第16話 杖盗人の空中戦
瑛人達が乗った飛竜のジュートは、ぐんぐん高度を上げていった。
他の飛竜達が橋のある城の正面へと回り込んでいるのが小さく見える。
瑛人が仮眠しているうちに、綿密な作戦会議が行われていたようで、群れは整然と列を組んで移動していた。
程なく、城壁にいくつかある見張りの塔から、小さな爆発音と共に赤い炎の玉が断続的に発射されているのが見えた。
複数の塔からの攻撃にもかかわらず、昨日の熱線より遥かに遅く、そして数も少ない。
出てきていないな、とラインツが呟いた。
確かに、あの魔術はセトではない。
ジュートは螺旋を描きながら、さらに高く上っていく。
湖に太陽が反射して見にくいが、まだ火炎を打ち出す音は続いている。
食べ物にたかる虫のように、飛竜の群れは城に近づいたり離れたりを繰り返している。
と、ラインツがつと腕を上げ、指差した。
「来やがった。奴だ!」
瑛人は目をこらして城のどこにセトがいるのか探したが、小さすぎて見えなかった。
ただ、正門前を飛び交っていた飛竜達が、隊列を組むのを止め、ちりぢりに散ったのは分かった。
その途端、一条の金色の帯が城の西の塔から上空へと突き抜けた。瑛人達よりも高く昇ったその光の帯は、上空で散開した。
今のは、何の攻撃なのだろう。
瑛人は不思議に思った。
昨日飛竜を狙った熱線とは違って、ただ上へ花火を打ち上げただけに思える。
「オートソルだな。 読みどおりだが、また厄介なものを」
ラインツが愚痴ったとき、ぴかりと上空が光った。
城の遥か上空に、恐ろしく大きい魔方陣が描かれる。
そして、その中心から幾本もの黄金の光が下に向かって放たれた。
直線ではなく、でたらめな曲線を描いて次々撃ち出されるその光は、ジュッという音を出して瑛人達の側を通り過ぎ、湖に落ちていった——いや、落ちる寸前に、その光はまるで生き物のように水面から跳ね返ると、飛竜の群れに向かって次々と突っ込んでいく。
飛竜たちはもはや統率の取れた動きもできず、ただでたらめに避けている。
瑛人は映画で見た追尾ミサイルを思い出した。
あの光線の動きは、そういう仕組みになっているとしか思えない。
「太陽の光を集めて使う魔術だ。避けるのは面倒だが、対策は案外簡単だ」
ラインツは他の飛竜達が逃げ惑う様子を見ながら、上を指さした。
「あの魔方陣を破るぞ! 中心はまずい、端から寄れ!」
そう言った直後に、黄金の光がこちらを目がけて近付いてきた。
「ジュート!」
キャロルが叫んで手綱を握りしめ、飛竜はキューッと鳴きながら素早く身をかわした。
しかし、一旦通り過ぎた後も、金色の光はしつこく後ろをついてくる。
カーブを描いてくる分、避けにくいらしい。
何度も振り落とされそうになりながら、瑛人は必死でラインツに捕まった。
金色の光は入り乱れ、どんどん数を増していく。
それをぎりぎりでかわし、追われながらも、ジュートは高く高く昇っていく。
風がどんどん冷たくなり、ついに、魔方陣より上の高さまで上りつめる。
金色の魔方陣は瑛人が思っていたより遥かに巨大で、中心部からはひっきりなしに黄色い光線が産み落とされていた。
端から寄れ、というラインツの言葉どおり、金色の光線が渦を巻いて追ってくるのをかわしながら飛竜はじりじりと側面から魔方陣に近付く。
と、突然瑛人の腕からラインツが抜け出した。揺れる飛竜の上ですっと立ち上がる。
瑛人はバランスを崩し、慌ててベルトにかけられた命綱を引っ張って身体を支えた。
ラインツは命綱すら付けていない。
どうする気なんだ、と思った直後。
彼が飛竜から飛び降りた。
「うわああああ!」
瑛人が叫ぶのも構わず、ラインツは飛竜から飛び降りざま、腰の剣を抜き、真下の魔方陣に斬りかかっている。
パリン、と音がして魔方陣が割れ、追ってきた光が瞬く間に全て消えた。
魔方陣って剣で切って割れるものなんだ、と瑛人が驚いたのもつかの間、領主はぐんぐんと落ちていく。
「拾わなきゃ!」
キャロルが言い、全速力で湖に向かって落ち始めた。
胃がせり上がると同時に、本能的な恐怖がこみ上げてくる。
フリーフォールは好きだが、この速度は流石に怖い。
しかし、キャロルは操縦で手一杯だ。瑛人はなるべく下を見ないようにして、落ちていくラインツを捕まえようと必死で手を伸ばした。
一度目はうまくいかなかったが、二度目で手をしっかり掴むことができた。
「手を掴んだ!」
瑛人が叫ぶと、キャロルが飛竜のバランスを水平に戻した。がくっと手が下がり、自分も落ちないように瑛人は懸命に命綱を持ち、キャロルの腰に捕まりながらラインツを引き上げた。
「よし、いい反応だ!」
再び飛竜にまたがったラインツが満面の笑みで褒めてきたが、瑛人は心臓が縮んだまま引きつった笑いを返すしかなかった。
この領主には絶対に恐怖心が欠けている。
「エイト、お前は寝ていたから聞いていないと思うが、正門の飛竜部隊はあくまでおとりだ。
オートソルが落ちたら、裏の野営地に隠れた味方の魔術師達が、奴目がけて最大限の協力攻撃魔術、バベルを発射する。
そして俺達は——」
領主の説明の途中で、ゴゴゴゴゴという地響きのような音がした。ちょうど城の対岸、糸杉の森の上に大きな黄色い魔方陣が幾つも姿を見せている。
瑛人は出発するときに見た、様々な杖を持つ魔術師を思い出した。
彼らが、今全員の力を合わせて攻撃を仕掛けようとしているのだ。
あれだけ大量の魔力だ。恐ろしい規模に違いない。
しかし、瑛人の胸に一抹の不安がよぎった。
セトには魔術のごり押しは効かない、と領主自らが言っていた。
それなら、この攻撃も防がれてしまうのだろうか。
黄色い魔方陣は、やがて重なり合い、その中心からどくどくと脈打つようなエネルギーの塊が生まれてくる。そして、ひゅうっと音を立てて飛んだ矢を合図に、魔方陣は不協和音としか言えないものすごい音を出しながらどんどん収束し、中心から西の塔目がけてものすごいスピードで光の弾丸が放たれた。
その瞬間、飛竜も下へ下へと落ち始めた。
「ええええ! なんで、なんで!」
瑛人はパニックになって叫んだ。
領主も下へ落ちる風に負けずに叫ぶ。
「いいか、あれとほぼ同時に突っ込む!
俺が奴の魔法防御を破るから、お前は杖を分捕れ!
肺が焼けないように息は止めてろ!」
「無茶言ってくれるなああああ!」
瑛人は涙目で叫んだが、ジュートは止まる気配もなく突っ込んでいく。
普段は大人しげなキャロルなのに、こういうときは本当に躊躇しないのだ。
ドン、という腹に響く音と共に、狙いどおり西の塔に光の弾丸が命中した。
眼が痛くなるような閃光と、耳が聞こえなくなるような爆発音、そして舞い上がるがれきと大量のホコリの中に、彼らは突っ込んでいった。
「クソ、奴の魔力が見えない!」
もうもうとしたホコリの中で、ラインツが毒づいた。
魔力どころか、瑛人には何も見えない。そしてめちゃくちゃ熱い。
ひっきりなしに背中に砂のようなものが当たって痛い。
これ以上大きなものが当たれば絶対大けがをするだろう。
そのとき、目の端に、黒い何かが横切ったような気がして、瑛人はふとそちら側を見た。
そして、声を上げた。
「右へ!」
ジュートがさっと脇へ避けたのと、黒い翼を生やしたセトが手の届くような位置で黄金の杖を振り回して来たのは、ほぼ同時だった。
そして、その姿はすぐに大量の土埃の中に消えた。
大量の埃の中から、瑛人達は追い立てられでもするように抜け出した。
「野郎、魔法防御じゃなく、塔を捨てて自分だけ飛行魔法で逃げやがった!」
なんて奴だ、皇帝になっても協調性はないのか、とラインツが信じられないといった面持ちで叫んだ。
だが瑛人は、なぜか納得してしまった。
そういえば、自分の城を守ろうとせずに自分で壊していたのは昨日も同じだ。
ラインツは、操られた彼が首都防衛戦をすると考えていたらしい。
だが、本能のなせる技なのか、防衛戦の経験がないからなのか知らないが、操られて皇帝になっていたとしても、基本的に守備を考えずに攻撃一本なのは変わらないようだ。
そこまで瑛人が考えたとき、領主が何かを見つけたらしく、また叫び声を上げる。
「塔から離れろ!」
ジュートが湖のほうへ身体をそらした直後、女の悲鳴のような音がして、壊れかけた塔が無数のガラスの破片になり、湖へ落下していった。
ジュートのすぐ上に、黒々とした翼をつけたセトが無表情でこちらを見下ろし、何か呪文を唱えて、辛うじて立っている塔に杖を突き立てた。
がりがりと杖の飾りの鳥を突き立てたところが、全て無色透明のガラスになって崩れ落ちていく。
それに追われて、瑛人達は一旦城から離れ、湖の方へ出てから高度を上げようとした。
だが、セトが少し羽ばたくと、異様に差が縮まるのが如実に分かる。
ジュートはあるときは高度を上げ、その後はきりきり舞いで高度を下げ、めちゃくちゃに飛んでセトを振り切ろうとした。
だが、彼は後ろにぴったりとくっついていて、離れようとしない。
ラインツが焦ったように言った。
「追いつかれるぞ、速度を上げろ!」
「これ以上は無理です!」
ここに来てキャロルが初めて弱音を吐いた。
いや、弱音ではなく、現実だ。
相手は明らかにこちらを狙って、距離をつめている。
他の飛竜がちょっかいをかけるように後ろを飛んで攻撃を仕掛けても、素早く避けるだけでそちらを向いたり、迎撃することはない。
誰がリーダーかを把握しているのだ。
「……わかった。飛竜をできるだけ水平に保て」
ラインツが飛竜の上に立ち上がり、また剣を抜いた。装飾の美しい、金色の柄の剣だ。
真ん中には紫色の宝石がはめ込まれている。
そして、彼は朗々と名乗りを上げた。
「我が名はレオンハルト・ラインツ・トゥルギス・ナタリア伯!
今こそ勝負だ、セト!」
まさか、あの剣で迎撃するつもりなのだろうか。
後ろから追ってくるセトが何か唱えているのは分かった。そして、黄金の杖の上に埋め込まれてた青い宝石が輝くのも。
瑛人は目を見開いた。
ラインツの狙いはこれだ。
初代魔王の杖が、向こうから近付いてくる。
絶対に、この機を逃すものか。
翼をたたんだセトが、黄金の杖を袈裟懸けに振り、斜め上から飛び込んでくる。
キイイイン、と澄んだ音が鳴った。
大剣が、粉々のガラスになって空に散った。
そして、瑛人の指が、がっちりと黄金の杖の柄を掴んだ。
半身を乗り出し、瑛人は必死でその杖を離すまいと指に力を込めた。
光の消えたガラスのような眼で、セトがじっとこちらを見ている。
そのとき、がつっと衝撃音がして、瑛人の命綱が切れた。
セトが、いつの間にか右手に黒曜石のナイフを持っていた。
杖を取られまいと、ナイフで命綱を狙って攻撃を仕掛けてきたのだ。
キューッと声を出して、ジュートの飛行が乱れた。
切れた命綱と一緒に、ジュートも切られたらしく、血が滴っている。
しかも、翼ののすぐ近くからだ。
バランスが崩れ、瑛人達は慌てて敷物にしがみついた。
セトが、無表情のまま石のナイフをまた振り上げた。
今度は、瑛人の手に向かってだ。
このまま、落とす気だ。
「うわああああ!」
瑛人は無我夢中で杖にしがみついた。
石のナイフが振り下ろされる。
思わず、眼をつぶった。
「やらせるか!」
ふっと杖が軽くなったのと、ラインツが身を乗り出したのはほぼ同時だった。
ラインツの手に、血塗られた短剣が握られているのが見えた。
そして、セトの翼がゆっくりと消えた。
あの長剣は、おとりだったのか。
そう思うまもなく、瑛人は、あまりの光景にぎょっとした。
セトの手首から上がなかった。
正確には、手は今だ黄金の杖に巻きついていた。
何が起こったのか分からない、という表情のままで、セトは石のナイフを持ったまま、下へと落ちていった。
そして、ずるっとすべりおちた血まみれの手も、それを追うように銀色の湖面へ落ちていく。
「はは……」
瑛人は何か気のきいたことを言おうとと思ったが、乾いた笑いが出ただけだった。
死ぬかとおもった恐怖から逃れた反面、あまりにも衝撃的すぎたので、笑いたいのか泣きたいのかわからなくなったのだ。
ラインツが短剣を白いハンカチで拭う。
「……あいつ、利き手怪我してたな」
「そうなのか?」
「多分。いつもより動きが鈍かった」
そう言うと、短剣をしまったラインツは伸びをした。
「やれやれ、私たちの任務は完了だ。
キャロル、水面近くを飛んでくれ。
今落ちた厄介者を探すぞ」
はい、と頷き、キャロルがジュートに指示を送ると、飛竜は美しい湖面へと舞い降りていった。ラインツは先ほどの剣士のような風情はどこへやらという軽い調子で、瑛人に言った。
「その杖は後生大事に持っとけよ。
今度取りかえされたら流石に私もお手上げだ」