第17話 ガラスの魔王
ロゼは礼拝堂から無理矢理レオナルドに手を引かれ、東の塔を目指していた。
窓からは低く飛ぶ飛竜がさっと横切り、ときに炎がぶつかってガラスが勢いよく割れる。
「まさか、中部地方の領主があんなに飛竜を持っているとはな。
ナタリア伯はよほど金持ちらしい」
レオナルドがいまいましそうに言った。西部よりも田舎と思い、見くびっていたらしい。
ざまあないわ、とロゼは心の中で毒づいた。
しかし、この飛竜の数でも、セトの攻撃は防げないだろう。
飛竜を迎撃せよという命令に、セトや他の魔術師は結婚式を中断し、足早に礼拝堂から出ていった。
イザベラも、領主に悪口を言いまくった挙げ句に、朝食を拒否して助かった兵士に牢へ連れて行かれてしまった。
今や、ロゼ一人がレオナルドの側にいる。
指輪を盗るには絶好の機会だ。
と、低い耳鳴りのような音がして、大きな光球が城の周りを巡りだした。
やっとか、とレオナルドがほっとしたように言った。
あれはセトの魔術だ。飛竜に乗っている皆が、きちんと避けてくれるといいのだが。
ロゼは青い顔をしながらも、手袋ごしにレオナルドの指の感触を探っていた。
だが前日握手したときもそうだったように、分厚い革の手袋の上からではどこに指輪があるのかわからない。
大階段を上り終えたとき、ドン、と腹の底から響く衝撃音がした。
辺り一面に焦げ臭いが漂う。
「一体、何が起きたの?」
ロゼはレオナルドを引っ張るように、走り始めた。
螺旋階段を裾を掴んで東の塔にのぼると、西の塔から黒い煙がもくもくと上がっていた。
西の塔に魔術が打ち込まれたのだ。
そこから、矢のように逃げる一匹の飛竜と、それを追う黒い翼を背負った魔術師が狂ったように上空を駆け巡っているのが見えた。
その距離はだんだんつまり、ついに飛竜は観念したように水平飛行に切り替える。
後ろに乗っていた人物がぱっと立ち上がり、剣を片手に何事か叫んだ。
そこに、黒い羽根を持つ悪魔のようなセトが突っ込んでいく。
飛竜に乗っている面々をよくよく見て、ロゼは目を見開いた。
「エイト!」
エイトが生きている。キャロルも、ジュートも、そして驚いたことに領主も一緒だ。
昨日は危なかったが、なんとか帰り着いたに違いない。
だが、今この瞬間ピンチに陥っていることも確かだ。
早く、何とかしなくては。
足下に、西の塔から飛んできたであろう煉瓦のがれきが数個落ちているのを見た瞬間、彼女は自分のやるべきことがわかった。
数秒でもいい。セトの操作から少しでも気を反らせれば、エイト達はきっと助かる。
「何をしている!」
おいて行かれたレオナルドが怒りながら東の塔の扉を開ける。
そのとき、ロゼは渾身の力を込め、彼の頭の上に煉瓦の塊を振り下ろした。
ガン、といい音がして、レオナルドが膝から崩れ落ちる。
その瞬間、ばしゃんと水しぶきの音がして、ロゼは湖のほうを向いた。
鳥の飾りがついた黄金の杖が、エイトの手の中にある。
ロッドが、盗まれた。
成功だ。
呻きながら立ち上がったレオナルドに、ロゼは指を突きつけた。
「この賭は貴方の負け。
杖盗人の勝利よ」
「杖盗人? 杖を、盗るだと?
馬鹿な、そんな魔術、聞いたことがない!
大体、そんな能力持ちがいるなんて、君達の機密文書にも載っていなかったぞ!」
額を抑えながら、レオナルドは叫び返し、ロゼの腕をきつく掴んだ。
「そうよ! 魔王信奉者の事件が知れ渡る前にラインツさんが必死で揉み消してたもの!」
ロゼは右手できつくレオナルドの指を握りしめ、手をこじ開けるようにして手袋を引き抜いた。狙いどおり、左手の中指に銀色の指輪が光り輝いていた。
指輪にはびっしりと神聖ヴィエタ文字が彫ってある。
支配の指輪だ。
ロゼは揚々として叫んだ。
「さあ、もうその指輪は用済みね!」
馬鹿な、とレオナルドはもう一度呟いた。
「ぶっはああああ!!! 生っきかえるぅ!」
そもそも生き物と呼べるのかは不明だが、瑛人が口に巻かれた縄を解いてやると、ロッドはそう叫んだ。
飛竜が水面のセトが落ちた当たりを低く飛んでいた。その間に瑛人はロッドの口に縄が巻かれているのに気づき、解いてやったのだ。
セトが操られてからずっとこの状態で我慢していたらしく、ロッドはとたんにマシンガンのようにしゃべり出した。
「ほんと、あの○○の○○○○ッ○の○○○○はよ、俺様を何だと思ってやがるんだ!
意思のある俺様にこんな仕打ちしやがって! これじゃ普通の杖じゃねえか!!」
ロッドはこの他聞くに堪えない表現でレオナルドの悪口を言いまくった。
そしてロッドがぐちぐち言っている間に、エイトは目ざとく塔の上にいる彼女を見つけていた。
「ロゼだ!」
東の搭に、ロゼと知らない白いローブの男がいる。
すでにロゼがウエディングドレスを着ているのが気になるが、本当に結婚してしまったのだろうか。
しかし、どうもそうではないらしい。
なぜなら、ロゼとローブの男は取っ組み合っているように見えるからだ。
レオナルドの手を掴んで離さないロゼが、引きはがされそうになっている。
ラインツが大声で叫んだ。
「キャロル、飛竜で回り込め!」
その指示に従い、ジュートが少し高度を上げ、東の塔へと旋回した。
声が聞こえるほど近くに寄ると、ラインツが声を張り上げた。
「皇帝は湖に落ちた!
こちらに初代魔王の杖がある限り、お前に勝ち目はない! 大人しく投降しろ!」
その声が聞こえたのかどうか分からない。
だが、それとほとんど同じときに、湖と街を繋ぐ唯一の橋へ続く正門が中から破られた。
魔術師達が、続々と駆けだしてくる。
もはや、こちらが不利なことを悟り、ラインツの方へと寝返ったのだ。
ぐだぐだ、という言葉がぴったりきて、エイトは思わず笑った。
城から逃げだす魔導師達を見て、当然だわ、とロゼは考えていた。
あの魔導師達が何を考えていたのかは手に取るように分かっていたからだ。
安泰、報酬、現在の状況より一段高い暮らし。
そんな甘い夢を見せられてレオナルドに付いてきたのだ。
思想も意思もないそれが幻に終わりそうになった手前、さっさと逃げ出さない者がいるだろうか。
レオナルドの指輪は取れそうで取れない。
ぎりぎりのところで彼が握り拳を作り、ロゼを左手で押さえつけているからだ。
ロゼは彼がぼそっとこう言ったのを聞いた。
「仕方がない。こうなれば、道は一つしかない」
状況は、圧倒的に不利なはずだった。
しかし、レオナルドは不敵に笑っている。
指輪を取ろうと必死にもがいていたロゼは、彼の表情を見てぞっとした。
「やめて! そんなことをすれば、貴方だって無事じゃすまないのよ!
お願いだから、それだけはやめて!」
レオナルドの目が、真正面からロゼを捕らえた。
ロゼは思わず黙った。
自分の利益で一杯だと思っていた彼の感情が、今までになく読めた。
彼は私達をうらやんでいる。
ロゼに頼れる仲間がいる状況を。
統率が取れた部隊に慕われている領主を。
操られて戦っても、それを助けに来る人がいるセトを。
それに似た感情を、ロゼは昔見たことがあった。
全てを信用できない孤独。
そして、誰もが敵であるという絶望。
「もはや僕は無事ではすまない。
魔術師連盟の腐敗を見るまでは、真理の探求は楽しかった。
下らない六賢の仕事を未来永劫続けるよりは、私が私の力を持ってどこまで出来るのか試してみたかった。
だが全ては終わった。
そうだ、僕は疲れたんだ。
だから終わらせよう、何もかもを」
レオナルドがそう言った。
「だめよ!」
必死で引き留めるロゼを振り切るように、彼は声を上げて叫んだ。
「今こそ汝の力を示せ! 目覚めよ、ガラスの魔王!」
支配の指輪が、今までになく青い炎のように燃え立った。
突然空がざっと陰った。
エイトは空を見上げ、鳥肌が立つのがわかった。
太陽が、青い。
雲がかかっているわけでもなく、雨が降っているのでもない。
ただ、先程まで金色だった太陽が、青白い光を放って空に浮いている。
瑛人は知らず知らずのうちに呟いた。
「何だよ、何が起きたんだよ」
「……やべえぜ、この感じ……」
ロッドががちがちとクチバシを鳴らした。
低いぶうんとした音が聞こえ、瑛人は思わず下を見た。湖がぶくぶくと沸き立っている。
「まずいぞ、高度を上げろ!」
ラインツの言葉と共に、ジュートが垂直に舞い上がった。
東の塔を上から見下ろすまでに登り切ったとき、空からも低い轟音が聞こえてきた。
それに気を取られた一瞬の隙に、湖からとてつもないしぶきが吹き上がった。
いや、水しぶきではなかった。
瑛人達がいる塔の上まで達したそれは、輝く細かいガラスの飛沫だった。
それを追いかけるように、塔より高い位置に躍り上がったのは——瑛人には犬に見えた。
湖から巨大な青色の獣が飛び出し、城の城壁へと着地する。
飛竜より遥かに大きく、壊れた西の塔のがれきの上に立つ姿は、さながら城を破壊するモンスターだ。
瑛人は眼を擦った。これは錯覚か、幻覚か。
この妙に現実的なファンタジー世界において、許される存在なのか。
犬だ、と最初は思ったが、よく見ると犬とはかけ離れている。
まず、色がガラスのような青色で、つるつるとした鱗があり、竜のような尻尾がついている。
足は三本で、左の前足が途中でなくなっていた。
そしてなにより、そのモンスターには、犬に似ているにもかかわらず、鱗に覆われた頭が三つあった。
モンスターはがれきと化した西の塔に立ち、ぞっとする金属のような声で遠吠えをした。
その途端、西の塔の周りの建物がガラスとなって崩れ落ちた。
「あんなの召喚するってありかよ!」
瑛人は、ほとんど呆れたように言った。
魔術でこんなことができるなんて聞いていないことだらけだ。
あんな化け物相手にどうしろというのだ。
しかし、領主の発言はそのさらに斜め上を行くものだった。
「あれは召喚じゃない! あいつがセトだ!」




