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第11話 勇者気分で潜入

 上着と靴を脱ぎ捨てた瑛人は、鼻を摘まんで暗い水面にできるだけ音を立てずに飛び込んだ。

 水は冷たいが、凍えるほどではない。

 泳ぐにはいい時期で助かった、と思いつつ、瑛人は波を立てないようにゆっくりと手足を動かした。


「水門が閉まるぞ、早く行け」


 暗闇からおっさんの声が聞こえ、その途端にきゅるきゅるという滑車の音が水面に響いた。

 まずい。早く魚を下ろしていた水門まで戻らなくては。

 瑛人達は、さっき城の水門に入り、無口な兵士が見守る中、魚を生け簀ごと廊下に置いた。金銭は掛けで取引されているらしく、おっさんが大きな声で世間話を仕掛けても、兵士達は全く返事もせず、ただ早く帰れというオーラだけが嫌と言うほど伝わってきた。

 あの兵士達が、きっと今滑車を回し、湖に続く水門を閉じているのだ。

 瑛人は音を頼りに静かに泳いでいった。

 滑車の音が近くなり、尖った杭でできている金属の柵が水面に下ろされるのが、水門の外に取り付けられたカンテラの明かりでぼんやりと見えた。

 あれに当たったら痛いだろうな、と瑛人は顔をしかめながら、目をつぶり、一気に水面から頭を沈めた。

 ここからは息の続く限り、潜っていかなければならない。

 水をかき、串刺しにならないことを祈りつつ、暗闇の中をもがき続ける。


 と、背中ががりっと音をたてた気がして、瑛人は冷や汗をかいた。

 確かに何かが背中にさわった。

 杭だったのだろうか。それとも、間違えて壁にぶつかったのか?

 どちらが水面だったのかもはっきりしなくなってきた。

 息もそろそろ限界だ。きゅるきゅるという滑車の音も聞こえず、ただ耳の中に水が入ってぼこぼこ言っているだけだ。

 そろそろ息が苦しい! もう顔を出してもいいだろうか?

 水面に顔を出した瞬間、兵士と目が合ったらどうしよう? 

 忘れ物を取りにきました、という理由では納得してくれないだろう。

 もう無理、という気持ちと見つかるかもという恐れが交互に襲ってきた結果、瑛人はぶくぶくと泡を吐き出した後、盛大に水面に顔を付きだしてぜえぜえと呼吸した。


 空気がうまい。地下のよどんだ空気さえそう感じた。

 やっと人心地がついたとき、瑛人は自分がたった一人で暗い廊下に面した水路にいることに気付いた。

 よかった、と後ろを振り向くと、鉄柵のような水門はきっちり閉まっている。

 ここから抜け出ることは不可能だろう。

 だが、第一関門は突破した。

 瑛人はよろよろと泳いで廊下に近づき、えいっと濡れた身体を引き上げた。

 しかし、びしょびしょだ。このまま動けば都市伝説の濡れ女のように、いた場所全てがじっとり湿りそうだ。

 だが、今のところはしかたない。

 瑛人は、足跡をべたべたと付けながら、慎重に水路の奥へと進んだ。


 廊下には松明の明かりがところどころ灯っているが、足元はかなり暗い。

 石の廊下を歩いて少したつと、右手に折れ曲がった場所に大きな木の扉があった。

 瑛人は恐る恐るノブを回した。鍵はかかっていない。

 小さく扉を開けて、隙間から目をこらす。完全な暗闇だった。

 そのとき、廊下の向こうからがちゃがちゃと鎧のなる音が聞こえてきた。

 まずい、見回りの兵がくる。瑛人はさっと部屋に潜り込んだ。

 松明の明かりがない部屋は、何か生臭い臭いがした。

 明かりを持ってくるんだったな、と瑛人は今更思った。

 だが、目が徐々になれてくると、今どこにいるのかがわかるようになった。

 何のことはない、瑛人達が使っていた生け簀がそのまま壁際に置かれていた。

 生臭いのはさっきの魚だ。

 目を細めて見ると、左手には木の棚があり、パンやチーズのような塊がぼんやりと見えている。

 なるほど、ここは食料庫だ。


 そういえばまだ夜ご飯を食べていない。

 お腹が猛烈な勢いでグーッとなり、瑛人は無駄にどきどきした。

 潜入するのはいいが、いざというときに腹の音で兵に見つかったら笑い話だ。

 どうせならここで何か食べて行こう。

 瑛人は周囲を探ってテーブルを見つけ、慎重になぞっていった。

 思ったとおり、調味料の瓶や壺に紛れて、カンテラがあった。

 瑛人はカンテラを持ち、耳を澄ませた。

 鎧の音はもう聞こえない。

 大丈夫そうだ、と廊下へ恐る恐る出て、一番近い松明に素早く歩み寄った。

 カンテラの中の蝋燭を取ると、炎にかざす。やがて、蝋燭に炎が移った。

 蝋燭を燭台へ戻し、エイトはため息をついて食料庫に戻り、扉を閉めた。

 明かりも手に入れ、これで一安心だ。


 肉や魚は焼く臭いがするのでやめ、エイトはそのへんにあったパンとチーズを適当につまんでもぐもぐ食べた。

 大きな水瓶に入った水をひしゃくですくって飲み、食事は完了した。

 にしても、この食事内容は寮のそれよりひどい。

 せいぜい『おじか亭』のつまみレベルだ。

 あっちのほうはエールが主役な分、食べ物に関しては文句を言わないことが不文律になっている。


「……そうだ、酒だ」


 思わず、独り言を言ってしまった。

 ここは食料庫だ。もちろん、酒もあるはずだ。

 瑛人はカンテラを持ち上げ、食料庫を調べ始めた。

 この城が魔術店と同じ構造なら、食料庫の下に夏の暑さを避ける保存室があるはずだ。

 ほどなく、床が四角く切り取られた一画が見つかった。上には何の荷物も置かれていない。ここに違いない。

 床にはまっている木の上蓋を引き上げると、埃っぽい空気と共に、下に続く梯子が見えた。やはり城らしく、魔術店の保存室とは規模が違う。

 瑛人はカンテラを床に置き、身軽に梯子を降りた。

 部屋一杯にぎっしりと詰まった樽や、ガラス瓶の置かれた棚が姿を現した。

 瑛人は少し悩んだ挙げ句、棚から一つの瓶を引っ張り出した。

 ずいぶん年季の入った瓶で、ラベルには碇と葡萄の紋章がある。

 ティルキアンワインだ。

 瑛人はそれをもって上がると、その辺にあったナイフで手早く栓を抜き、黒みがかった赤ワインを水瓶に勢いよく投入した。空になった瓶は、またワインセラーにしまった。

 上手くいけば、朝には大騒ぎになるはずだ。

 魔術師の一番の弱点は酒だ。魔力がどれだけあっても、酒を飲めば出力がほとんどできなくなる。

 水で薄められたとはいえ、この城の魔術師達が水を飲んだら、半日はなにもできなくなるはずだ。

 酒場でのギャンブルもいい体験になったと、瑛人は鼻歌を歌い出しそうな気分だった。




 食料庫には、入ったところとは別に、小さな扉があった。

 見当はついていたが、開けてみると果たして竈が連なった台所だった。

 今のところ、人の気配はない。瑛人は慎重に進んだ。

 台所を抜け、粗末な階段を上がると、長く狭い廊下が続いていた。


 瑛人は首をひねった。

 きれいな見かけとは違い、城とはこんなに生活臭溢れるものなのだろうか。

 しかし、この窓一つない狭い廊下は、誰かが来たら隠れようがない。

 早くここから出なければ。

 しばらく歩いていると、不思議なことに気付いた。

 一定の間隔で、廊下には扉がついている。

 扉の大きさが、頭より少し小さめであることを除けば、まるでホテルの廊下のようだ。


 瑛人は少し考えた後、その一つの扉をそっと開けてみた。

 カンテラの明かりで浮かび上がったのは、棚やタンス、木箱の詰まった部屋だ。

 そうか、まだここは倉庫の続きだったのだ。

 食料庫の次は、一体何が入っているのだろう。

 瑛人は完全にゲームのノリで、わくわくしながらタンスを引き開けた。

 硬貨は入っていなかったが、黒い布が整然と並べられていた。瑛人はにんまりと笑った。

 やっとこの濡れ女、いや濡れ男状態から脱却できる。


 5分後、黒いフードを被り、長いマントを羽織った姿で瑛人は颯爽と廊下に出た。

 昼に見た触れ役とほとんど同じような恰好だ。

 これで、見た目だけならある程度ごまかせる。

 それに城から抜け出すにも都合がいい。


 廊下の片側には、やはり小さな扉が沢山続いている。

 こんな構造で、迷子になったりしないのだろうか。

 不思議に思っていると、そのうちドアの上に、小さな金属のラベルがはってあることに気づいた。

 白鳥の間、緑の間、中央廊下

 どうやら、この質素で狭い廊下は、城全体に張り巡らせた動脈らしい。

 ある扉には、『暖炉移動のため使うべからず!』という貼紙も貼ってある。


 廊下にはときたま急な階段があり、瑛人はなんとなく上り下りしてみた。

 そして、その先にも同じような狭い廊下と扉が並んでいることを確認して、ようやくこの廊下が何か理解した。

 ここは使用人が使う廊下だ。

 城の割には質素だと思っていたが、高い位の人と使用人が鉢合わせしないように造られている廊下に違いない。

 使用人の廊下には警備なんて必要ないから、深夜なら敵と鉢合わせする可能性は少ない。

 それに、この廊下を使えばどこの部屋にも入り放題だ。


 楽しくなって、瑛人は次の扉をよく考えもせずに引き開けた。

 カンテラに照らされたのは、もう一つの廊下だった。

 こちら側の廊下よりも遥かに広く、足元には厚い絨毯が敷き詰められている。

 大きな窓があり、そこから巨大な三日月が光を放っていた。


 と、その下で何かの影が動いた。

 瑛人はぎょっとしてカンテラを掲げ持った。

 一体何だろう?

 その途端、後ろからエイトの首に長い腕が回され、ぎゅっと締め付けられた。


(しまった! 見つかった!)


 暴れるうちにフードが肩までずり下がった。

 そのとき、正面の人影が小さく叫んだ。


「エイト!」


 首に回された腕が緩められ、瑛人は身体を折って盛大に咳込んだ。


「あらあ、ごめんなさい。

 いきなり黒いローブで出てくるんだもの、間違えちゃったわ」


 背後からのんびりした声が聞こえ、エイトは涙目で見上げた。


「イザベラ? ロゼ? どうしてここに?」


 こっちの台詞よ、と正面にいた人影が立ち上がった。

 よく見ると、長く黒いローブを引きずったロゼだ。

 皆考えることは同じらしい。


「私たち、ラインツさんにこの城の情報を知らせたかったんだけど、広すぎて鳩小屋が見つからないのよ」


 イザベラが言った。


「ラインツへの情報か。じゃあ俺が持って帰るよ」

「そうしてくれるとありがたいわ」


 瑛人はロゼから角を削って造られた円筒を受け取った。伝書鳩に付ける便せん入れだ。


「でも、もちろんロゼやイザベラも脱出するんだろ?

 こんなもの書く必要ないんじゃないか?」


 そうエイトが言うと、ロゼは眉を下げてかぶりを振った。


「ううん、私達はまだここに残るわ」

「どうして?」

「どうしても指輪を手に入れたいの。

 昼間レオナルドと話したけれど、世界征服にかなり乗り気だったわ。

 私達に勝算があるとすれば、支配の指輪を手に入れるしかないのよ。

 だから、ギリギリまでここで粘るつもりよ」

「そんなあ」


 瑛人はがっかりして肩を落とした。

 せっかく助けに来たのに、断られるとは思っていなかったのだ。

 だが、そこまで言うなら仕方ない。ロゼは人一倍頑固なところがある。

 ここで説得などできそうにもない。

 瑛人はしばらく考えて言った。


「それなら、朝まで待っててよ。

 さっき、食料庫の水瓶に酒を混ぜたんだ。

 俺の思い通りになるなら、明日の午前中に城の魔術師は全員杖が出せなくなるはずだ」


 イザベラが低く口笛を吹いた。


「やるわねえ、瑛人」

「ラインツに知らせて、そこで総攻撃をかけてもらおう。

 きっとうまくいくはずだ」

「ええ、でもどうやってラインツさんに知らせるの? この城の出口は……」


 と、そのとき鎧の単調な金属音が聞こえてきた。

 三人は身を固くして、鎧が通り過ぎるまで、片隅でじっと息を殺していた。

 瑛人は生きた心地がしなかったが、騎士は瑛人達が目に入らないかのように淡々と歩き去っていった。


 「泥人形よ」ロゼが言った。


「動きや音に反応して迎撃し、追いかけるようになってる。

 逆に、動かなければ認識されることはないわ」


 なんだ、と瑛人はほっとした。


「魔術ってそんなこともできるんだな。意外と便利じゃん」

「なによ、今更。家にも一体あるじゃない」


 そう言われ、瑛人は魔術店の入口近くにでんと飾ってある女性用の真っ赤なフルプレートを思い出した。

 変な飾りだとは思っていたが、あれが自動で動く人形だとは思っていなかった。

 魔術店には半年いたが、まだまだ瑛人の知らないアイテムが多そうだ。


 と、また金属のカシャカシャという音が聞こえてきた。

 さっきの兵隊がまた戻ってきたのだろうか。

 いや、今度は音がやけに多い。

 そのとき、カンカンという金属をハンマーで叩くような音が、城中から響き始めた。


「……私たちが抜け出したのがばれたのかしら。それとも……」


 イザベラが厳しい顔で言った。

 瑛人は焦ってロゼに尋ねた。


「ロゼ、この辺に隠れられるような部屋は?」

「分からない。でも、私たちの部屋に戻れば……」


 三人で話していると、瑛人が入って来た扉が乱暴に開けられた。

 各々槍をもった兵士が、十人以上ずかずかと大きな廊下に入り込んできた。

 瑛人達が構える暇もないうちに、兵士の一人はこちらを向いて怒鳴った。


「おい、お前らも気をつけろ! この城に侵入者がいるらしい!

 各階しらみつぶしに探せ!」

「了解しました!」


 考えるより先に言葉が出た。ついでに瑛人は敬礼までして見せた。

 兵士達は疑うこともなく、忙しそうに立ち去った。

 実際忙しいのだろう。

 危険が遠ざかってから、ぼそっとイザベラが呟いた。


「……本当に、ニセ皇帝を演じただけのことはあるわねぇ」

「ある意味、鍛えられたんだよ」


 いいか悪いかわからないけど、と瑛人は答えた。

 だが、この状態ではとてもじゃないが城から脱出などできそうにない。

 飲み食いしたり、タンスを荒らしたり証拠を残しまくってしまったことが裏目に出たようだ。

 ため息をついたとき、長い廊下の向こうから、女の悲鳴が聞こえてきた。

 瑛人ははっとした。あの声には聞き覚えがある。

 ロゼも気付いたらしく、眉をひそめた。


「あの声……」

「ロゼ、イザベラ、一旦部屋に戻った方がいい!

 俺、ちょっと見てくる!」


 瑛人は立ち上がり、猛然と声のした方へ走り始めた。

 城への侵入者は、瑛人だけではなかったらしい。

 何をしにきたのか知らないが、見つかったのは瑛人の友人、ドラゴンテイマー見習いのキャロルだ。

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