第18話 最後の賭け
「嘘だろ……」
瑛人はその魔物を呆然とした面持ちで眺めた。
あれが、本当にカミノ村魔術店の店長なのだろうか。
だが、よく見ると、三つの首がひと塊になった肩の上に、銀色の首輪が嵌まっている。
隷属の首輪に違いない。
初代魔王の杖を持っているとはいえ、あれと戦うなんて冗談じゃない。
魔王の杖があれば、魔力の出力は十分だ。
しかし、四日ほどしか魔力を吸収していない瑛人に、この杖を使ってセトを倒すなんて真似ができるわけがない。
魔法使いがMPなしでラスボスの前に放り出された気分だ。
「飛竜部隊! 奴を城の裏まで誘い込め! 城下街に近づけるんじゃない!」
瑛人がぼうっとしいてる間に、ラインツがよく通る声で命令した。
飛竜部隊は、口々にその命を伝え、次々さっと城を回り込む。
それに気を取られたのだろうか、三つの頭の獣が、ばっと塔から飛び降り、大声で吠えた。またもやがらがらとけたたましく建物が崩れ落ちた。
ロゼは、金縛りにあったようにじっとしていた。
カミノ村で平和に暮らしていれば、こんなことは二度と起こらないと思っていたのに。
ずっと昔、まだロゼが小さな子供のころのことだったが、セトがこの姿になったのを一度だけ見たことがある。
そして、魔物の姿について尋ねたとき、セトがぽつりと言っていたことを思い出す。
あのときは助かったが、次はもう、戻れないかもしれない。
「これだ、この威力だ!」
固まったロゼの隣で、レオナルドが笑っている。
「この力さえあれば、仲間などいなくても全ては思いのままだ!」
彼がそう言った瞬間、東の塔の際に、魔王の長い尻尾が当たった。
とたんに、白い大理石の城壁は無色透明の脆いガラスとなって崩れた。
塔のバランスが崩れたせいで、突然石の床が半分抜けた。
「きゃああっ!」
ロゼが叫び、入口のほうへ飛びのいた。
くそ、とレオナルドが舌打ちし、ぐっと指輪をした手をセトの方へ向けた。
指輪は今だ青く光っているが、彼は全く意に介しないように暴れ、遠吠えするたびに至るところをガラスに変えている。
ロゼは、レオナルドに体当たりを仕掛け、その腕をきつく取って噛みつくように言った。
「貴方、本当にあの状態のセトを操れるとでも思っているの?」
ロゼがレオナルドを見据えて言った。
「どういうことだ?」
「貴方には見えないのね!
あれは貴方と同じ、絶望よ!
もはや自分だけじゃなく、世界の全てが滅んでも構わないという感情の塊よ!
もう貴方に制御なんてできないわ!
それどころじゃない、きっと私と貴方の区別もつかないわ。
なんてことしてくれたのよ!」
そのとたん、また三つの頭が同時に遠吠えをした。
ロゼの足元が透明になる。
まずい、この塔も壊す気だ。
「そんな……」
レオナルドが床に気を取られている隙に、ロゼは一気に彼の中指を掴み、爪を立てて指輪を抜き取った。
そのまま自分の指に嵌め、レオナルドの脇をかいくぐる。
「待て!」
慌てる彼の腕を避け、彼女は必死で塔の端まで走った。
頑丈な石の床が、足元から崩れていく。
ぎりぎりの端まで着いたが、そこも既に透明になりつつあった。
そのとき、レオナルドが情けない悲鳴を上げて透明な床と一緒に落ちた。
ロゼの足下も、もはや風前の灯火だ。
同じ運命が待ち受けている。
飛竜にのっている瑛人達は、薄れて崩れゆく東の塔を固唾を飲んで見守っていた。
白いドレス姿のロゼが、足を塔から踏み出した。
「ロゼさん!」
落ちていくロゼの真下に、キャロルがジュートを駆る。
間に合うか。
ラインツが手を伸ばすが、遠すぎる。
ガラスの浮いた湖に、ロゼは白いドレスをはためかせて落ちていく。
瑛人は黄金の杖を片手で持ち、おちていくロゼへ差し出した。
がしっとロッドのクチバシが鳴る。
ロッドが、ぎりぎりのところでロゼのたっぷりしたスカートを捕まえていた。
瑛人はもう一方の手でちぎれてしまった命綱を引っ張り、それこそ命懸けで飛竜にまたがっていた。
「助かったわ! エイト、ちょっとだけ我慢しててね!」
そういうと、ロゼは逆さまの状態から腹筋だけでひょいと起き上がり、飛竜の足へ手をかけた。
とたんに、飛竜が高く飛び上がった。
青色の光が湖に落ち、そこから大きな氷柱のようなガラスの柱が立ち上がり、そして瞬時に砕け散った。
城の裏側の湖では、そこかしこから飛竜に乗った魔術師が炎を出して攻撃を仕掛けている。命令どおり、城下町に近づけないようにしているのだ。だが、これがどこまで持つのかは正直わからない。
瑛人は後ろのラインツに早口で尋ねた。
「なあ、もう一度あのでかい魔法……バベルを出せないのか?」
「無理だ! あれは準備に数十分はかかる極限魔法だぞ!
それにさっきの一発に全ての人員を割いたんだ!
もう一度あのレベルのものは数日しなきゃ打てん!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!!」
瑛人は慌てふためいていた。
杖はこっちにあるが、魔力は圧倒的に向こうにある。
そして敵も味方もお構い無しの無差別攻撃だ。
ロゼの手をじっと見て、領主は嫌そうに言った。
「……支配の指輪がある! 今から野営地に向かってディル魔導師に指輪を託すぞ!」
「いいえ、指輪でも、もう操るなんて無理よ!」
ロゼが飛竜の足の下から叫び、そして領主の顔を見て震えだした。
「ラインツさん、何を考えているの!
まさか、そんなことしないわよね!」
「俺だってしたくない!
だが、支配の指輪がこちらにあるなら……それが最後の手段だ!!」
瑛人はその会話を聞きながら、頭が真っ白になっていた。
支配の指輪。
それを指に嵌め、そして呪文を唱える。
どんな呪文か瑛人はは知らない。
だが、知っていることは一つある。
どんなときでも、セトの首を一撃で飛ばせるということだ。
「待って! あと一つだけ、試してみたいことがあるの!」
ロゼが必死の形相で叫んだ。
「瑛人、ロッドと精神共有してちょうだい!
うまくいけば、セトの精神内に入れるかもしれないの!
お願い、セトを起こしてきて!」
「精神の、共有?」
瑛人は目を丸くした。
確かに賭事をしたときに、ロッドに精神共有したセトにガンガン説教されたことがある。
しかし、ロッドに精神共有しても、果たしてそんなにうまくいくのだろうか。
起こして欲しいと言われても、実際寝ているのかすらわからない。
「昔、聞いたことがあるの!
セトがあの姿になったとき、本人はずっと暗闇で寝ていたつもりだったんだって。
そしたら、精神に入り込まれた挙げ句にたたき起こされて現実に戻ってきたんだって!
同じ杖を持てる瑛人なら、きっと同じことができるわ!」
瑛人はロッドをしげしげと眺めた。
「お前、そんなことができるの?」
「やったのは俺じゃない。
そもそも、俺はマスターのセトの指示がなけりゃたとえ精神共有したって一定の場所から奥には入れない。
……だが、これだけは言える!」
ロッドが話している間に、また、青い光が湖に散り、ガラスの氷柱ががりがりと音を立てた。
「のるかそるか! 支配の指輪を使うか、お前が精神共有してセトの意識を起こすか!
二つに一つだ、早く決めねえと世界が全部ガラスになっちまうぜ!」
「……わかった!」
支配の指輪なんて、使わせるものか。
瑛人は、黄金の杖を両手に握りしめ、ロゼに聞いた。
「精神共有の呪文、知ってる?」
「ええ!」
ロゼが、ぱっと明るい笑顔を取り戻した。
そして、こう叫んだ。
「ネル・セルケリエス・アーサリム! 簡単でしょ!」
やっぱり、ロゼの笑顔はいいなあ。
そう思いながら、瑛人は親指を突き立てた。
「オッケー! 任せといてくれ!
絶対たたき起こしてくるからな!」
そして、先ほどの言葉を神聖ヴィエタ語で叫んだ。
「潜れ、そして同調せよ、二つの心よ!」




