ成功率が変わってくるからな。
長年見ないようにしてきたが、必要になったというわけだ」
セトが落ち着いたように言った。
いやいや、と瑛人は焦りだす。
外で何が起こっているか知っている身とすれば、落ち着いている場合じゃない。
「なあ、俺はどうすればいい?」
「起こしに来てくれただけで十分だ。今送ってやる」
セトがそう言い、何事か呪文を唱えた。
そのとたん、金色の光が満ち、瑛人が持っていた剣が消えた。
そして、ロッドの杖の持ち手の下に、まるで最初からついていたかのように両刃の剣が現れる。
黄金の両刃の剣をセトが何もない空間に向けて振るうと、まるで紙を裂いたような真っ白な裂け目ができた。
「ここからお前の精神に帰れる。……ロゼによろしく」
あり得ない言葉が聞こえてきた気がして、裂け目に入りかけていた瑛人は振り向いた。
「ちょっとまて、じゃあ、セトはどうやって人間に返るんだ?」
「魔物の部分を内部から破壊する。もう魔物の心配はいらない」
「内部から破壊って……うまくいくのか?」
瑛人は心配になって聞いた。セトが曖昧な顔をして答えた。
「さあ」
「さあって何だよ!」
「正直に言うと、元に戻る自信がない。
自分でも自分が魔物なのか、人間なのか判別が付かないんだ」
隷属の首輪を付けられて、城をガラスに変えて大暴れだ。
魔力は人間離れしているし、それは瑛人も知っている。
だが、瑛人は眼を三角にして怒った。
「自信がないってなんだよ!
そんなこと言ってたら、またロゼがぶち切れるぞ!
それに、俺をさんざん働かしといて、こんなところで失敗したら俺だって許さないからな! 今回はそもそも植え付けのバイトだったんだぞ!」
「ああ、そういえばそうだった。妙なことに巻き込んで悪かったな、エイト」
「だから!」
びっと、瑛人は指を突きつけた。
「俺は賃金の値上げを要求する!
今回は、一日につき銀貨3枚だ!
後払いだぞ、絶対にちゃんと払ってくれ!」
そういいざま、瑛人は白い裂け目に身を踊らせた。
裂け目は瑛人を取り込んだ後、すぐに何事もなかったように閉じた。
「キャハハハ、プレッシャーかけていったぜ、エイトのくせに」
インコが笑いながら言った。
どんだけ難しい魔術かも知らないで言いたい放題だったがな、俺も同意見だぜ、とロッドは続けた。
「だって、さっさと帰って、植え付け済ませねえと後々大変だろ?」
「……ロッドまで、気軽に言ってくれるなあ」
セトはあまりの楽観視に少し笑ってしまった。
エイトにはああ言ったが、元に戻れる確率は低い。
精神と肉体をむりやり引きはがして、もう一度結びつけるという古代の魔術だ。
一度成功したことはあるが、あれは単なるまぐれだと思っている。
だが、さっきよりも格段に気分がよかった。
奇跡は二度起こらない。そう思っていたが、二度とも誰かが起こしに来てくれた。
帰らなくては。カミノ村の魔術店に。
セトは青い根源の上に足を揃えて立ち、黄金の杖を高く掲げた。
魔気を散らし、詠唱が高まるにつれて周りから唱和が聞こえてくる。
次第に大きくなっていく唱和とと共に、黄金の杖は輝かしい光を発した。




