第12話 水石銃と不良品の棺
月明かりに照らされた廊下を、キャロルは全速力で駆け抜けていた。
背後から兵士の足音ががしゃがしゃと響いてくる。
廊下の曲がり角で、出会い頭に兵士と当たり、驚いて悲鳴を上げてしまった。
失敗だわ、と彼女は今更後悔した。
このままでは、エイトを助けるどころではない。
キャロルがエイトの所在を知ったのは、全くの偶然だった。
見通しがきかなくなる黄昏時を見計らって、領主達後続隊はバルスク領地内に入った。
一緒にやってきたキャロル達飛竜部隊も、崖や森林で城から見えにくくなっている城下町の対岸に陣を張った。
ここで待機命令が出され、キャロルも飛竜を荷馬車から出して翼を伸ばさせてやったり、餌を与えたりと甲斐甲斐しく働いた。
そんなとき、領主の天幕から叱責する声が聞こえてきて、彼女は思わず耳を澄ませた。
「何だと! エイトを宿屋で見失っただと!
あいつは最後の切り札なんだ、すぐに探せ!」
キャロルは、眉を寄せて大テントに近寄った。
エイトがいなくなった? 一体どこに行ったのだろう?
ぼそぼそと弁解の声が聞こえた後、領主のはっきりした声がまた聞こえてきた。
「なに、聞き込みをしたら漁師になっていただと? 意味がわからない」
もう少し近寄り、布にほとんど耳が付くようにしゃがみ込む。
今度は報告する兵士の声まで聞こえてきた。
「正確には漁師の弟子になっていたようで、魚を街で売っていたのを見た者がいます。
その漁師というのが、城に魚を卸している者でして……調べましたが、彼も家へ帰ってはいません」
「……まさか城へ忍び込んだのか? 呼ばれてもないのに?
一体何を考えているんだ、下手をすると殺されるぞ」
「おそらく、王女様と指輪の奪還をするつもりではないかと」
盛大なため息のあと、領主が吐き捨てるように言った。
「まったく、なんで魔術店の奴らはそろいもそろって協調性がないんだ!」
キャロルは、蒼白になりながらも、音を立てないよう気をつけて領主の天幕から離れた。
エイトが、あの城へ行ってしまった。
たった一人で、王女様と指輪を探しに。
心配で心臓がきりきりと痛む。
半年前、エイトは魔王信奉者に捕まったキャロルを助けてくれた。
何の見返りも求めず、ただそれが当然といった態度で。
今度はこちらが借りを返さなくては。
キャロルは、猛然と飛竜の寝床に向かった。
草の上に藁が敷いてあるだけのその場所には、数匹の飛竜が身体を丸めてすやすやと眠っていた。
彼女は、一匹の銀色の竜の首をそっと叩いた。キュー、と身体に似合わない高い声を出して、飛竜の大きな緑の眼が開いた。キャロルは角を掴み、手綱を手際よく付けながら、幼体から育てた飛竜にそっとささやきかけた。
「ジュート、お願い。力を貸して」
春ながら、まだ冷たい風が残る湖畔に、飛竜の黒い影が舞い上がった。
敵に見つかりにくいよう、水面近くで手綱を操りつつ、キャロルはずっと信じ込もうとやっきになっていた。
エイトさんなら、きっとお城のどこかで生きている、と。
そして、やっと城に忍び込んだ結果がこれである。
キャロルは情けなくなってきた。
助けに来た本人が追われていてどうするというのだ。
もうそろそろ息が上がり、走るのも限界になってきている。
そんな矢先、前からもフードを被った魔術師が走ってくるのが見え、キャロルははっとして足を止めた。
挟み撃ちされてしまった。
「おーい、キャロル! こっちだ、走れ!」
と、前のフードの魔術師が聞き慣れた声で呼んだ。
こんなときに聞くには緊迫感のない声だったが、キャロルは喜びで眼の奥から熱いものがこみ上げてきた。
「エイトさん! 無事だったんですね!」
キャロルの背後に騎士の一団が見える。
追いかけているくせに、向こうは息を上げたり、怒鳴り散らしたりしている様子はない。
十中八九、泥人形だ。
瑛人はキャロルが追いつくなり一緒に賭けだした。
「キャロル、どうしてここに?」
「あなたを助けに来たんです! すぐ見つかっちゃいましたけど!」
瑛人は苦笑いした。キャロルはつくづく運が悪い。
が、結果はどうあれ、心配してここまで来てくれたのはありがたい話だ。
「あれは泥人形だ! 本物の人間に合う前に、さっさとまこう」
走りながら瑛人が言うと、唐突にキャロルが人差し指をたてた。
「エイトさん!あの銃持ってます?」
そう言われて、瑛人は自分のズボンのポケットに入れっぱなしだった水石銃のことを思い出した。
そうだ、こんなものを持っていたことをすっかり忘れていた。
というより、護身用でセトから借りたまま、返していなかった。
水石銃は呪文一つで高圧の水が吹き出す。
杖がなくても使えるという魔石を使用しているので、瑛人でも使える。
ただ、プロトタイプという言葉通り、威力は大きいものの精度がいまいちで、狙ってきちんと当たったことがない。
そういうこともあり、ついしまいっぱなしになっていた。
瑛人は走りながらごそごそとポケットを探り、水石銃を取り出した。
「あれは泥人形なんですよね? じゃあ水で流せばいいはずです!」
そういうものなのだろうか?
だが、あまり考えている時間はない。というよりこれ以外にろくな武器を持っていない。
瑛人は頷いて、くるっと後ろを振り向きざま、銃をかまえハンマーをあげた。
半年前何がなにやら解らずに唱えていた神聖ヴィエタ語の呪文を、口の中で呟く。
『汝潤せるもの、放たれよ濁流のごとく』
銃口が光った瞬間引き金を引く。
どん、という反動とともに恐ろしい勢いで銃口から多量の水が吹き出した。
廊下を追ってきた兵士は水の塊に巻き込まれ、あるいは水圧で吹っ飛んだ。
カランカランと鎧が倒れる煩い音が廊下中に響いた。
「全員やっつけたかな?」
瑛人はキャロルを振り返り、また走り出した。
「さあ、でも数が減ったのは確かです!
とにかく、上へ向かいましょう!
城中央のバルコニーに、ジュートが待っています!」
瑛人はこんなときにも関わらず、思わずにっこりしてしまった。
ずっと前から飛竜に乗りたいと思っていたのだ。
今夜、ついにその願いが叶うときがきた。
「なんだ、騒がしい」
レオナルドは機嫌が悪かった。
元領主の趣味であろうごてごてした装飾に囲まれた寝室で、彼はいやいや天蓋を引き開けた。
「すみません、しかし侵入者が……」
「そのくらい、おまえ達で始末できないのか? 私は眠いんだ」
フード姿の魔術師は、レムナード製の幾何学模様の絨毯の上で平伏して答えた。
「申し訳ございません、
しかし奴らは我々の泥人形を恐ろしい術で倒しておりまして、ぜひともレオナルド様の耳に入れねばならないと」
「何だと?」
レオナルドは片方の眉を上げた。
「恐らく、古代の魔石銃です。
今の大砲とは比べものにならぬくらいに小型ですが、威力は大砲並。
私の泥人形も水に濡れて使い物になりません。
あれを持っているということは、高位の魔術師でしょう。
手遅れにならぬうち、皇帝を当たらせるべきです」
一気にまくし立てた魔術師を、レオナルドは嫌そうに見返した。
皇帝を使う? こいつは、私が支配の指輪を制御するのにどれだけの魔力を要するか知らないのか。
支配の指輪で彼を操るのには、結構な魔力が必要だ。
少なくとも夜にはきちんと寝なければ、魔力増減症で倒れてしまうだろう。
昼間に気絶してみろ、俺はおろかお前の命もないんだぞ、と忌ま忌ましく思いながらも、レオナルドは呼び鈴を鳴らし、叫んだ。
「皇帝の柩を!」
やがて、低い台車に乗せて運ばれて来たのは、文字通り黒い柩だった。
柩全体に鎖が巻かれていて、中からはどんどんと叩く音や呻き声が聞こえる。
起きているときには杖といい勝負でうるさい。
レオナルドは左の手袋を取った。中指に、銀色の指輪が嵌まっている。
長い呪文を唱えると、指輪が青く発光し、柩からは何の音もしなくなった。
「よし、開けろ」
魔術師が鎖をとり、鍵を開けると、柩に収まったセトが何の表情もない目で宙空を見つめていた。
口にはきちんと呪文防止用のさるぐつわが嵌まっていて、手足もがちがちに縛ってある。
だが、どうしてかわからないがやはり血が出ていた。
今度は腕からだ。左腕だけが血まみれで、袖も破けている。
とにかく戒めをといてやれ、と指示し、レオナルドは椅子にけだるく腰掛けた。
この皇帝を普通に寝かせておくのは、なかなか厄介なことなのだ。
初日、セトに猿ぐつわをかませて椅子に縛り付けたまま、レオナルドは就寝した。
朝になり、レオナルドはぞっとした。セトはいつの間にか椅子ごと倒れていて、何度も床に打ち付けたのか、彼の頭は血まみれだった。
油断できないと思ったレオナルドは、柩を使うことにした。
どこかの貴族が使う予定だった、中が絹綿ばりのものだ。
これで一安心と思っていたら、またもや怪我をしている。自傷癖でもあるのだろうか。
「その腕は何で怪我をした?」
「柩の内側の一部に釘が出ていました」
さるぐつわが取られ、縄を解かれるのをじっと待っている皇帝は素直に答えた。
レオナルドは腕を組んでうなった。
「不良品だな」
「死人は文句を言いませんので、釘がでていても問題ないかと」
一理ある。納得し、レオナルドは皇帝に命令した。
「まあいい、今城に侵入者が入った。
古代の魔石銃を持った、高位の魔術師だ。
なるべく早く始末しろ」
「主様のおおせのままに」
縄を全てとかれたセトは柩から出て、うやうやしく頭を下げた。




